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アニメぼっち・ざ・ろっく!第8話ライブでカットされた「第3の曲」の正体とは?

メタな事情はウィキペディアや各所インタビューに委ねることとし、
このnoteではひたすら『ぼっち・ざ・ろっく!』作品世界に没頭したうえで語っていこうと思う。

本noteを読むだけでも把握できる内容になるよう努めたが、
本シリーズ初回(前回)のこちらも併せて読んでいただけると、より理解が深まると思うので、ぜひ。

アルバム『結束バンド』のコンセプト

アルバム『結束バンド』は、結束バンドの曲を収録したアルバムである。
しかしこの認識は一方では正しいが、もう一方では説明が不充分であると言わざるを得ない。
確かに我々が暮らす世界では、このCDがファーストアルバムであるという認識は間違っていない。
だが『ぼっち・ざ・ろっく!』内世界においてもその解釈では、やや理解が困難な点が出る。

それは最後の曲「14.転がる岩、君に朝が降る」の扱いである。
この楽曲は、結束バンドのリードギターである後藤ひとり、通称ぼっちが、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの同曲をカバーしたものである。

もしぼざろ世界において『結束バンド』がファーストアルバムなのだとすれば、ライブ会場で堂々歌える程度にはぼっちがライブ慣れしている必要がある。
しかしながら14話の文化祭では、歌うことはおろか、一言話すことすらできなかった。
※陰キャはあらかじめ話す内容を云々と言っていたけど【12話】、だからといってぼっちが人前で歌うにはまだまだハードルが高いだろう。

また、原作は現在第5巻が刊行されている。
(アニメ版最終回の文化祭ライブは2巻の半ば)
最新刊までのあいだに、一応ぼっちがクラスメイトとカラオケを歌うシーン【3巻40P】はあるものの、記憶喪失に至り、ライブ会場でオリジナル曲を歌うことは難しそうに思える。

©はまじあき/芳文社
3巻40ページ

ちなみにぼっちは人前で歌えないだけであって、歌わないわけではない
そもそもアニメ1話から頻繁に即興曲(「押入れより愛をこめて」「ダブル黒歴史ぼっち弾き語りversion」「さよなら諭吉」など)を歌うし、
初めてのバイトでドリンクの位置を覚えるために、普通メモを取るところを「歌にして体に覚え込ませるしか、ない!」【2話14:51】と突然歌いだし虹夏を困惑させた。
つまりぼっちは「ものを覚えるために歌う」という行為を、日ごろからおこなっている証左でもある。

また「08.カラカラ」は山田リョウが、「10.なにが悪い」は伊地知虹夏がメインボーカルを担当している。
山田は【アニメ2話6:59】で「フロントマンまでしたら私のワンマンになってバンドを潰してしまう」と発言しており、
また虹夏も「あたしは歌下手だし」【アニメ2話6:49】と発言している。
原作5巻までのあいだにも、2人がボーカルを担当する描写は見受けられない。

このことから、ぼざろ世界において『結束バンド』というアルバムが出るのは、
1、ぼっちが人前で歌える程度にはライブ慣れし、
2、山田が自らの発言を撤回できるだけの素直な心を持つようになり、
3、虹夏の歌が上達

したあとのことになるので、相当未来の話であることが伺える。
これは同時に、『結束バンド』に収録された全曲が劇中内で完成しているわけではないことへの裏付けでもある。

つまり知られざる未来の結束バンドが手掛けた楽曲も、この世界に住む我々は聴くことができるのである。役得(?)である。


というわけで『ぼっち・ざ・ろっく!』の世界においてアルバム『結束バンド』は、デビューして間もないバンドが名刺代わりに自作曲を並び立てたわけではなく、
別の意図やテーマのもとに楽曲を集めたコンセプトアルバム、もしくは一種のコンピレーションアルバム的な側面を持つのではないだろうか。

