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細みに分け入る|俳句修行日記

 師匠が「『細み』を体現している句を持ってこい」言うので、芭蕉の『むざんやな甲の下のきりぎりす』というのを探し出した。「どういうところに細みを感じるのか?」と聞くので、「貯えもなく、カブトムシの手先になって生きる道を選んだ心細さ」と答えた。

 師匠によれば、細みがあるとして去来抄に取り上げられたのは、路通の『鳥どもも寝入りてゐるか余吾の海』なのだという。芭蕉によって説かれた『細み』は以心伝心の秘事だとされ、その言い表すところは伏せられたまま。一般的には芭蕉俳諧の『さび』や『しおり』と同列に置かれ、『わび』の日本文化に収れんされる。
 しかし、「それでは真意は見えんよな」と、師匠つぶやく。

 実は、『細み』が登場する以前から、和歌を評するに『細し』という言葉が使われてきた。これは『詳し』に結びつく響きを持ち、『繊細美』を言い表すものでもあったのだ。師匠によるとそれは、芭蕉の手で『探究美』に昇華されたと。

「『細み』は、細かなつくりを賞する言葉じゃ。それは、モノゴトの深部に分け入ってこそ得られるもんぞ。弱々しいイメージを、わびさびに括り付けて考えとると、表面のシミしか分かりはせん。」
 そう言って師匠、『おくのほそ道』と書かれた文庫本を取り出して、「百万遍読め!」と押し付ける。なんでもそれは『細み』の奥義書であり、俳句を詠む者にとっては、絶対に避けて通れぬ本街道なのだと。
 アア、、、のしかかる本の重みに咆哮ス。「損得は言わずもがなの金治郎」(修行はつづく)

野明曰、句のしをり、細みとはいかなるものにや。去来曰、しをりは哀れなる句にあらず、細みはたよりなき句にあらず、しをりは句の姿にあり、細みは句のこころにあり。是も證句をあげていはば、

十団子も小粒になりぬ秋の風

先師曰、此句しをりあり。

鳥どもも寝入りてゐるか余吾の海

先師曰、此句細みありと評し給ひしと也。去来曰、総じてさび、位、細み、しをりの事は以心伝心なれば、唯先師の評をあげて教ふるのみ。他はおして明むべし。先師遷化の年、深川を出で給ふ時、野坡問曰、はいかいやはり今のごとく作し侍らむや。先師曰、しばらく今の風なるべし、五七年も過はべらば又一変あらむとなり。

去来抄 下 修行教抜粋