90歳を迎えた夢。
もうかれこれ何十年が過ぎただろうか?
祖母の家に住み着いた孫が90歳を迎えるという驚きの事実を誰にも認知されずにこうして今日を過ごしている。いや、ネットでコツコツと言葉や思いを描き残しているからもしかしたら認知してくれている人がいるかもしれないな。
炬燵に自分の体を半分以上入れたまま、流れていった長い月日に思いを馳せていた。
もっといろんなことに挑戦すればよかった、とか体が動くうちに世界中を旅すればよかったとかの後悔の波が次から次へと押し寄せてくる。
でも、一番の後悔ってないなぁと目の前のみかんを剥きながらうんうんとうなづく。綺麗に剥けたみかんの皮を新聞紙で作ったゴミ箱に入れる。
さて今年のみかんの出来はどうだろう?と一口食べようとしたところで台所からヤカンがピーッと鳴り響いた。
そうだったそうだった、お湯を沸かしていたんだっけ。
この頃物忘れが酷いもんだからお湯が沸いたらピーッとなるヤカンにしたのだ。
まだ鳴り続ける音に「はいはい、今火を止めますからね」と独り言を言いながら炬燵から体を出す。
よいしょっと立ち上がった瞬間、急に心臓が煩く鳴った。
ドクンドクンと脈が打つのがわかる。息をするのも苦しくなる。
壁に手をつき、心臓が落ち着くのを待つ。
ヒューヒューっと自分の息が悲鳴を上げていた。
ピーッとなり続けるヤカンまで三歩という道のりがとても長く感じる。
「自分はもう長くはない。」
昔、じいちゃんが90歳を過ぎて口癖のように言っていた言葉を思い出した。
なるほど。今なら確かにわかる。
少し歩いただけでまともに呼吸ができなくなる。体が壊れる直前を迎えている。
「私も、もうすぐそっちに逝くかもね」と呟いてふっと笑ってしまった。
若い頃は「いつ死ねるのか」をずっと考えていた。
それなのにどうしたことか。歳を重ねるにつれて「まだ死にたくない」と強く思うようになっていった。もう体はいうことを聞かないし、ついさっきしていたことも思い出せないというのに。まだ死にたくない、死ぬのがとても怖い。
ドクンドクンとまだ鳴り響く心臓の音をなだめながら一歩、また一歩とヤカンに近づいていった。そうして火を止めたと同時に視界がぐらっと傾き、床に強く頭を打ちつけたようだった。
『みかん、食べ損ねちゃった』
最期に後悔しない方法、なんてないのかもしれない。
スマホのアラームで目が覚める。妙にリアルな夢を見てしまった。
心配になって鏡で自分の顔を見に行く。
よかった、90歳になってない。まだ時間はある。
自分の顔をムニムニ触りながら思う。
人生の最後に後悔しない方法、なんてねぇな。こりゃ。
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