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咆哮と囀り|俳句修行日記

『しばらくはハナの上なる月夜かな』という句の『花』を『鼻』のことだと思っていて、芭蕉鼻高説をとなえたのだが、以来、俳句仲間から白い目で見られるようになった。「秋の景物を春に置くんじゃない!」と、芭蕉殿に抗議したい…
 この『はな』のもとになっているのは『端』であり、人体の先端と枝先の造形を、同じかたちに見たものである。このように古代日本語には、意を汲んで造語した形跡がある。それは、指差しながら共感し合うことを旨とした、シンプルな言語だったことを指し示すものなのかもしれない。

 しかし、日本語は変な言語だ。このような同音異義語の向こう側には、同義ながらも異なる音を持つ言葉が、当たり前のようにあふれかえっているのだ。
 たとえば『空』だが、『そら』と言うのが一般的ではあるが、『てん』『あめ』をはじめとして、様々な言い表し方が存在する。何でこんなややこしいことになったのかと聞くと、「日本は移民を受け入れ続けた国家だからじゃ」と、師匠は答える。

 近代の鎖国という概念が、この国を得てして閉鎖的な国だと規定してしまうが、日が昇るところを目指す人や海流に乗ったさすらい人は、必然的にこの最果ての地に打ち上げられた。それは、記紀にも記された事実であり、時の権力者は、その者たちを重用して国家の基盤を整備したのだ。
 ただ、これら指導的地位を獲得した移民の言葉は、様々な現場に取り入れられたものの、その言語までは浸透しなかった。それはおそらく、活用できる音素数の少なさが要因であったろう。

 現代でも、斬新な外来語に巡り合う度、人々はそれを理解しようと、音節に修正を加えて日本語化する。そうして、重なる響きを持つ言葉が無限に生まれ続けても、この言語は破裂しない。それどころか、深度を増して文化を裏打ちするのだ。それは、『理』を表すためではなく、『情』を交わすために生まれた言語だったからだと、ボクの師匠は考えている。つまり日本語は、犬の咆哮ではなく鳥の囀りのようなもので、場の共感を第一にしているからだと。
 師匠はここに俳句を詠めと言う。個人的な思いを整えるのではなく、五感が得た雰囲気をかたちにしろと…(修行はつづく)