以後アルバム『結束バンド』に関する考察を展開するが、僕は音楽評論家ではないし、それどころかロックもJ-POPも流行りの曲も聴いてこなかった人間である。
大いなる誤解を持ったうえで語ることもあるだろうし、あなたのなかにある『結束バンド』の世界をぶち壊すことになるかもしれない。解釈違いで興ざめさせることになるかもしれないが、どうかご容赦賜ればさいわいである。

僕にとってこのアルバムは、孤独や疎外感や劣等感を抱えて生きてきた後藤ひとりが、結束バンドのメンバーと出会い、関わりを持ち、そして関わっていくことでどうしようもなく変化していく自らや周囲に戸惑いを抱きながらも、現在進行形の自分自身を結束バンドを肯定していく物語だと感じた。

これは、当然収録曲の歌詞から読みとれたものであるが、ジャケット写真の構図や、CDブックレットの小口側にある4色の「○」からも、ぼっちの視点で描く結束バンド、というニュアンスが出ている。
アルバムを持っていない方にとっては、「○」とはなんぞやと思うかもしれない。

ブックレットの小口にある4つの〈バンド〉

手元にCDブックレットを持っている方であれば容易に理解できると思うが、色は結束バンドメンバーのカラーに対応している。
「01.青春コンプレックス」の時点で隙間の空いていた「○」は、ページをめくるたびに距離が狭まっていき、最後の「14.転がる岩、君に朝が降る」でついに「結束」する。

特筆すべきは、すべての「○」が均等に近づくのではなく、ぼっちを意味する桃色の「○」だけ、ほかのメンバーより近づくのが遅れている点である。
もし『結束バンド』のコンセプトが、喜多ちゃん視点の結束バンドなのだとすれば、このような演出は起こり得ないだろう。
おそらく赤の「○」が桃色の「○」のあとを追うような、そういったものになるのではないだろうか。

以上のことから『結束バンド』は、後藤ひとりと結束バンドの足跡をたどりつつ、あの後藤ひとりがついにマイクを手に取った「今」までを描いたものだと思われる。


となると、アルバムに収録されている曲はすべて後藤ひとりが書いたと考えるのが自然だろう。
わざわざそう書くのは、原作ではぼっち以外の人物が作詞を手掛けた描写があるからである。
(作詞作曲が固定されていないということは、ボーカルもいずれ喜多ちゃん以外のメンバーが担当する曲が出る可能性があるということでもある)

アルバム『結束バンド』には14曲が収録されている。
以下、参考までにタイトルを収録順に並べていく。

01.青春コンプレックス
02.ひとりぼっち東京
03.Distortion‼
04.ひみつ基地
05.ギターと孤独と蒼い惑星
06.ラブソングが歌えない
07.あのバンド
08.カラカラ
09.小さな海
10.なにが悪い
11.忘れてやらない
12.星座になれたら
13.フラッシュバッカー
14.転がる岩、君に朝が降る

このラインナップのなかで、前半と後半の「スラッシュ」を入れるのであれば、
僕は「09.小さな海」「10.なにが悪い」のあいだに引く。

「01.青春コンプレックス」から「09.小さな海」は、ぼっちが抱く劣等感や自己嫌悪、孤独を描く曲であると感じた。目は内側を向いている。
結束バンドと出会う前、と言い換えてもいいかもしれない。
「10.なにが悪い」以降は、そんな自分を自ら受け止め、そして目を外側へと向ける。

さらに「01.青春コンプレックス」から「09.小さな海」までの曲は、
「05.ギターと孤独と蒼い惑星」「06.ラブソングが歌えない」の前後で趣きが変わる。
「05.ギターと孤独と蒼い惑星」までの世界には、ぼっちとギターしかいない。
ここには孤独が詰まっている。

孤独な世界であるものの、押入れの外と内のように、完全に隔絶されているわけではない。けれどもギターの音色に包まれているおかげで、致命傷にはならないような、そんな安定性のある不安定さがある。
ある意味でとてもしあわせなひとときだったのかもしれない。

