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決算の数字ありきで開発スケジュールを立てたゲーム開発プロジェクトの失敗事例をプログラマーの視点で振り返る

はじめに

こんにちは、デスプロジェクトソムリエです

世の中には見えてしまっている地雷を踏み抜かねばならない時がある
私にとってのそれは毎度のことではあるが、今回の話はまだ地雷を踏むのも慣れていなかった時代の話
もう何年も前の話になるのでそろそろ供養しておきたいと考えて記事として残しておくことにする
はじめに言っておくと、完全にエピソードそのままというよりは重要ではない部分は端折ったり改変していたりするのでそのつもりで

突然のリリース宣言

私はとあるデベロッパーA社へゲームプログラマーとして中途入社した
配属されたチームは同じように中途入社してきた人間を集めた既存スマホゲームタイトルの運営チームだった
しばらく安定的に運営はしていたのだが、時代はスマホゲームのリッチ化が進み始めていた時代である
案の定売上が良くなく残念ながらサービス終了となる事が決定した
残念な話ではあるが、これも仕事と淡々とクローズ作業をこなして終了の目処がたった頃合いで
「次のプロジェクトは新規開発タイトルでパブリッシャーを探している段階」
という話が入ってきた
これは楽しみだと思っていた秋頃のある日、突然上司であるディレクターからとんでもない話をされた

「これから数ヶ月で開発して年明けにはリリースする事になった。どんなゲームかはまだ決まってない」

初めから開発遅延が決まっていたプロジェクト

知らされた座組みとチーム構成は以下の形

パブリッシャー:エンタメ系企業だがゲーム開発は未経験(以下B社)
デベロッパー:A社(私が所属していた会社)

プロデューサー:A社役員。ゲーム開発事業責任者
ディレクター兼PM:上司。金融系出身でゲーム開発はA社が初めて。A社ではディレクターとPMは同じ人間がやるのが通例となっていた
プログラマー:5人。クライアント4人サーバ1人
デザイナー:1人。新卒
プランナー:1人。業務委託のみ

開発メンバー内訳


無理である。誰がどう考えてもまだ影も形もないゲームをこのチームで数ヶ月で完成させてリリースなんて正気じゃない
当然チーム全員ディレクターに食ってかかった
しかし、そんな事はディレクターも当然理解しておりそれでもやるということとの事だった
詳しく聞くと、次の決算の数字を良くするためにどこからか売上を持ってきて計上する必要があり、役員も無理筋だとわかっている
「十中八九、開発期間は伸びるから安心してくれ。先方には俺が頭を下げる」
という事を役員に言われたようでチームメンバーとしても渋々受け入れる事にした

開発初日からデスマーチ

とはいっても時間がない事には変わりない
どんなゲームにするか決めなくてはならない
B社と契約した時にはなんて説明したのか聞いたら、ほぼ中身のないプレゼン資料を見せられた
要約すると「A社の資産であるタイトルのライブラリを使う事で開発期間を圧縮する」という事しか決まっていなかった
この「A社の資産であるタイトルのライブラリ」というのは先ほど述べたサービス終了させたタイトルで使っているライブラリのことなので、近いジャンルのゲームにする事はすぐ決まった

しかし、このライブラリはほぼブラックボックスとなっており、詳細を知ってる人間は誰もいなかったうえにバグだらけでまともに使えない事はプログラマーであればすぐわかる事だった

そうと決まれば悩んでる暇などない
「開発を圧縮できるライブラリ」とやらを辻褄合わせのために早急に作り上げるほかない
こうして開発初日から休む暇もないデスマーチが開始した
ここから開発終盤まで連日徹夜&泊まり込みの生活が始まるのである


予定調和の開発遅延。そして狂い始める歯車

1ヶ月でα版を作り、2ヶ月でβ版を作り上げて納品した
ライブラリも同時進行でなんとか作り上げたが、所詮辻褄合わせに過ぎず、完成には程遠い状態だった
そしてマスター納品日が近づいていた頃合いで開発遅延の旨を先方に伝えたプロデューサーとディレクターの顔色がおかしい事に気がついた
どうしたのか確認しに行くと「パブリッシャーである先方がガチギレしている」とのことだった

責任者であるプロデューサーの思い描いてた展開とは違っており、先方は想像以上にお怒りになってしまったのである

そもそもなぜ、開発遅延しても謝れば済むと思っていたのかといえば、当時は「リッチ化が進んでいてクオリティ向上のために開発を延期する」という話は業界内でもよく聞く話だったからである
要はそういった「業界の空気」を前提としてしまっていた

しかし、先方はゲーム業界の企業ではない
そんな空気は知ったことではなく、先方はハードウェアも扱っていたことから「開発遅延=製造の遅れにより大損害」という認識だったことを完全にわかっていなかったのだ

そんなこんなで直接お詫びに行くことになり、明日にアポイントを取る事になった
そして、明確にプロジェクトの歯車が狂ったのはアポを取った後の終業後のことである
プロデューサーがディレクター含む僕達開発チームに向けて言い放った

