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Netflix 【First Love】感想

平凡で何事もなく無事クリスマスを完了し
2日たったある日、唐突にLINEが来た。
「Netflixのfirst love観て!」
大学時代の部活の同期からだった。
僕は、普段からラブストーリーを観ることが少なく、一つの恋が終わってそこまで日が経っていないこともあり、恋愛もののドラマを観ることに少し抵抗があった。

なんとなく噂で宇多田ヒカルの歌をモチーフに作られたNetflixの恋愛ドラマが凄く盛り上がってることは耳にしていた。
自分から観ることは決してなかっただろうが、信頼できる同期の言葉と、新しい恋に対して一歩踏み出したい心の中の小さな灯火が僕に再生ボタンを押させた。


まず2話までを一気に観た。
現在と過去を往復する複雑な人間関係の物語であったが序盤からかなり引き込まれた。
説明的な序盤でも、エンジンのかかりきってない退屈なプロローグでもなく、自然な流れで謎を残しつつも緩やかだが、たしかに展開されていくストーリーは心地よさがあった。
歳を重ね、涙脆くなったとはいえ、1、2話から涙腺を刺激させられた。


2話まで観た段階で、オススメしてくれた同期と飲む機会が作ることができ、感想を述べると、
「そこで泣いてたら後半の号泣具合やばいかもよ」と言われた。
あれやこれやと話した恋愛話しや個人的にした相談についてのトークは機会があれば別のnoteに譲ることにして、First Loveの感想に戻る。


同期との飲み会から数日後の休日の夜。
再び僕は再生ボタンを押す。
一気にエンドまで駆け抜けた。色々な感情をふーっと溜め息と共に吐き出して時計を見ると深夜3時。
あっという間だった。


観てよかったが90%。観なきゃよかったが10%。
その10%の内訳も、「こんな素敵な物語を観てしまったらまだ観てない自分に戻れない」という気持ちが5%。
もう5%は「こんな恋愛はできひんわ!」の5%。
つまり満足度は100%である。

主人公二人の最終選択でどちらに舵を切るのかが、観ている人のハラハラするポイントだと思うし、意見が分かれるところだと思う。
僕は二人の選択が良かったと思う派である。
それは世間と現実とは幾分かけ離れている選択であり、運命に対する願いのような終着点だったからだ。
ハラハラさせられたからこそ、最後の最後は
安心して観ることができたのが、観終わった後の満足感を生んだ気がする。

僕はいつも基本的には主人公目線で物語をみるので、終わった後は良くも悪くもある程度安定した心理状態で感傷にひたり、考察するのだが、First Loveは色々な人の視点からの感情が湧いてくるので処理しきれてない部分がある。
というのも、終盤近くで主人公の対局に位置する2人にスポットライトが当たるので4人に感情輸入した状態でクライマックスを迎えるのである。
結婚している人も未婚の人も、恋人がいる人もいない人もどんな恋愛状態である人にでも刺さる物語だと思う。



さて、この物語を通して大きく考えさせられたことは「感情」と「感覚」の境界線である。
愛を感情に含むとしての表現だが、
主人公が感覚を通して感情を取り戻すような描写がある。
もともと僕は内面の心情や感情と五感を含む感覚にはやんわりと隔絶されている印象があった。

しかし、First Loveを観て「感覚」と「感情」は陸続きというか、混沌としたグラデーションの中に共存している感覚に変わった。
つまり、先述した感覚を通して感情を取り戻したのでなく、感覚の柔らかい殻に包まれた愛という感情の粒を取り出したように思えたのである。

耳の不自由な主人公の妹と周りの人々が手話を通じて感覚的意志疎通以上の感情や愛情のやりとりが行われていることに対しても、その二つの境界線の無さを感じた。

感情は感覚であり、感覚は感情であるとよく考えれば当たり前のようにも思えるが、改めてしっかり認識させられた。




聴いたことのある宇多田ヒカルさんの音楽、

嗅いだことのあるタバコの匂い(フレーバー)

大好きな甘いキャンディとクリームソーダの味

見たことある、東京や田舎の景色

感じたことのある雪の冷たさと、対する人の手の温もり

日本中を震撼させた震災と新型コロナの体験


これらの感覚に埋め込まれ混ざり合ってる僕の愛の感情と記憶が強制的に集められ固められ大きく揺さぶられている。



一つ一つ取り出して観察するにはもう少し時間がいるようだ。

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