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過去を現代の価値観で問えるか否か。

small bear@Pooh_advanced
現代の法が過去にも有効だなんて現代人の価値観では認められんよ。
無効な法を使った判断が有効だなんて現代人の価値観では認められんよ。
これは誰も否定できんの。
(苦笑)


に対して、

sas_mi5@Mi5Sas
それ以上に「無効な法を使った判断が有効だなんて現代人の価値観では認められんよ。これは誰も否定できんの。」
これが彼らネットウヨによる社会問題。この法の不遡及の原則の拡大解釈を頑なに信じているので歴史的な事の反省ができない
慰安婦問題や南京事件を反省する事も出来ない

とコメントを返している。

さて、この【sas_mi5@Mi5Sas】氏の【言及】にどれだけの方が頷いただろうか。
結構多くの方が賛同されたのではないだろうかと推察する。

現代は、【倫理観】が【主体】となる【社会思考】が優先であり、米国のミネアポリスやアトランタでのアフリカ系アメリカン人をヨーロッパ系の警察官が殺害した事で、【倫理上】の【問題】としての【差別】への【抗議】が主体となって、【抗議デモ・略奪・放火・破壊(コロンブスの象などが破壊されたりしている)】が行われている。(注:この記事を書いたのが2020年6月16日なので現在進行形)

そもそも【何故】【被疑者】が【連行】されようとしたのかという【冷静】な分析は、論外となり【殺害された事実】だけが、【倫理観】に沿わないとして【問題】となったのである。
現代社会が、【倫理観】による【感情】が【主因】となって【社会規範】が形成されつつあると考えられる。これは、アメリカだけの問題だけではなく、日本を含めて同様である。
【倫理観】は、何かの【法体系】のように、【倫理法典】があるわけでもないし、各国の宗教なども絡んで様々である。にもかかわらず、社会の【規範】に大きな影響を与えることになっている。

確かに、過去に於ける1937年の南京攻略戦で、城外で行われた【敗残兵】及び【捕虜】の【処刑】などは、【倫理上】問題がないとは言いきれない。他に方法がなかったのか、当時の軍事担当者はもっと検討をしたのかという意味でも【現代人】が見れば、確かに【倫理上】問題があるともいえる。【従軍慰安婦】という追軍売春婦の募集と契約上で、何か問題がある業者が絡んで居たことの瑕疵や、2.26事件等の切っ掛けとなった【昭和恐慌】による東北地方の農家の娘さん達が身売りをせざるを得なかった状況を考えれば、そもそも【倫理上】同じ行為をやっていいのかという問題はある。
他に方法はなかったのかと言えば、当時の日本国の為政者(高橋是清など)が、経済復興を目指している最中に、愚かな【日本軍の青年将校】が殺害したことなどから、【無知】による行動で、さらに傷口を広げていったのも原因の一つで、当時の経済学の東大・京大の主流であった共産主義経済がけっして当時の日本国の現状を救ってくれるわけでもないことも現在は判っている。
【倫理上】において、病人の【病】が、数分で治る奇跡はないのと同じように何事も【時間】がかかる。
同じように、現代人の【倫理観】も又、数分で【形成された】分ではない。長い歴史と【教育】の経過で成されたものであり、【時間】がかかっている。

つまり、【当時】を測る側面として【倫理観】が適用できるかというと、【歴史】を【科学】の【学問】として見る場合は、【倫理観】というのは、【尺度】の一つであって、【全て】ではない。

この事を踏まえて、いただいて次に話を進める。
最初に挙げたやり取りで、【価値観】を【倫理観】に置き換えたが、実際には書かれいない。書かれているのは【法律】である。
その【法律】も、南京攻略戦では【国際法】であり、慰安婦は日本国の【国内法】である。
多くの方は、国際法と国内法を【法】とついているので、混同される方がおられるが、大きな違いがある。
【国際法】は、【合意法・相互法】という【協定・条約】という【約束事】である。
【国内法】は、【国家】が【強制力】を持って【義務】と【保護・拘束】をおこなう【約束事】である。
前者は、約束が破られれば、破られた相手国側が、破った相手国側に約束を守るように要求し、もし守られなければ、ペナルティー(最終的には武力を用いても)を相手国に与える。それができなければ泣き寝入りである。
後者は、個人・団体が破れば、国家がペナルティーとして強制的刑罰を与える。国家の構成員としての個人・団体は逃れることは出来ない。

国際法・国内法問わず法律についてもう一つとても大事なことがあり、【罪刑法定主義】というもので、それは【罪科】が【法律】として定まっていなければ、何人も【裁判所】で【即席】で作った【刑罰】により【刑罰】を与えられない【文明国家の基礎】である。
【西欧】は【キリスト教】を背景とした【契約】の文化を持ち、【国家】と【個人】が【契約】を結んでいることが前提となっているからである。
これは、【30年戦争】以後の世界の【法】の発展で、【形成】されてきたことで、【文明国家の基礎】であり、【現代】でも【社会の基礎】になっている。これは【法の不遡及】と呼ばれる事もある。最初に提示した文面に出てくる。
これは【政治】や【裁判官の利益】によって、【不当な判決】を防ぐ為に出来たもので、【人道上】の【倫理観】としてとても重要なことでもある。
存在しない【法律】で、【人】や【国家】【団体】は裁くことが出来ない。
これが、【30年戦争】以降のヨーロッパや国際社会を形成してきた【文明国家の基礎】であり【倫理観】でもある。

