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たるみ|俳句修行日記

「俳句を極めたいなら『俳諧大要』を熟読せよ」と言われて手許に置いているのだが、難し過ぎてチンプンカンプン。ただ、ぱらぱらと捲っていたところ、「たるみ」という文字が目に入る。そこで「俳句にも肥満があるんすか?」聞くと、ずっこけた師匠が「『細み』か?」言うので、「やせっぽっちもあるんすか」と思わず叫んだ。
 すると師匠、「どうやら、まずはそのたるみを取り除かないかんようじゃな」と。

 俳諧大要には、『言語の上にたるむたるまぬといふ事あり。たるまぬとは語々緊密にして一字も動かすべからざるをいふ。たるむとは一句の聞え自から緩みてしまらぬ心地するをいふ』と記されている。
 師匠はそれを、「使用する名詞の数と関連付けて語られることが多いがな」と言う。つまり、名詞を詰め込めば詰め込むほど、そこに現れる景色は動かし難いものとなり、シャープなイメージが広がって「たるまぬ」ものになるのだと。

「しかしな、名詞の詰め込み過ぎは想像力の膨らみを阻害するもんじゃ。俳句を短詩ととらえるなら、名詞をいかに作用させるかが鍵となる。『たるみ』はそこに生じるもんぞ。」

 通常、一句の中には二つから三つの名詞が使われる。そこに「てに(を)は」「副詞」「動詞」などが絡みついて情景を象るが、その使用方法によって俳句の輪郭は大きく変化するものなのだと。
「じゃあどうすればいいのですか?」聞くと、師匠「事物の間には道がある」と言う。つまり、眼前に林立するモノに、響き合う言葉をつないでこそ、対象物の距離は縮まり、俳句は動かし難いものになるのだ。そしてその縁結びにより、モノクロの風景は彩りを獲得し、人々のこころに鮮やかに映りこむようになるのだと。
 師匠のたまう。「縁語としてのつながりを言葉の間に意識する時、『たるみ』は自然に取り除かれるもんぞ」と。(修行はつづく)