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いじめ問題を考える「なぜ、言われた子が言い返せないことの方が話題の中心になるのか」

小学2年生の保護者懇談会で1人のお母さんが小さく手を挙げました。

どうやらお子さんがクラスメイトから心無い言葉を投げかけられたらしく寝る前に泣いたと。

「転校すればいいのに」

のような言葉だったようです。

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次男がニュージーランドから帰国し、セブ島の語学学校に入学するまでの2か月間、小学2年生の3学期を過ごした日本の小学校での出来事。


その日は転入(←ちょうど1ヶ月)初の参観日でした。参観が終わり、「保護者の懇談会」がスタート。

参観が終わると同時に沢山いたお母さんたちが減りはじめ・・・なんと懇談開始に残っていたのは私を含め5人!!(少っ!!

そのうち2人は理事と副理事さんのようでしたので、一般参加(?)したのは3人でした。先生が作成した、1年間の活動写真スライドを見て、その後、先生からのお話し、そしてお決まりの

「他に何かありませんか?」

特に意見はありませんよねーみたいな雰囲気の中、1人のお母さんが小さく手を挙げました。どうやらお子さんがクラスメイトから心無い言葉を投げかけられたらしく寝る前に泣いたと。

「転校すればいいのに」

のような言葉だったようです。

そのお母さんは、「相手の名前は教えてくれなかった。今後もそういうことは起こるだろうし、”なんでそんなことを言うのか”など、本人が言えるようになって欲しいと思う」ような話をしていました。

先生は

「そういうことがあったとは気付きませんでした。自分の居ないところで言ったのだろうと思います。誰が言ったのかも見当が付きません。
  ~(中略)~
嫌なことは嫌だと相手に言えるようになるといいと思います。今後、少し気を付けて見てみようと思います。」


次男の転入1ヶ月目で初参加だった私には、その子がどのような子なのかさっぱり分からず、初めて参観したところでクラスの雰囲気も知らず、大したことは言えませんでした。

しかし、ずっとモヤモヤしています。


「なぜ、言われた子が言い返せないことの方が話題の中心になるのか」

「なぜ、言い返せるようになることが理想なのか」


そもそも、言い返せるような子は言い返せる子なわけで、言い返せない子は言い返せないわけで、その子その子にその子なりのいいところがあるわけです。

言い返せない子には言い返せない子なりの良さが絶対にあります。そして、それは大人の世界でも同じようなことがある。


例えばPTAのような集まりは、子どもの社会と似ていて、気の合う人同士が集まった集まりでは無い中で、それでも付き合っていかなけれならない。
中には自分にとって嫌なことを言う人もいます。

その人に対し、大人の集まりでも

「どうしてそういうことを言うんですか?」

と言い返せる人が何パーセントいるのか???

大人にも出来ないことなのに、それを子どもの理想形にし、さも「そうでない子が弱いから」ように話をしてはならない。そう思います。

そもそもは、確実に相手を痛めつけるような発言をすること自体が良くない。そっちが悪い。


例えば我が家の次男。よく周囲から注意されています。

「うるさい」などもよく言われます。(うるさいからです)

でもそれって、何人もの子から注意されるわけです。そしてそれは先生の前でも。子どもは遠慮なく注意します。


でも、いじめは違います。

決して同じセリフを言う子が何人もいるわけじゃない。そして先生の前では言わない。

なぜ、先生の前では言わないのか。

それは、言う側がそのセリフは大人の前では言ってはならないと分かっているからです。確信犯です。

2年生だからまだ善悪が分かっていない、なんてことはありません。

もちろん、言われた方が夜寝る前にお母さんの前で泣いてしまうほど傷つけるセリフだとまでは思わない場合はあると思います。

でも、それでも、絶対に、先生が目の前に居たら、同じセリフは相手に対して言わないと思います。


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さて、それを前提に話を戻します。


「いじめられる子は弱い」と言われる風潮

が確かにあると思います。

だからと言って、「いじめられる子が強くなればいい」というのは、ちょっと強引すぎる話の持って行き方です。言い返せないのが悪いわけでは無く、言う方が悪いのですから。


では、どうすればいいのか。


相手が傷つくようなセリフを言う子は、その子はその子で他の何かで傷ついているのだろうと思います。

例えば、子育てをしている最中、夫が子育てに参加してくれないことにイラついたとします。すると、そのイライラは、案外、その夫自体には向けられず、子どものちょっとした失敗にイラついたり怒ってしまったり。他から来たイラつきを子どもに向かって吐き出してしまいがちです。