しかし「06.ラブソングが歌えない」以降の世界では、そこに外部からの目が乱入してくる。

「06.ラブソングが歌えない」では「歌詞もわかんない歌」
「07.あのバンド」では「あのバンド」
「08.カラカラ」では「君」
「09.小さな海」では「時間」

そうした「外部からの目」に、ぼっちは「嫌だ」と怯え、「何も聴きたくない」と拒絶し、「どこかの誰かみたいに生きられない」と劣等感を抱き、「変わらないのも 僕の 僕のせい」と自己嫌悪し、安定性のある不安定さから安定性が失われる。
ぼっちの台詞を借りるならば「精神崩壊どころか消滅してしまう」事態である。

そんなひとりぼっちの後藤ひとりであるが、「10.なにが悪い」からは世界が一変する。
(正確には「09.小さな海」の最後のスタンザからであるが、これは次回以降に語る)

結束バンドと出会い、ぼっちは相変わらず根暗で陰キャでコミュ障で、話す前に「あっ」と言ってしまうことは変わりないが、それでも見える世界が異なっている。
少なくとも、『結束バンド』掲載順の歌詞を眺めると、そう感じるのであった……。

とここまで語ってきたが、これはあくまでアルバム『結束バンド』全体ととおした解釈であり、曲単体を聞いたときの感想であったり、曲の製作時期を特定するためのものではない。
ともあれ『結束バンド』というアルバムはあらゆる読み方、聴き方ができる名盤なのだ

ぼっちは、多少の前後はあれ、アルバムの掲載順に歌詞を書いてきたのだろう、と妄想することは充分可能である。
が、このシリーズでは
1、ぼざろアニメ本編内の出来事と年月日を紐付けし、
2、アルバム『結束バンド』収録曲がアニメ本編内時間のいつ頃制作されたかを検討し
3、8話の台風ライブおよび12話の文化祭ライブで未登場のセットリスト3曲目が一体なにであったのかを妄想する。

そんな内容にしていきたいと考えており、
「1」を検討した結果、僕が当初思っていた以上に緻密な時系列に沿って物語が進行していることが判明した。
前回をまだ読んでない方は、ぜひとも当該記事に目を通していただきたい。


ぼっちと山田の創作スタイル

では次に、各曲が作品内世界において、どの順番で、いつごろ製作されてきたのかを検討するために、ぼっちと山田の創作スタイルに着目していきたい。
アニメ本篇や原作を読むと、各々の創作スタイルを窺い知れるシーンが登場する。

©はまじあき/芳文社・アニプレックス
3話6:11

例えばぼっちの場合、即興で節をつけて歌う。
アニメ本編で披露される即興歌は以下の通り。
「押入れより愛をこめて」「風邪ひけの唄」「カクテルの唄」「ダブル黒歴史ぼっち弾き語りversion」「その日入った新人より使えないダメバイトのエレジー」「ギターは友達(※)」
※「ギターは友達」は、アニメ6話冒頭にある「前回までのあらすじ」という名のぼっちの妄想中で登場する即興曲なので、実際に歌っているわけではないが、妄想上だとしても歌詞は手掛けていると思われる。
さらに原作では星歌の誕生日にプレゼント買い忘れたために仕方なく捧げようとするも弦が切れて未唱に終わった「店長さんへの誕生日プレゼント歌(仮)」【2巻37P】もある。

原作で触れられているぼっちの創作話で言えば【3巻68P】で
「本当は未だに同級生に苗字を間違えられるとか 席替えで隣の席になった人に少しがっかりした顔されて傷ついたとか しょうもない不満を抽象的な歌詞でカッコよく言ってるだけです!!」
と独白するように、自らの日常を切り取って題材にしていることが多い。

