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説明科学哲学者でもあるPopperが提唱したものには二つ

論文『Budapest Open Access Initiativeの思想的背景とその受容』より
(岡部晋典, 佐藤翔, 逸村裕 共著)

2.2 Popperによる説明科学哲学者でもあるPopperが提唱したものには二つのよく知られた概念がある.
一つは,科学と疑似科学の境界設定問題である「反証可能性」[19]であり,もう一つは「開かれた社会」[9]である.反証可能性とは,「科学的理論は自らが誤っている可能性についてのテストを考案し,実行することができる」というものである.一方,疑似科学は自らが誤っている可能性についてのテストを考案できないか,ないしは,自らが誤っている可能性を認めず,常にアドホックな言い逃れによって理論の延命を図るという.この,自らが誤りを認めることができるからこそ「科学的」であるという考え方は,Popperが1934年に独語で上梓した『探求の論理』(Logik der Forshung)や1959年に前掲書を英訳した『科学的発見の論理』(TheLogic of Scientific Discovery)で広く知られるようになり,現在でも,疑似科学と科学の線引き問題でもっとも引用される概念である[20].

(Wikipediaより)
カール・ライムント・ポパー(Sir Karl Raimund Popper、1902年7月28日 - 1994年9月17日)は、オーストリア出身イギリスの哲学者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授を歴任。社会哲学や政治哲学にも言及した。純粋な科学的言説の必要条件としての反証可能性を提唱した。フロイトの精神分析やアドラーの個人心理学、マルクス主義の歴史理論、人種主義的な歴史解釈を疑似科学を伴った理論として批判[1]。ウィーン学団には参加しなかったものの、その周辺で、反証主義的観点から論理実証主義を批判した。また、「開かれた社会」において全体主義を積極的に批判した。
ポパーは1902年にウィーンの中流家庭で生まれた。元来がユダヤ系だった両親はキリスト教に改宗しており、ポパーもまたルター派の教育を受けた(ちなみに彼の父は愛書家で、書斎には1万2千から1万4千冊の本を蔵していたらしい)。1928年にウィーン大学にて哲学の博士号を取得し、1930年からの6年間、中学校で教鞭を取った。その1年後、『科学的発見の論理』 (Logik der Forschung) で心理学主義や自然主義や帰納主義それから論理実証主義を批判した。また、言説が科学たらしめられるところの必要条件としての反証可能性を理論として発展させた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%91%E3%83%BC

[9] Popper, Karl R.(内田詔夫, 小河原誠訳):「開かれた社会とその敵」,未來社,380p.,1980.
[19] Popper, Karl R. (小河原誠, 蔭山泰之訳):「実在論と科学の目的」,岩波書店,370p.,2002.
[20] 伊勢田哲治:「疑似科学と科学の哲学」,名古屋大学出版会,282p.,2002.

#南京事件 、#南京虐殺、#南京大虐殺、#東京裁判史観、#近代史

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