信仰の分かち合い

『信仰の分かち合い』

いや、人としての分かち合い、真の人間関係に直結する話だと思います。

その意味するところはそもそも一体なんでしょうか?

様々な意味が考えられると思います。

私はキリスト者ですので、信仰の話からしてしまうことをご容赦ください。

私の考える信仰の分かち合いとは、互いに聖書を読んだり御言葉を味わうだけでなく、
お互いの信仰の在り方を話し合い本当の信仰とは何かを問い直したり確認し合ったりする事にあると思っています。

そして、ここからが信仰云々関係なく誰しもが大切にする課題であります。

すなわち、互いの人間を知る、生きてきたバックグラウンドを知る、そして理解しようとする、全人的交わりが何より大事な事だと思っています。

そして、互いに教え戒め合い、互いの重荷を負い合う、それらをしてこそ本当の意味での信仰の分かち合いであり友であり真の人間関係の在り方であると思っています。

真の人間関係を成り立たせるには、

いかに<互いに>という精神が大事かがお分かりになるはずでしょう。

そして、いかに聖書が教える教えが素晴らしいものであるかもお分かりになるはずでしょう。

聖書とは、唯一の創造主である神によって造られた人間を証しする書でありますから。

ですから、聖書とは単なる神の宗教書ではなく、人間存在や人間の在り方を教える書であり、人間学を教える唯一無二の書である、と言えるはずでしょう。

<わたしが道であり、真理であり、また命なのです。>
(聖書/ヨハネの福音書 14章6節)

※※出典は聖書。『分かち合い』の考え方は私の一意見自論です。

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