ただし、ぼっちは日々のあれこれをただ漫然と書き連ねるだけではなく、【アニメ2話7:22】「小中9年間、休み時間を図書室で過ごしつづけて」培ったベースがあるからこそ、心を穿つ歌詞が生まれるのであろう。

また【5巻38P】で「私には書ききれないほど(不満の)テーマがあるのに…」とぼやくように、つまるところぼっちはコンスタントに創作することができる、創作者の端くれにいる僕としては、羨ましいタイプの人間だと言える。
というより、日常から溢れんばかりの風景を切り取れるからこそ、他人の目を過度に気にし、「かくれんぼするひと このゆびとまれ」の指に止まることにさえ躊躇してしまい、友達のいない人生を歩んでしまったのだともいえる。

©はまじあき/芳文社・アニプレックス
4話18:29

さらに歌詞制作のかなり早い段階で、山田から「個性捨てたら死んでるのと一緒だよ」【アニメ4話19:06】という、クリエイターとして大変重要で芯の強い言葉を浴びていることも特筆したい。
ぼっちは自己肯定感の低い人物であり、ゆえに大きなもの、人気なもの、光り輝くものに憧れを抱いている。だけれども、そんな憧れを抱く日陰者の自分自身を描いてもいいと他人から認められたことで、ぼっちは「変わらないまま変わる」という、見事な脱皮を遂げるのである。

よって後藤ひとりというリリックライターは、幼少期より積み重ねてきた言葉のセンスに加え、日ごろの出来事から風景を切り出す能力に長け、こと歌詞制作においては自身のセンスにブレーキをかける必要なく突き進める化物であると言える。

では作曲担当の山田リョウはといえば、こちらはぼっちと比較して創作の描写が少ないので断言は難しいが、「降りてくるタイプ」であることは間違いないだろう。
たとえばアニメ版5月27日のバンドミーティングで、山田が作曲、ぼっちが作詞という分担を聞いたあとに、
喜多ちゃんが「もう(曲)作ってたりするんですか?」と山田に尋ねた際に「ううん、イメージ湧いたらそのうち」と語る。【4話4:59】

そして実際、ぼっちから歌詞を書き上げると「ぼっちの歌詞見てたら、浮かんできた」と曲を書き上げ、これが結束バンド初のオリジナル曲「05.ギターと孤独と蒼い惑星」となる。

また、山田の性格上嘘か本当か定かではないが、ライブオーディション合格でぼっちがダムを撒き散らしたあと、虹夏の「まさかの合格だったし」に対し「私は最初から確信してた。次の曲も考えてたし」【5話19:58】と言っている。
最初から確信していたのかはさておき、オーディションを通して「降りてきた」のは間違いないだろう。直後山田は「ぼっち、新曲の歌詞よろしく」と催促している。【5話21:01】

また、これは文化祭ライブのセットリストを考えるうえで重要なことであるが、山田は中学時代に文化祭でライブをしたことがあり、「マイナーな曲弾いてお通夜にしてやった」とドヤ顔で語る。【10話6:59】
しかし直後「お通夜状態だったライブ、たまに夢に見る」程度にはトラウマになっていることが判明する。【10話7:43】

©はまじあき/芳文社・アニプレックス
10話7:02
©はまじあき/芳文社・アニプレックス
10話7:43

降りてきたらいくらでも書けるが、書けないときは本当に書けない。
それでいて完璧主義者で一人相撲で、プレッシャーに弱いところがある。
【3巻44~45】

これは私事すぎてどうでもいいだろうが、山田のスタイルにシンパシーを感じるところが多すぎて、肯定的な文章で伝えることが困難なのが申し訳ない。
ひとつ僕と違うところを挙げるならば、山田には結束バンドのメンバーがいるということだ。楽曲制作中に大きな壁が立ちふさがってもメンバーが助けてくれ、そして山田はメンバーの手をちゃんと取ることができる人間でもある。