「僕は明日用事があってB社へ行く事はできないからあとはよろしくね」

責任者不在の遅延報告

呆然とした
そう言った開発総責任者のプロデューサーはそそくさと帰ってしまった
可哀想なのはディレクターである
そもそも「俺が謝るから」と言われて始まったプロジェクトである

「十中八九、開発期間は伸びるから安心してくれ。先方には俺が頭を下げる」

数ヶ月前のプロデューサーの発言


いざその時になったら当の本人はその役目を開発現場へ放り投げてしまった
ディレクターもゲーム開発経験が豊富なわけではなく、まだ若手であるにも関わらず
あまりにも可哀想だったので結局当日は私を含むプログラマー2人とディレクターでB社に赴いたのである
B社の担当役員はニッコリと、しかし目は一切笑っていない表情で一言こういった

「プロデューサーの〇〇さんは今日どうされたんですか?」

チームの崩壊

そこからは速かった
チームの空気が最悪になり、ある日突然ディレクター兼PMをしていた上司が一切の連絡なく出社しなくなってしまった
どうやら鬱を発症してしまって布団から出ることができなくなってしまったようだった
次は業務委託のプランナーもおかしくなってしまった
「部屋を巨大な鼠が這い回ってるんだ」
と言い残して出社しなくなってしまった

こうして、チームから企画職が1人もいなくなった

リードプログラマー兼リードデザイナー兼リードプランナー。三足の草鞋

そもそも、デザイナーも新卒一年目の社員しかいなかったのでイラスト発注管理、クオリティ管理やUIデザインの監修は私がやっていた
そこに企画職が消えてしまったことで、それまでリードプログラマーをやっていた同僚がディレクター兼PMとなり、私がリードプログラマーを引き継いだ
しかしプランナーもいないのでそれも私がやる事になった
その時点で他のプロジェクトからのヘルプ要員が来なかったのは他のプロジェクトも似たような話で炎上してたからだ

こうしてリードプログラマー兼リードデザイナー兼リードプランナーという三足の草鞋をはく事になった

その状態で2ヶ月ほど経過したある日、プロデューサーがチームメンバーを集めてこういった

「こうなったのは僕の責任だ、僕がなんとしても状況を打破出来るプランナーを連れてくる」

信用するメンバーは誰もいなかった
そしてその判断は正しい事がすぐ証明される事になる
プロデューサーが連れてきたプランナーは今年専門学校を卒業したばかりの新人プランナーだったのだ

結局、プランナーは自分達で見つけた業務委託さんにきていただける事になり、上司の失踪から3ヶ月ほど経過した後にリードプランナーは引き渡すことができた

リードデザイナーも同時期に他のプロジェクトの人間をなんとか引っ張ってきたことで解決し、その後はイラスト監修のみを担当する事になった

途中から専任のPMとして他のプロジェクトのPMがやってきたことで、ディレクターとPMの兼任状態も解消された

度重ねる遅延の末のリリース

開発スタートから9ヶ月ほどが経った
メンバー全員満身創痍だったが、なんとかリリースすることが出来た
その間も何度かB社へ頭を下げる事にはなったがその際はB社からプロデューサーが名指しで指名があったため、私や開発現場のメンバーが先方へ赴く事はなかった

終了してみれば9ヶ月でリリースも相当速いものだが全員ベストをつくせたと全員が思っていた

ちなみに、当初の目的である決算までには数字を上げることが出来たがいくらかA社持ちでの開発費は出てしまったが重要な決算には間に合ったので会社としてはギリギリセーフとの判断だったようだ

そして迎える当然の結末…

当然のことながらそんな開発を経たゲームが売れるはずもなく、リリース後暫く経った後にサービス終了が決定した

サービス終了が決定すると、1人、また1人と会社を退職する人が出始めた
僕もそのうちの1人だった
サービス終了後、そのプロジェクトのメンバーだった人は1人残らずいなくなっていた

なお、その後すぐ開発総責任者のプロデューサーも他のベンチャー企業へ役員として転職したそうな

この一件から得るべき教訓

  • 決算基準で決めた開発スケジュールは絵に描いた餅である

  • 取引先に不義理な対応をする人間は社内にも不義理である

  • 偉い役職についているからといって信頼出来るとは限らない

  • 畑違いの会社と取引する際は一層慎重にならなければならない

どうすればよかったのか

プログラマーとして、ライブラリ設計の改善点や開発フローの甘さなどは挙げ始めたらキリがないがプロジェクトの進行に関してはメンバー全員がベストを尽くしていたと今でも考えている

強いて言うならば、そういった環境はすぐさま物理的に距離を取ってしまう(退職)するのが心身ともに健康でいられる秘訣ではないだろうか
私は結局このプロジェクトのストレスで10キロほど太ってしまった
これを呼んだあなたに、もし似たような話が出てきたら要注意である


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