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どんなことにも感謝

こんにちは、よしきです🌴☀️
今回は夕方にした敬愛する友だちとの電話と、その後読んだ全く別の文書を読んでの感想のような日記です。
いきなり宗教味が強すぎるよ、という方もいると思いますが、悪しからずお読みいただければ。
以下、自分のメモより。

クリスチャンの生き方

神のような存在になりたいという傲慢な思いが人間に肉体的な死をもたらす。
でも、キリスト教徒の信ずる所では、イエスキリストが神との間を死を以て取りなした事で
キリストを信ずる人には

「キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらは全て神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自身と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。」
コリント人への手紙2、 5章17、18節

という言葉が与えられた。キリストを理解し信じることで、神との関係性がつくられ、人は新しく生きる事ができる。

自分の無力さを知る?

神との正しい関係は神への理解を深めることで作られる。それが他者理解や自己理解を深めることに繋がり、実際生活において幸福感を持って人生を送ることができると信じるものである。この種の考え方にはある意味では伝統的な仏教の教えにも通じるところがあると感じるが、
どちらにしても一朝一夕に悟り理解して、幸福な生活を送れるわけではない。
自分から求めてその門戸を叩いて、自ら悟る事でなされるのである
ただそれは主体は自分だとしても、その環境に導かれているという意味で自分で成したことではないと理解することは重要である。

全てのことに感謝

有り難いことに
敬愛する友だちであり過去の事業活動パートナー、大島さんは人生の転機を迎えリスタートを切る中で仏教についての学びを深めこのような事を考えながら、幸福感のある生活を送ることができているという。(私は、彼は仏教徒ではないと認識している。)

それは、感謝すること。全て一切のことは自分の力でなす事ではない。カフェでグラスの水を飲むにも過去に素材を集め、グラスを作り、カフェなどを設計する人や木材を集め建築する人がいて、何よりも地球を覆う水が回り回って、目の前にグラス一杯の水があるのである。そこには途方もない時間とエネルギーが人知れず動いてきた。
人が一人で出来ることは少ない。
もっと深掘りすると、今この自分の状況そのものがどんなに当たり前に思えたとしても、それは奇跡としか言いようがない。
そう思う時、自分の存在の小ささのようなものにも気付き、全てのことに感謝する事ができるようになるのではないか。

全ての出来事は現象でしかない

そして、幸福感のためのもう一つの彼の心がけとして「全ての事はただの現象でしかなく、そこにはプラスもマイナスもない。色をつけているのは人でしかない。」という考え方がある。これは仏教用語で「色即是空」という言葉に表現されている。
人は事あるごとに落ち込む生き物だが、その言葉を理解した時には、たとえ一時は一喜一憂したとしても、その現象の中にあっても幸福感を持って応じることができるようになるのではないか。

捉え方は人次第

キリスト教的には、全て世にある一切の事物は創造主たる神が創造し、取り分け、導いた物であり、全て生まれる前から死んだ後まで神の完全な力と完全な愛による計画の中に人は生かされていると考える。神は全ての人類ひとりひとりを特別に愛されている。そう考えると人が遭遇するあらゆる嬉しい出来事や困難の全ては神が愛を持って与えている事であり、そこにネガティブなものはないのである。代わりにある(与えられる)のは感謝と愛と気付きや教訓である。ネガティブに捉えるのは人の心なのだ。

ただそれぞれが、在るように在るだけ

私個人としては仏教、キリスト教それぞれの考えや教えを学ぶことと他に、ある「蟲師」という漫画・アニメ作品からこの考え方を教訓/真理として追体験している。曰く

「およそ遠しとされしもの──下等で奇怪、見慣れた動植物とはまるで違うとおぼしきモノ達。それら異形の一群を、ヒトは古くから畏れを含み、いつしか総じて“蟲”と呼んだ。時に蟲はヒトに妖しき現象をもたらし、そしてヒトは初めてその幽玄なる存在を知る。(中略)すべての生命は、他を脅かすために在るのではない。みな、ただそれぞれが、在るように在るだけ──。」
((C)漆原友紀/講談社・アニプレックス)

「すべての生命」とここでは表現されているが、生命も現象も他を脅かそうと在るのではなく、それぞれがそれぞれの在り方で在るだけなのだ。人にできることは少ない。他の生き物の在り方を変えることなんて到底難しい。
苦難にあった時、その環境に感謝して教訓や解決策を導き出し、平安の中に自分を置くことは出来るのだろう。そこに悪意や妬みはなく、在るのは愛であって欲しい。

愛をもっていきたい

そういう訳で人が生きる根底に愛や信頼や赦しがあってほしいと祈っているし、自分の在り方がそう在るように日々祈るところである。聖書には

「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」
ルカによる福音書10章2節

という言葉が記されている。
あらゆる状況に在る人、ひとりひとりを特別に愛されている神が我々を愛すように、キリストが全人類への愛を持って命を絶たれたように、今を生きている私も愛をもって生きていきたいと思うのである。

かく言う私は2023年という一年をどう生きようかと何かと悩んでいるところでは在る。限りある命をどう使おうか。この一年は自分の人生にとって大きな転換点となることはまず間違いないと思っている。多分よしき史上とても重要な1年。
職業も宗教も人脈もここから大きく変わる可能性がある。
わかんないけど進む。

ではまた。🌴☀️

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