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YouTubeを観終わった後に出る“ため息”を考える

僕だけじゃないと思うけど、ちょっとしたリラックスを求めにyoutubeを観てしまう人は多いような気がする。

現実逃避っていう意味もあるのかな?
何も考えずにぼーっと観て、頭を空っぽにしたいのかもしれない。

僕の場合、簡単に笑えそうな動画を観てしまう傾向がある。

そしてもちろん観ている時は、それなりに楽しい。

外から見るとニヤニヤ笑ってそうだし、ときどきお腹を抱えて爆笑することもある(かなり少ないけど)。

でも、見終わるとどうか。

なんだか消耗した気持ちになる。
YouTubeを観ることでさらに疲れが溜まってしまったような。ため息が出てしまう。

この感覚何か似てるなーと思ったら、テレビを観た後だ。

今はあんまりテレビも観ないけど、特に学生の頃は退屈な時テレビを観ていたような気がする。

そして見終わった後にため息をつく。はーっと。

この感情はなんだろう。

楽しいという感情を受け取るために、テレビというメディアから情報を受け取ったくせに、受け取ったらため息が出てしまう。

理由の1つは疎外感かなって思う。

例えば、お笑い芸人が集まってトークをするという番組があったとする。

それぞれ話をして笑いが起き、トークに対して突っ込んだり、手を叩いて笑ったりする。

その姿を見て自分も笑うけど、実際には自分は参加していない。

テレビを観ている時は疎外感を感じないけど、電源を切って沈黙が訪れると、一気に疎外感が訪れる。

YouTubeもこれも同じかもしれない。

僕は参加したことがないけど、SNSのライブにはきっとそれはない。

主催者がいて、たった今、観ている人も大勢いる。

主催者に対して自由にコメントができることで、自分と同じ人がたくさんいるんだなって思う。

疎外感を感じる代わりに、一体感を感じるのかな。

でもその一体感は心を満たしてくれるものなのだろうか。

・・・そうか。僕は心を満たしたいし、心が満たされないとYouTubeで安易に「心」を満たそうとするのか。

これを人生に置き換えてみると、自分がどういう人生を送ると幸せかってわかるかもしれないな。

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