【これが彼らネットウヨによる社会問題。この法の不遡及の原則の拡大解釈を頑なに信じているので歴史的な事の反省ができない】という【sas_mi5@Mi5Sas】氏の言及について、【法の不遡及の原則】と【歴史的なケースへの反省】とは、全く関係が無い。
1998年7月17日に、国際連合全権外交使節会議において採択された国際刑事裁判所ローマ規程(ローマ規程または、ICC規程)に基づき2003年3月11日、オランダのハーグに国際刑事裁判所(ICC)が設置された。
ここでの1998年のローマ規程(ICC規程)【戦争法規違反】=【戦争犯罪】であり【刑罰】を与えることが明記され、別に【ジェノサイド】という【民族浄化】も【犯罪】として【刑罰】を与えると規定された。
そしてこれが【現代社会】、【国際社会】の【法的基礎】にもなっている。
では、この【ローマ規程】が【法の不遡及】を謳っているのかというと、実は謳っていないし、国内法のように【強制的な拘束力】を持ち得るかというと【全く持ち得ない】。それが現実である。
【国際社会】の【認識】は、【法の不遡及】が現代でも【支持されている】。これが現実である。

【sas_mi5@Mi5Sas】氏の【この法の不遡及の原則の拡大解釈を頑なに信じている】という言及が、国際社会の一員である【日本国】も【アメリカ】を含む【ヨーロッパ】、【アジア諸国】においても、【大原則】であり【不変の原則】とも言える。
過去に遡って戦争犯罪やジェノサイドを問題とするならば、1998年より前の日本・ドイツを裁いた【戦争裁判】を除く、ベトナム戦争、中東戦争、アフガニスタン戦争、ソ連のポーランド侵攻、中国共産党と蒋介石国民党との戦争、朝鮮戦争、中国共産党の【天安門事件】【文化大革命】におけるジェノサイドなども問われるべきであるが、そのような事は行われていない。
唯一カンボジアのポル・ポト派によるジェノサイドについては、現在審理する前に、国連とカンボジアのどちらで裁判を行うかとその予算で揉めている。
つまり、カンボジアでは【法の不遡及】の【原則】を無視して【裁判】を行ったが、法律家の間では画期的な事であったかも知れないが、非議じゃの年齢的要素や予算的要素、汚職、種々の問題も起こっている。
では、その他の国々は追随しているのかと言えば、ダンマリで、【法の不遡及】をこえて【過去の戦争】について【積極的】に行っているかと言えば、行っていないので【国際的なコンセンサス】であると言う事にはならず、カンボジアの特例と言える。

これを踏まえると、1946年の【極東国際軍事裁判】や【南京軍事法廷】、その他諸国で【日本軍人】を裁いた【軍事裁判】の【法的根拠】は存在しなかったことになり、これは【政治】や【裁判官の利益】によって、【不当な判決】を防ぐ為に出来たもので、【人道上】の【倫理観】としてとても重要であった【法の不遡及の原則】を【破棄】した不当な【裁判】だったと言う事が判る。
南京事件という【南京暴虐事件】で処刑された松井石根大将の【判決文】には、【犯罪的責任】などと書かれている。
つまり明確な【犯罪】ですらない、【責任】で【処刑】されたのである。【現代の倫理観】が問題であるならば、当然ながら【倫理上、人道上に問題のある】判決と処刑であったことが判るのではないだろうか。しかも【再審】も認められない極めて【人権無視】の行為であったと考えられる。
東京裁判史観を支持する人々やリヴェラルを自称するかたは、【人権派】【人道】という【倫理観】を良く言及される方はその点について何等言及されないのか不思議である。

国際社会は、【矛盾】や【不条理】で形成されていて、【正義】よりは【パワー(経済・軍事・思想)】で物事が動いている。
この【sas_mi5@Mi5Sas】氏のような傾向の思考を持つ方が【反省】したいのなら、したいだけ【反省】しても構わないし、大いに【反省】して貰って結構である。
ただ、一般的に言って、【反省】の方向性は【違う】と考える。
現実を見る際に、【倫理観】から生み出される【感情】だけではなく、【冷静】【客観的】な当時の分析が求められいる。【歴史学】のように、学問という領域からは、過去を知ると言うことと【倫理上】から生み出される特異な【反省】とは無縁のものであることは言う間でもない。

こういった【目の前の事象】に対する【無知】からくる【感情的な行動】は慎むべきであり、アメリカやヨーロッパの現状を対岸の火とせずに【状況】を【冷静・客観的】に分析し、【落ち着いて行動する】ようにすべきである。

それは【過去の日本軍】の【行為】を【絶対悪】にしたいという人々の言葉に惑わされないような【感情】にとらわれることない、バランスのとれた人間形成がなされるよう【大学】【高等学校】【中学校】【小学校】での【教育】を切にお願いしたいものである。
(まぁ、現状を鑑みると極めて絶望的ではあるが...)

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