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読書感想『夏の終わりに君が死ねば完璧だったから』


「愛」の証明って難しい。

あなたを愛しているという事実を、明らかにすること。
そんなことできるんだろうか。

「愛してる」って伝えても、嘘なんていくらでもつけるって反証できる。相手を抱きしめようとも、物理的に本当に思ってなくてもできる。

いつも頭の中に存在する、ひねくれの悪魔が口を出してきます。

そしてこの『夏の終わりに君が死ねば完璧だったから』は僕の頭では到底不可能な愛の証明に挑んだ作品です。

舞台は人口1000人ほどの山に囲まれた集落、昴台。

財政をプラスにするため、昴台にはとある奇病のための特別な診療所が建てられた。

診療所を通りかかった少年、江都日向は入院患者である大学生の女性、都村弥子に出会う。弥子は診療所が建てられた要因である奇病、通称「金塊病」と呼ばれる、身体が金に変わる致死の病に蝕まれていた。

そんな弥子は日向に対し、チェッカーで一度でも勝てたら、3億円の価値のある私を相続するという賭けを持ちかけるのだ。そして、チェッカーをする日々を通じて、少年は弥子に恋をしてしまう。

簡単に言えば、必ず死ぬという運命を障害にして恋をするラブロマンスだが、単に恋愛小説に終わることではなく、少年には命題が与えられる。

それは弥子への好意という純粋な「愛」の証明だった―。


”弥子さんが好きだ。でも、僕はそれをどう伝えたらいいのか分からない。ただ好きだと伝えたところで、僕たちには先が無い。数年先を想像出来ない弥子さんに、どうやって愛を証明したらいいんだろう? あるいは、三億円の値がつけられる弥子さんに、どう愛を証明出来るだろう?”
p141


ただ愛していると伝えても、3億円の価値を持つ彼女にとって、相続する権利をもらうために、好き、という可能性も有りえるわけだ。

加えて、日向は事業の失敗により、働く気力を無くした父と、の奇病を収容する診療所の反対運動に精を出す母のもとに育っている。

その彼に対し、周囲はそんな両親のもとから立ち去るために、彼女に近づき3億円を相続するのではないかと憶測を立てる。

つまり、周囲には自分は金のために彼女のそばにいるわけじゃない、弥子にはお金になる弥子を好きにになったのではなく、弥子自身を好きになったのだと証明しなくてはいけないのだ。


この本を読むと、お金が絡むことって本当に厄介だなと思う。

お金って測るのに便利すぎる。高ければ高いほど価値があると思ってしまう。たくさんのひとが認めれば認めるほど、価値があるのだと錯覚してしまう。

はじめは楽しかったSNSもビジネスっぽいものが増えれば急に陳腐に見えてしまうし、好きなものが売れるほど、価値って薄れてしまう気がする。

もちろんそれはそれで、また違う形で還元されるのだろうけど、そうではない自分だけに価値のあるものなんだよっ!って言いたい。
けれどまたそんなことを言葉にすればするほど嘘くさくなる。


この気持ちをどうやって証明すればいいんだろう。

そんなことを感じている人は日向が弥子に向けて、好意を証明しようと苦悶する様子はただ単に物語として読めないと思う。愛を、または自分が感じている価値を証明することって本当に難しい。

しかしだからこそ考えたい。そんな人にぜひ読んでほしい。

さあ証明をはじめよう。


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