中島義道のインタビュー記事を読んで
https://www.bookscan.co.jp/interviewarticle/177/all/
中島氏「例えばイチロー選手も、もちろん大変だと思うけれども、私の考えでは好きなことをやっているんだから年収200万円ぐらいでいいと思うんですよ。それよりも他人のために頑張っている看護婦さんや消防士に何億でも払えばいいと思う」
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年収200万はさすがに安すぎる(他にも好きなことするのに多少散財しつつ貯蓄できる位の額が丁度良い)と思うけれど、社会に貢献しているのに社会的立場が低い人たちはもっと経済的・精神的に評価されるべきだと思う。
もっとやりたいことがある人もいるし、それがまた社会の改革へ繋がると思うから。
中島さんには若い頃は何度も救われ、その後しばらく経って年を取ってから少し冷めた目で見るようになり、そして今また若い頃と同じように救われているところもある。
私も、人脈と極限状態ギリギリになるときの悪運に関してだけはかなり恵まれているのだけれど、基本的には多くの日本人が当たり前のように持っているものをほとんど持てない人生を歩んできて、現状40歳で何も成し遂げていない。
障害者として社会の庇護を受けながら生活しているために、(社会的弱者に対する偏見や差別が産み出したスティグマによる)後ろめたさを感じながら生き続けている。
私は、学歴だけならば、平均的日本人よりも高いけれど、知的エリートの中では決して高いとは言えない。
長期の薬漬けによって脳機能を破壊されていた時期と院生期間と留学準備期間が被っていたため、中島さんのような逆転を果たすこともできなかった。
薬漬けではなくなった今でも脳機能は正常まで戻っておらず、本どころか漫画すら普段なかなか読めないし、ゲームも他の好きだったことも相当体調の良い日でないとできない。
読書(漫画を読むことも含め)では、一文を読んでから次の一文を読む前に何度も同じ一文を読み返さなければならないほど、集中力や記憶力や理解力等の知的能力も体力も低下したままだ。
「一文を読む」だけでも何年もかけて、再びできるようになったくらいなのだ。
留学は叶わなかったけれど、頼る身寄りも理解者もなく、自分の名前も一人称も分からなくなった状態で、誰の力も借りず(助けを求めても困難を理解されず、手を差し伸べてくれる人はいなかった)、よく国立大の院を高成績で修了できたと思う。
そのようなことでは誰からも評価などはしてもらえないのだけれど、今まで自分に鞭打って無理をさせてきたぶん、その程度のレベルであっても「よくやった」と、できるだけ自分を認めたい。
自分の目標のほとんどを成し遂げられず、未だに社会的立場が低いままでいる私が自分で自分を認めることはそう簡単ではないが、苦しんできた自分をよく知る人物は私以外にいないのだから。
そして、私の目標や夢は未だ変わらず、今尚、胸に野望を抱き続けて成し遂げようとし続けている。
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