ぼっちと山田の創作スタイルを検討したところで、本題に移りたいと思う。


台風ライブの3曲は、アニメ本編内時間のいつ頃制作されたか

ではここで、台風ライブまでの日程を、重要項目のみをピックアップしてカレンダーにまとめてみたい。

5月
23(月)結束バンド、喜多ちゃん加入でフルメンバーに
27(金)ぼっち作詞制作開始

6月
4(土)ぼっち1行も歌詞が書けず苦しむ
5(日)ぼっち、歌詞について山田と相談
8(水)~10(金)ごろ、「ギターと孤独と蒼い惑星」歌詞完成
25(土)「ギターと孤独と蒼い惑星」楽曲完成

7月
2(土)ライブオーディション
セットリスト「ギターと孤独と蒼い惑星」

8月
4(木)金沢八景路上ライブ
    (この日までに「あのバンド」楽曲完成)
14(日)台風ライブ
セットリスト「ギターと孤独と蒼い惑星」「あのバンド」「第3の曲」

セットリストに関して、念のため補足しておくと、アニメ本篇で描かれた台風ライブでは、
1曲目「05.ギターと孤独と蒼い惑星」
2曲目「07.あのバンド」
が披露された。
後藤ひとりの熱い演奏も相まってステージは盛り上がるわけであるが、このライブは、
「2曲目『あのバンド』でした! じゃあ次、ラストの曲です!」【8話9:40】
という喜多ちゃんのMCで締めくくられる。

つまり本編ではカットされた「第3の曲」があったはずなのだ。

というわけで、この「第3の曲」がなんだったのかを、あれこれ推測していきたい。

これを検討するには、もうひとつしれっと隠された謎を解き明かす必要がある。
それは「07.あのバンド」が完成したのはどのタイミングか、である。


「07.あのバンド」完成したタイミング

曲の書かれた順番が果たして本当に重要なのだろうか。
僕は重要だと考える。
特に後藤ひとりという人間は、日々感じたこと、感じることを題材に歌詞をつくる人間である。
日々というのは連綿とつづくものであり、また同時に日々のなかで練る思索というものも連綿とつづくものだと言える。
つまるところ、短期間で制作された歌詞のなかには、なにかしらの持続性が潜んでいる可能性があるということである。

無論、それが当てはまらない人がいることは間違いない。
昨日はハードSFの構想を練っていたかと思えば、今日はほのぼの日常系の執筆をする人だっている。
しかし後藤ひとりはそんな妄想をしなくても、日常を切り取るだけで魅力的な歌詞をつくれる人間である。
いやむしろ【4話19:14】で「いろいろ考えてつまんない歌詞書かなくていいから」と山田が言うように、日常から離れたものを描くと途端にぼっちのよさが損なわれてしまうだろう。

故にアルバム『結束バンド』の曲を制作順に並べるのは、ぼっちの思索の海を泳ぐためには必須の事項なのだ。

閑話休題。
「07.あのバンド」がいつ完成したのかであるが、先程「必須の事項」などと言った矢先で大変申し訳ないが、具体的な日にちの確定は難しかった。
ただし、作中の描写から、ある程度の推測は可能であると言える。
(むしろ特定できてしまったら興醒めかもしれないから、これでいいのだろう)

まず確認しておきたいのが、【6話16:05】からぼっちが路上ライブで弾いた曲と、その日付である。

路上ライブで披露したのは「07.あのバンド」のインスト版である。
これは【8話7:11】から演奏される本番をよく聴けば判別できるが、そうでなくても我々はEDクレジット【6話23:15】の記載で気付くことができる。
その日付は、前回のnoteでも語った通りライブの10日前である8月4日(木)である。

©はまじあき/芳文社・アニプレックス
6話3:39

また、【8話3:38】のLOINで「今日の自主練来る? 新曲も合わせたいし」とあり、この時点で一番新しい曲が「07.あのバンド」であることが示唆されている。
つまり「07.あのバンド」は8月4日の数日前に完成していたと見るのが自然である。