「なんであんなことであんなにも怒ってしまったんだろう…」

と、子どもが寝た後でその可愛い寝顔を見ながらごめんねと思う。あれです、あれ。あれと同じことだと思います。


いじめる側は他の何かでイラついていたりするものです。ただ、それを癒してあげることはとても難しい・・・

それよりも簡単な解決方法。

それが「いじめられる子が強くなること」でもあるのでしょう。


1000歩譲って、「いじめられる子が強くなる」ことを良しとしたとします。

確かに社会に出ていくときには「言えない」より「言える」方が生きやすいこともあります。

しかし、「なんでも言ってしまう」となると「空気が読めない人」の烙印を押されることも。なので、結局は「上手に生きる」生き方、に大人は傾いていくのだろうと思います。

では、そこまでたどり着くのに、何年かけていいのか。

言い返せないで傷つけられる子どもにいきなり「言い返せるようになれ!!」というのはあまりに乱暴。


そもそも、幼稚園児以下の子どもが集まる公園では、子どもの側には常にお母さんが目を光らせていて、オモチャの取り合いなどのちょっとしたトラブルでもすぐ

「どうぞ、でしょ?」

「ありがとう、は?」

など、口も手も出しまくりです。

それがなぜか、小学校に通いはじめ、親と離れる時間が長くなった瞬間

「子どもの自己責任」

「子ども自身で対処しなければ」

「大人が子ども同士のいざこざに口を挟まない方がいい」

みたいな言われ方になります。


子どもからしたらいきなりです。


もちろん、子どもにも心身ともに成長はあり、放っておいても徐々にそうなっていくものですが、、、


私は「子ども同士のいざこざになんでも大人がしゃしゃり出たらいい」と思っているわけではありません。でも「ちょっと手を貸してあげてもいいんじゃないか」とは思っています。

そして「子どもにその姿を見せる」ことを良しと思っています。

もしくは、もともと未就学児の頃から、子ども同士のいざこざ(おもちゃの取り合いやちょっとしたトラブルのようなレベル)には口を挟まず、経験を積ませておくことです。

子どもが幼ければ幼いほど、心の底から傷つくようなトラブルは少ないものです。その間に「言い返せる」「うまくかわす」ことを身に着けるかもしれない。


でも、いくら経験を積んでも言えない子もいるんですよね。


幼稚園に通わず、自主保育で子育てをしているお母さんたちはそれを実践もしており、いつも輝いて見えたものです。

私にはそれは出来ませんでした。憧れるだけで、我が子のその時代は終わりました。そしてもう小学生なので、今から出来ることは、「徐々に手を放していく」ことだけです。


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また話を戻します。


では、いつくらいには親が出しゃばらないで子どもに任せるのか。というテーマです。これはもちろん子どもによって違います。

ここで言っているのは、クラスメイトから嫌なことを言われて家で泣いてしまうような子の場合です。


さてそれは・・・「中学生になる頃までには」かなと思います。4~5年生くらいに、かわし方が身に着けられているといいな、とかも。

10歳くらいになると子どもはかなり賢く、上手にいじめるからです。


では、1~4年生までの期間はどうする?ということになります。

私は、小学生の間は「親がフォローする」でいいと思っています。 私の中で「子どもに任せる」「言い返せる子に育って欲しいから見守る」は却下。(もちろん任せられることも多々あります。なんでもかんでも出しゃばったらいいわけではありません。)


まず言いたいのは、その子の「今」を認め受け入れてあげましょう、ということです。

「こうなって欲しい」という思いを持つことは「今のあなたではダメ」と言っているに等しいからです。


言い返せない子って、基本的には気持ちの優しい子が多い。そして、親にとっても育てやすい子だったりもするはずです。

今はそれでいいじゃないか、、、そう思います。

どんなに「言い返しなさい」と言ったところで言い返せるはずもありません。その子自身が何かのきっかけを掴んでそうなっていくこともあるかもしれない、程度だと思っておいた方がいい。


「言い返せる子」

クラスメイトに対しそれが出来る子は、親に向かってなんてめっちゃくちゃ言い返しているはずです。

家ではとても思いやりがあってお母さんの言うことは素直に受け入れるけれど、友だちには嫌だと思ったらなんでも言い返せる、なんて親にとって都合がいい子は少ないだろうし、そういう子ってクラスメイトからいろいろ嫌なことを言われたりもしないですよね。

もしくは家庭では親がすごく重圧をかけていて、何も受け入れてくれない反動で友だちには強くなる場合。

その他にもありますがここでは一旦、「言い返せる子」のことは置いておきましょう。


どうしても「子どもに任せたい」あなた。

例え子ども同士のイザコザに直接は口を出さない場合でも、出来ることはあると思います。

それは、『言い返せない』→『言い返さない』に変換すること。

『言い返さない強さ』

これ、すごいですよね。

「せ」が「さ」に変わるだけで劇的に前向き姿勢になります。(日本語すごい)

