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人生という名のMMORPGを振り返って自己紹介してみる

noteのプロフィールという欄が以前から気になっていた。書いている人もいるし、書いていない人もいる。たぶん書いた方が良いんだろうなあと思いつつも、タイミングを完全に見失ってしまってズルズルと来ている

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で、しばらく何か良いきっかけがないかと探し続けた結果、本日3月5日に誕生日を迎えたので「これは絶好の機会!」と意気揚々と書き始めたわけである。本当は未来に向けて希望のある話を書きたかったが、どうも先行き不透明なので過去を振り返りつつ自己紹介することにした。

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ちなみに、アメリカでアルコールを摂取できる年齢になった。年齢を開示すると年上の方々からは「このガキめ…」と煽られ、年下の方々からは「老害!」と煽られるため百害あって一利なしなのだが、今回の内容的に必要な情報なので明らかにしておく。

また、少し話は変わるがアンケートサイトなどの個人情報の更新をしていたところ、高校生あたりまでは私の趣味の中でも「ゲーム」がかなりの割合を占めていたことを思い出した。

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大学に入学してからはあまり時間がなくたまーにSteamのインディーゲーをあさる程度になってしまったが、小学生〜中学生の頃はそこそこのヘビーユーザーだった。せっかく「ゲームで自己紹介」なんてタグがあるので、ゲームとの思い出も絡めながら進めていきたい。

誕生

さっそく本編開始。時系列順に振り返っていく。時は2000年。世界最大のMMORPG「人生」の21世紀大型アップデートが実装されるとのことで、さっそくプレイ開始。東京都東村山市にスポーンする。

1日違いの3月4日にはPlayStation2が発売されているが、我が家にやってきたのは随分後になってからだったと記憶している。
私とほぼ同時期に家に迎え入れられたのは1998年発売の初代iMacで、こいつとは長い付き合いである。

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しかも、私が初めてゲームというものに触れたのもこのiMacを通してだったりする。プレイしたゲームはBugdomという3Dアクションゲームで、操作性の悪さも相まって幼少期の子供にとってはなかなか鬼畜な難易度だった。

初めて遊んだゲームが任天堂でもSONYでもなくPCゲームで、しかもMacintoshというのはなかなかギーク感があるのではないかと勝手に自画自賛している。

就学前

その後、しばらくしてから保育園に入園することに。世の中には「幼稚園卒vs保育園卒」という意味のわからない争いも存在するが、保育園の方が治安が悪い傾向があるのは事実だと思う。
私と仲の良かった友人も在日朝鮮人だったりと、ある意味多様性が入り乱れた環境だった。(ちなみに「じょじょ」という名前は彼に影響を受けたものだったりする。意外にも歴史が長い。)

正直なところ保育園の記憶などほとんど残っていないが、聞いたところによると「周りの評価に左右されずに自分の価値観を大切にしていた」とのこと。それって完全に浮いてるってことじゃあないか?幼少期から人と関わるのは苦手だったらしい。

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就学

で、次に地元の公立小学校に入学することになる。ちょうどこの頃にニンテンドーDSが流行りだし、私もDS Liteで任天堂デビュー。

ポケモンで言うとダイパ世代にあたる。周りにはダイパリメイクで盛り上がっている人もいたが、さすがにXYあたりからは追えなくなってしまった。

その後高学年あたりになってくると、「他人と同じことをやりなくない病」が悪化しレトロゲームに手を出し始めることになった。
父親がそこそこのゲーマーだったということもあり、元から家で眠っていたSFC、64、GAMECUBE(Wiiを使った)、PS2あたりの名作ゲームを中古で買い叩いて遊ぶというなんとも経済的な遊び方をしていた。そんなわけで、ゲームの思い出話だと30代あたりの方々と意気投合することもあったりする。

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ちなみに「他人と同じことをやりたくない病」は普段の学校生活にも影響を与えていた。例えば服装。どこのクラスにも1人くらいは「通年半袖短パン少年」がいたと思われるが、あれが私だ。
他にも自由帳に延々と迷路を書いたり、消しゴムでず~と遊んでいたり……と、黒歴史を掘り起こすのはやめておこう。とにかく、周りからは変わった人扱いだったと思う。