もうひとつのカギとなるのは、8月14日(日)台風ライブの「あのバンド」直前のMCである。

©はまじあき/芳文社・アニプレックス
6話6:55

虹夏「喜多ちゃん、次の曲紹介しないと」
喜多「は、はい! 次も私たちのオリジナル曲で、つい先日できたばかりの曲なんですが、歌詞はギターの後藤さんが……」

【8話6:55~】

「あのバンド」は、ライブ時点で「つい先日」できたばかりなのである。
ここで言う「つい先日」とは、ぼっちが路上ライブをするより前のことを指す。10日以上前のことを「先日」と呼べるかの問題はここでは深く追及しない。
(喜多ちゃんの感覚では、ギター練習の日々であっという間に時が過ぎ、「あのバンド」ができたのもつい先日のことのように思えたのかもしれない)
重要なのは、喜多ちゃんのMCからは、台風ライブで披露する曲目のなかで、「07.あのバンド」が一番新しい曲であるというニュアンスを含んでいるという点である。

無論、単なる言葉の綾である可能性も否めない。
が、僕は「07.あのバンド」が3番目にできた曲であると思われる証拠をいくつか持っている。
ひとつひとつの根拠は弱いかもしれないが、3つもそろえば、それなりの説得力はあるのではないかと思う。

ひとつ目は先述の通り、「07.あのバンド」がつい先日できたというMCである。
次に挙げるのは、オーディション直後に山田がつぶやいたセリフである。
これも先程引用したが、ライブオーディション合格でぼっちがダムを撒き散らしたあと、虹夏の「まさかの合格だったし」に対する「私は最初から確信してた。次の曲も考えてたし」【5話19:58】という発言である。
また、その直後の「ぼっち、新曲の歌詞よろしく」【5話21:01】という催促も含めよう。

ちなみにこの山田の一連の発言は、2通りの解釈ができる。

1、山田はオーディションに合格する前からライブに出られると確信しており、オーディション本番までに「次の曲」の作曲を終えており、「ぼっち、新曲の歌詞よろしく」と催促している。

2、「次の曲も考えてたし」という台詞はその場のノリで言ったにすぎず、実際は次の曲もぼっちの歌詞からのインスピレーション待ち。

つまるところ「次の曲」、すなわち「第3の曲」は曲先か詞先かという話である。
参考までに、アニメ版「ギターと孤独と蒼い惑星」は詞先で制作され、原作では曲先である。
個人的には2(詞先)を推したいところだが、1 (曲先)のほうが現実的である。なぜなら、8月14日のライブまでに結束バンドは少なくとも3曲つくる必要があるからである。

……と考えるのはメタ的な思考であり結果先行の思考である。
山田の視点で考えてみよう。
アー写撮影の日、歌詞制作に頭を悩ますぼっちに対して「いろいろ考えてつまんない歌詞書かなくていいから」【4話19:14】と山田は語った。
その返答が「05.ギターと孤独と蒼い惑星」の歌詞であった。
山田は作曲でこれに答え、さらに「では自分が作ったメロディに対して、どんなレスポンスを見せるのか」と「第3の曲」を書き、「ぼっち、新曲の歌詞よろしく」【5話21:01】とぼっちに託した。

つまり、オーディションの時点で「第3の曲」の曲は完成していたのである。

クリエイターだけができる文通を、山田は交わしたかったのかもしれない。
(こういう感じのお話、誰か描いてくんねえかなあ)

オーディションは7月2日(土)に行われた。
結束バンド2曲目のオリジナル曲は、この時点で作曲ができていたとすれば、あとは作詞と編曲のみである。
であるとすれば、この「第3の曲」は7月上旬~中旬には完成し、「あのバンド」はそのあとに完成したと考えるのが適格に思える。

