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#4心身と痛みの歴史

Noteのページにお越しいただきありがとうございます。
今日は心身と痛みの歴史について書いてみます。

身体は心と繋がる話をしましたが、痛みとの関連を説明するためにもう少し昔の話に戻していきたいと思います。

痛みは、私が知っている限りではもとをたどると「紀元前」まで話が遡ります。

最初に痛みに対してアプローチを考えたのは、ヒポクラテスだと考えられます。医学を学んだ方なら一度は聞いたことがある方だと思います。紀元前5世紀から4世紀にかけて活動されています。

有名な提言としては、「四体液説」があります。人の身体は、血液、黒胆汁、黄胆汁、粘液の4種類でできており、これらのバランスが崩れることによって、体調が崩れると考えていたようです。そのため、治療法では断食や嘔吐を用いたりして、体内の状況を変化させていたそうです。

現在では、ファイスティングという食事を制限する方法がありますが、一部断食と繋がるところがあるかもしれません。

次に紀元前4世紀から3世紀にかけてアリストテレスが活動しており、痛みに関して哲学的な分析を行っています。

“痛みは感覚というよりむしろ快感の情動である”

つまり、痛みは現在私たちが捉えているような痛い“感覚”ではなく、快・不快といった感情の一種だということです。この考えはかなり長く支持されていたようです。心理学の基礎の部分で感情の分化ということを学びますが、人の感情は怪の感情よりも不快の感情が先に分化しています。そのため、人が常にポジティブを維持するというのは発達学的には無理があり、本来、人はネガティブな側面の方を強くもっているという解釈をすることもできます。

少し話がずれましたが、痛みの解釈をする上で、アリストテレスの哲学的な分析も現代に通じることがあるように思います。

この考えは長く支持されていたようで、その後、前回も書いたデカルト(17世紀)の「二元論」まで続いていたようです。つまり、ここまでは心と身体は繋がっているという解釈がなされていたということになります。

文章の要約

そして、デカルトが痛みは「身体によって感じられる」という見解を示し、神経学的な基礎や感覚の機構について研究が進んでいくことになります。
少し専門的ですが、主な研究や理論の提唱は下記のようなものです。

• 1965 年の Melzack & Wall による Gate Control 仮説の提唱
• 1976 年の Perl らによる侵害受容器の感作
• 1979 年の Basbaum や Fields による下行性疼痛(痛覚)抑制系の研究
• 1980 年代には Woolf らにより,脊髄ニューロンの興奮性の上昇(中枢性感作) という概念
• 1980 年代後半には NIH の Bennett らにより神経障害性疼痛モデル

そして、2001年にアメリカ議会で痛みの10年間が採択されました。
痛みの10年をどう捉えれば良いかは熊澤先生の書籍や文章が非常に読みやすいので、この痛みの10年から何を学ぶべきだったかはリンクを貼り付けておきます。

アメリカの『痛みの10年』宣言から学ぶ

全てを書き出すときりがないので、このような背景が痛みの歴史にはあると知っていただけるといいかなと思います。そして、日本の痛み治療はというと、残念ながら随分と遅れています。

様々な痛みの研究や理論が発展してきたことで、痛みはデカルトが提唱した二元論のように別々で捉えられるものでないことは明らかになりました。原因のはっきりしない痛みがわかってきたという表現が正しいかもしれません。

急性痛と慢性痛は別々のものとして捉えなければならない。治療方法も異なる。効果のある治療とそうでない治療もわかってきた(慢性疼痛ガイドライン)

でもまだまだその方法が医療現場や民間療法に十分に用いられていません。

慢性痛にはさまざまな角度からのアプローチがあると考えられています。薬・神経ブロック・リハビリ・運動介入・心理療法・地域連携医療・各科連携医療・内科・整形・メンタルヘルスなどさまざまです。

どこまで私が慢性疼痛の改善のお役に立てるかわかりませんが、少なくとも理学療法士として専門的に学んできた徒手技術、運動療法、心理学で学んできたカウンセリングの両面で痛みの原因を探ることができます。

3ヶ月以上続く痛みでお悩みのスポーツ選手・愛好家の方、一般の肩こり・腰痛・頭痛の方がおられましたら、お気軽にご相談ください。

今週もみなさんにとって良い1週間になりますように。

藤井隆太


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