とはいえ、小学校という環境ではコミュニケーション能力ゼロでも友達ができるため、勉強に困っていなかったこともあり小学校はそこそこ楽しかった記憶がある。

その一方で中学はなかなか環境が悪かった。中学受験など1ミリも考えていなかったため普通に公立中学に進学したが、とにかくカオス。トイレのドアが蹴破られたり、牛乳瓶が窓から投げ捨てられたり、市内の別の中学では死亡事故が起きるなど、この街の将来が危ぶまれるレベルだった

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その後、そういった輩は無免許運転で逮捕されたり、無事に珍走団と化したり、逆に真っ当に生きるなど様々だが、とにかく東村山はあまり治安が良くないみたいだ。去年の成人式でも、「ほんとにここは令和ですか?」というレベルで時代錯誤な集団をたくさん目にすることができた。

ちなみに以前記事にしたが、中学生になってからは激安タブレットオンボロPCでゲームをするようになった。特にMinecraftにはかなりの時間が吸い取られていったが、他にもHearts of Iron II(HoI2)というかな~りコアなストラテジーゲームにもどっぷりハマってしまった。

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HoI2は第二次世界大戦を扱っているため、1930年代~40年代の歴史イベントにやたら詳しくなるのに加え、ゲーム中はずっと世界地図を眺めることになるため地理の丸暗記にも役に立った。さらにこのゲーム、かなり簡単に自作MODが作れるようになっており、プログラミングに興味を持つきっかけになるなど私の人生に1番影響を与えたゲームかもしれない

話は変わって勉強面。小学校の頃と同様に勉強で困ることはあまりなく、とはいえガリ勉というわけでもなく、平均よりは上というレベルで安定していた。HoI2の影響もあって社会が1番の得意科目で、ここだけは学年トップ争いにも参戦していた。
しかしながら将来を見据えて定期考査以外にも勉強する……といったことは一切なく、中3の夏になってもわちゃわちゃ遊んでいた。今考えると意識低すぎる。

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定期考査では点が取れていたものの受験対策はしていなかったおかげで、12月という直前期の模試で無事に志望校D判定を叩き出す。「こりゃあガチでやばいね」となってようやく勉強っぽい勉強を開始。自慢ではないが基礎力はあったため、過去問の演習と分析、都立入試用の教材をやったら1ヶ月くらいで合格圏に達した逆に言うと今まで勉強しなさすぎである。

で、安心して入試に望むものの、試験当日になぜか道を間違えて遅刻しかけるというウッカリをやらかす。なぜ道を間違えたのが未だにはっきりしないが、とにかく試験の結果に影響はなかった。

高校進学

そんなこんなで高校に入学。偏差値的にはすでに述べたように平均よりは上というレベルで、自称自称進学校といった感じだ。
家からチャリで20分程度という近さで志望したわけだが、やはり学校も職場もチャリでサクッと行ける距離が1番良いと感じる。

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というかここまでの情報で出身高校がバレるどころか、個人まで特定可能かもしれない。特定しても何のメリットもないがネット探偵の方は挑戦してみると暇つぶしになるかもしれない。

そんなこんなで消極的な理由で進学した学校だったが環境としてはとても良く、勉強も遊びもなんやかんやで充実していた気がする。
特に勉強については初回のテストで今までに見たことのない順位を取ってしまい、火が着いてかなり必死にやった

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その一方で、「勉強だけではいかんよね」と部活の会計で走り回ったり、委員長になって権力を振りかざしもしていた。
図書委員では図書室の民営化に伴う大幅な構造改革を行った結果、委員会の業務は激務と化したが私が犯人だと知る人はほとんどいない。さらに言うと、委員長の仕事がほとんど無かったこともバレていない。この真実が明るみに出たらブラック委員会に苦しむ後輩に暗殺されるかもしれない。

