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読書感想『恋とそれとあと全部』で理論とか感情とかどうでもよくなった話



人って自然に物語を作ることがあるよなあと思う。

小説やドラマみたいなたいそうなものではなくて、もっと小さいもの。

例えば仕事で失敗した時、その時は落ち込んだりするけど、この失敗がいつか役に立って、同じような場面で間違えなかったり失敗を活かして成功したり。そんな風に自分が主人公の物語を自然とつくっていることに気づく。

いや、むしろその物語を作ることで、失敗から前を向き始めてるんじゃないかと思うのだ。

『恋とそれとあとぜんぶ』の主人公、「めえめえ」こと瀬戸洋平は部活に精を出す高校生。

彼は、下宿仲間でありクラスメイトの「サブレ」こと鳩代司に恋をしている。
サブレは自分の言った言葉に違和感があると言い直したり、なにかしてもらったら必ずお返しをするような、ちょっと気にし過ぎの女の子。

そんな彼女に誘われ、一緒に祖父の家に行くことになる。ただそれは、自殺した親戚の話を聞きに行くためだった。

なぜ、サブレは死んだ人の話を聞きに行くのか、恋と死に向き合う住野よるさんデビュー10作目の青春小説だ。

本作の中に自殺した親戚の家族に話を聞く場面がある。

その家族の母は夫が死んだのにも関わらず落ち着いているように振る舞い、いい人だったと話す。

ただ実際にはそんないい人なのか?とめえめえが疑問を呈するように、母の語る人間像とは違和感がある。そしてそう語る母に対し娘は声を荒げるのだ。

なんかどっちの気持ちも分かるなあ、と思った。
たとえ、夫がいなくなったとしても、母の人生は続いていく。

母には娘を育てていかなければならないし、いつまでも引きずってはいられない。それは極めて冷淡な様に見えるけど。

だからこそ、バッドエンドではない物語を作り、消化させたのだと思う。

ただ娘は違う。
父が死んだこと、そしてその理由はただの事実で、そこからせり上がる感情もきっと正しい。

大人になると感情より理論ベースで進めていかないといけないことが多い。むしろそうしないとあまりにも忙しい。

だから、娘は母のような、いい話で終わらせることが奇妙に思えるんだろうななんて。

母と娘、どちらが良い悪いではなく、そういうことってあるよなあという話。理論も感情も、その時々でどちらが必要なのかも変わる。

きっと恋もそういうもので、理論とか感情も全部ひっくるめて眼の前の相手に恋をしていると実感する。

『恋とそれとあと全部』はそういう恋の物語だ。


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