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俳句と宗教|俳句修行日記

「俳句に宗教を持ち込むな」と言われて、クリスマスを前に戸惑っている。しかし、調べてみると『聖誕祭』や『仏生会』は季語として使われているし、宗教的な句を遺した俳人も数えきれない。師匠も、俳句の基本姿勢は『神』との合一にあると考えているようでもあるし…

 日本人は無宗教だと言われるが、それは、こうした文化的アプローチからきているのかなと考えてみる。すると師匠、「信仰形態の違いじゃよ」と。
 日本では万物を神となす。それは、善悪を超越したところで個の感情をコントロールするものだ。ひとは、その影響下で人生を謳歌する。つまり神とは、今を共に生きる存在でこそある。

 しかし浮世を漂う欲望は、全き浄土を夢想する。そこへたどり着く選民となるには、浮世の仇と連れ立ってはならない・・・そのように、隣の人は吹聴するのだ。

 教えは哲学を導き、人生に意味づけをする。ただ、師匠のたまう。「他者に隷属するなと言っとるんじゃよ。神は、自らが見つめ、認識するもんじゃ。他人が描いたものを鵜呑みにしてはならんのぞ。個々の座標に依って、ディテールは変わるもんじゃからな。」(修行はつづく)