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読書感想『君の膵臓をたべたい』をタイトルだけで避けていた話

生きる意味とはなんだろうか、と最近よく考える。

人生も残りあとだいたい今の3倍。悪くても2倍は生きるだろう、と予想がつく。

将来の事を少しも考えていなかったといえば嘘になるけど、20代前半くらいまではまあそれなりに生きていくだろうと思い、目の前のことに流されて生きてきた。

徐々に同年代がしていく結婚やキャリアアップのための昇給や転職、どうなるかわからない老後のための資金繰り。

若い頃に比べ、なんとなくこれからどう生きていこうか日常に考えるタスクが増えたように感じる。

そんな時に、実写だけでなく劇場アニメ化までされたベストセラー『君の膵臓を食べたい』が目に入った。

住野よるさんの作品は8割程度は読んでいたが、デビュー作でもあり、大ヒットした本作は読んでいなかった。

この小説を読まないでいたのは理由がある。

それはなんとなく予想ができてしまうからだ。
臓器の名前、帯に書かれた「涙する」という表記、だいたいこういう作品は人が死ぬんだろうなと長らく読書をしている身からなんとなくどのような作品か予想がついてしまった。

個人的な経験だが、若い女性が病気にかかる小説はだいたい最後に死ぬ。もしくは奇跡が起きて助かる、という場合もあるのだが、何らかの病気をもとに、物語が進んでいくには違いない。

はじめから予想出来るものは、読む魅力が半減する。当時はそう思っていた。

加えて、当時斜に構えていた僕は、奇をてらうようなこのタイトルが苦手だった。

注目をあつめるための刺激的なタイトルは資本主義にまみれている!と心で毒づいていた。
(住野よるさんすみません…。)

今となってはコンテンツが溢れる大消費社会で、タイトルがいかに大事なのかも幸か不幸か少しは理解できるようになった。

なので、今更ながら手に取ってみた。

物語は山内桜良の葬式の場面からはじまる。

(最後だと思っていたのに、最初に亡くなったので心底拍子抜けした(笑))

そして過去を振り返るように、主人公は彼女と出会い、彼女が病気で余命いくばくかであることを知る。そこから主人公だけが病気の秘密を抱え、彼女が死ぬ日まで日々を過ごしていくことになる。

はじめは桜良を魅力的に感じながら読んでいた。

死を目の前にして、むしろその死を自虐的に捉えて会話の中に織り込んでいく様子は生の強さを実感した。

その咲良との会話に、冷静に返答する主人公。まるで往年の漫才師のようだ。
こういった会話劇も住野よるさんの作品の魅力だと思う。

そんな中、強い力には逆らわずに流されて生きている主人公が、流されるのも流されないことも選んでいる、と気づく。

流されていると思っていながらも、一つ一つの出来事には選択肢があって、それを主人公は選んでいる。

どんな境遇であろうと選んで生きている。

主人公と桜良の二人を通して、生きるとは選ぶことなのだと知った。

僕も、なんとなく生きてきたように見えて仕事でも生活でも選んで生きてきたんだなと今までを肯定できた。

そしてこれからも、たくさんの選択肢の中で自分で選んで生きたいと強く思った。

気温も少しずつ暖かくなり、終わりの春と同時にはじまりの春がやってくる。

妥協ではなく、意思で選んでいく。最後にいい人生だと思えるように、きちんと選んでいきたいのだと。

『君の膵臓を食べたい』を読んで、そう思った。


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