結果的に同じ「言い返していない状況」だとしても、「自分は言い返さないんだ」と思って行動することで、結果的にはめちゃくちゃ自分を守ることが出来ます。

なんやかんや言ってくる相手を少し見下す感じで、スルーする力。これって「言い返す子」よりも強いと思います。


親として子ども同士のいざこざに口を出さず、尚且つ言われ続ける子を早めに救ってあげるには・・・「言い返せない子」に「言い返さない方法」を教えてあげるという方法があるということです。


そもそも論として言いたいことがあります。


「低学年のうちは、宿題や準備物などは家庭でフォローしてあげましょう」


これ、うっすら共通認識としてありませんか?(実行出来ているかどうかは別です)

私はこれについてはむしろ逆に「1年生のときはフォローせずに子どもに任せた方がいい」と思っています。しかし「家庭がフォローすべき」的な共通認識の存在がそれを実行することを難しくしています。

先生さえもなぜかそれを親に求めてきたりもしますしね。あと、子どもが出来ていないと親が恥ずかしい気持ちになる、というのもあるかもしれませんね。


家庭で宿題を見られる環境があったり、塾に通わせることが出来たり、それを受けることが出来る環境にいる子の方が学力が高い。それも社会の認識として存在すると思います。

「家庭の経済事情は子どもの学力に反映する」とも言われています。


そこで疑問が生まれます。


「なぜ、家庭学習や準備物は家庭がフォロー、すなわち親が口出しをすることが当然のように言われるのに、精神的な部分は親が口出しせず見守るべきと言われるのか?」


それは、他の子ども(そしてその後ろにある他のご家庭)が関わっているから、も大きいのではないでしょうか。

そう、親が口を出しにくい分野なのです。そして成績表にも表れない。だから、「子どもに任せる」という聴こえの良い言葉で誤魔化されているだけだと思います。


でも、大人でも解決出来ないようなことを子どもが解決できるはずがない。
と、ここで繰り返し言っておきます。


子どもにやらせたいならまずは大人が見本を見せて。


もちろん、子どもには子どもの世界観があります。子ども同士には大人同士では考えられないようなストーリーが生まれ、劇的に改善することもあります。

しかし、それが難しいからこそ、その子どもは困っているのです。


しかも誰も助けてくれない。

自分でなんとかしないとこの先が大変よ。という雰囲気。

自らなんとかしなきゃ。強くならなきゃ。という風潮。


すごく疑問です。


なぜ、(子どもはすでに泣いている状況なのに)大人が手出しをすることが憚られる世の中なのか。


なぜ「対人関係で強い」ことが良しとされるのか。(大人の世界で同じことをしたら「あの人ってすごいね」とちょっと特別視して見られるのに)


絶対に親が手出しをすべき、と言っているわけではありません。手出しをしてもいいじゃないか、親がフォローしたっていいじゃないか、と言いたいのです。


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とにかく!

悩みを誰かに打ち明けることで何か変わることもあるんだ!という経験もさせてあげるといいと思います。今後の人生のどこかでその経験が生きてきます。

「私はどんな時もどんな状況でもあなたの味方だ」

ということを言動共に我が子に伝え続けることです。

既に困っている自分の子どもに何かを求めるのは得策ではありません。


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子どもが困っているときには、まずは周囲に遠慮することでは無く、解決策を考え、実行することを優先とする。

そういう姿を子どもに見せるべきだと思います。

人生経験豊富な大人なのですから、「遠慮」を捨て去ればなんらかの案は浮かぶはずです。

子どもと一緒に解決策を相談しあうのもとても良いと思います。

あぁでもない、こうでもない、そうやって親子で話し合う時間は、子どもの気持ちを軽くする最善の策でもあるとも思います。


1人で強く踏み出していくには成功体験だって必要です。


そして最後の手段は、、、

どうも芯の強そうな、そして子育てに積極的な、そんなクラスメイトのお母さんに相談すること。人物を見極めることさえ出来れば、それも時には有効だったりするはずです。


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自分の子どもに対し「こう育って欲しい」という願いがあるならまずは自分が実行する。

手を変え品を変え、現状を改善できるよう創意工夫しつつ、周囲の人たちに相談しつつ、前に進めるよう模索する。


でも、それが出来なくてもいいじゃない。あなたにはあなたなりの良さがあるように、その子にはその子なりの良さがあるはずです。


大人たちが無意識に作り上げている子どもの理想像と比べながらその子に足りないと感じることに目を向けることでは無く、その子が持っている素敵なところをどんどん見つけてあげましょう。


それこそがその子の力となっていくはずです。


子どもに強さを求めるのであれば、その前に大人はもっと強くあるべきなんですよね。


でも、強くなくたっていいじゃない。

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