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そんなわけで高校時代はそこそこ忙しく、あまりゲームにどっぷり浸かる時間はなかった。(というかどちらかというとアニメに時間を取られていた)
とはいえ、BTOでデスクトップPCを組んだこともありSteamのゲームはちょくちょくプレイしていた。

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ソシャゲーもある程度はやっていたが、ほとんどは周りでやっている人がいるから惰性で続けるだけになっていた。
いずれにしろ、レトロゲームあさりをしていた頃と同様にほとんどお金がかからないので大変経済的だった。

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経済的と言えば、保育園から高校まで公立に通い、しかも塾にも習い事にも通わなかったため私の人生は大変コスパに優れている気がする
個人的には面倒だったので通わなかっただけなのだが、なんやかんやで塾の費用は馬鹿にならないと塾講師の立場になってから実感している。塾に行く時間を使って自宅やら学校やらで勉強すれば良さそうなものだが、実際そううまくいかないのだろう。

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で、勉強・進路の話になる。中学と同様に社会が得意だったため当然文系に進む……と思いきや、「プログラミングとかAIってかっこいいよね」と言い出し理系に進むことになった
しかも「大学ではシティボーイになりたい」と謎の意思を持ち都心の某私立大学を目指すことに。周りからは国公立(東京某大学とか某大学某とか)を目指すよう勧められたが、「緑が多いと芋虫が落ちてきそうで嫌だ」と断固拒否した。

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(お茶女を志望校にしたら模試でG判定とかいう答えが返ってきた)

大学のお話

で、入試の結果は残念なことになり、3年の10月あたりに「ここでも情報系学べるじゃん!」と急遽志望校に加えた緑豊かすぎる大学に進学することになった。
芋虫どころか、シーズンによっては毛虫がぼとぼと落ちてくる地獄絵図が広がる素晴らしい環境だ。中には哲学の授業を最前列で受けていた毛虫もいたが、授業料を払っていないので追い出されていた。聴講くらい許してあげればいいのに。

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そんなわけで最初は不本意な進学だったが、教育システムが大変素晴らしく、勉強の環境としてはこれ以上ないレベルなので今では「元からここが第一志望だったのでは?」と思うほど気に入っている。全体的に変人が多く、チャリで通える(片道10km以上あるが)のも個人的には評価ポイント。

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また、ここ以外の大学に通っていたら留学に行ったり海外旅行で遊びに行く機会もなかったかもしれない。
大学に入ってからも「コストがかかってるからパフォーマンスを上げなければ!」とコスパ志向で勉強しているが、この価値観を見つめ直す経験を何度もすることができた。こういった貴重な機会を提供していただいていることには改めて感謝したい。

改めて自己紹介

そんなこんなで我が半生を振り返ってみた……が、ここまで来て内容の薄さに絶望しつつある。しかもあまり自己紹介になっていないため、ここで改めて書いておきたい。

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元々は「ゲーム」が趣味だったが、現在は「旅」「ガジェット」あたりがメインになっている。noteの記事もだいたいこの2つ。(最初は「旅」メインだったが弾切れ感がある。)

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他には旅とセットになる「カメラ」「鉄道」、自転車移動が多いこともあり「サイクリング」あたりも趣味に入る。

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「アニメ」や「マンガ」あたりは時間がなくて全く追えていない状況だ。思い出話くらいしか語ることができない。
アカデミックな話になると、専攻は情報系機械学習がメインになるが(この括りも広すぎる)、学問つまみ食い大好き人間のため文系の話題でもわりと飛びつく。文化人類学観光学あたりはかなり好物だ。

おわりに

最後にどうでもいい話だが、最近珍しく物欲が湧いていたため自分用に誕生日プレゼントを買ってしまった。OculusQuest2である。

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少し遊んでみたが、なかなかえげつない勢いで時間が溶けていきそうだ。月末に英語の試験があるため、終わるまでは封印したほうが良いかもしれない。でもその後も院試やら卒論研究で忙しくなるな……まあ、息抜きに遊ぶようにすればいいだろう(フラグ)

……といったところで今回はここまで。

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