逆のパターンも考えてみよう。
7月2日から制作開始した「07.あのバンド」がまず完成し、次に「第3の曲」が完成した場合である。
「07.あのバンド」が7月半ばごろにできたとしたら、喜多ちゃんのMC「つい先日できたばかり」という発言が不自然に感じられる。さすがに1ヶ月前の曲は先日とは言いがたいし、この場合は「第3の曲」を紹介する際に「先日」と表現したくなる。

もしかすると、「07.あのバンド」が8月4日ごろに完成し、その後台風ライブ直前に「第3の曲」が急ピッチで完成した、なんて事態もありうる。
天才山田ならばできるかもしれない。
しかしギターを始めて間もない(そしてライブ未経験の)喜多ちゃんがいる以上、満足なパフォーマンスは期待できないと言わざるを得ない。

参考までに「05.ギターと孤独と蒼い惑星」は、楽曲完成からオーディションまで1週間の練習期間があった。
僕は演奏に明るくないので胸を張って言うことはできないが、10日程度の期間で新曲2曲をライブで披露できるレベルにまで持っていくのは、相当困難なのではないだろうか。
夏休み期間中であるから時間はあるだろう。しかし精神面を思うと、とてもではないが3曲もできるようなメンタルを保持できないように思える。
少なくとも、台風ライブは2曲に絞って練習する選択があることをよく検討する必要があるだろう。

以上のことから、「07.あのバンド」は8月4日の数日前、つまり7月末~8月頭に完成しており、これが結束バンド3曲目のオリジナル曲であることが分かる。


「第3の曲」の正体

では「第3の曲」とは一体なんなのか。
これは歌詞を読みこむことである程度想像することが可能だろう。

なぜなら先述したように、短期間で制作された歌詞のなかには、なにかしらの持続性が潜んでいる可能性があるからである。

「第3の曲」と「あのバンド」は非常に近いスパンで書かれている。
それもオーディションという壁を乗り越えたあとのもので、「05.ギターと孤独と蒼い惑星」のころとは心境も一新しているといえる。

当然、心境が変化しているからと言ってぼっちが陽キャになるわけでも、明るく親しげでチャーミングなコミュニケーションができるようになったわけでもない。
変わらないまま変わり、進化というより深化していったとでも言うべきだろうか。

では「07.あのバンド」の一節に触れていこう。

あのバンドの歌がわたしには
甲高く響く笑い声に聞こえる
あのバンドの歌がわたしには
つんざく踏切の音みたい

結束バンド「あのバンド」

不協和音に居場所を探したり
悲しい歌に救われていたんだけど
あのバンドの歌が誰かにはギプスで
わたし(だけが)間違いばかりみたい

結束バンド「あのバンド」

ここにある「悲しい歌」が登場する曲が、アルバム『結束バンド』のなかに1曲ある。
それはアニメOPでもある「01.青春コンプレックス」である。

悲しい歌ほど好きだった 優しい気持ちになれるから
明るい場所を求めていた だけど触れるのは怖かった

結束バンド「青春コンプレックス」

歌詞の読み取りなんて人の数ほどあるのは承知の上で、それでも書かせていただきたい。
「青春コンプレックス」に登場する「悲しい歌」というワードは、「あのバンド」の「悲しい歌」を補足するようなニュアンスがある。

優しい気持ちになれるから、悲しい歌が好きだった……そんな悲しい歌に救われていたんだけど、つんざく踏切の音みたいに甲高く響く笑い声に聞こえるあのバンドの歌が、誰かにはギプス(支えだったり護ってくれるものだったり)で、悲しい歌に救われてるわたしだけが間違ってるような気がする。

だから「07.あのバンド」の「わたし」は、「わたしの放つ音以外いらない」「ほかに何も聴きたくない」と拒絶し、自らの内側に引きこもる。

「つんざく踏切の音みたいに甲高く響く笑い声に聞こえるあのバンドの歌」は、つまるところ「青春コンプレックスを刺激する歌」である。対義語は「悲しい歌」と言える。

©はまじあき/芳文社・アニプレックス
8話7:37
「私 俯いてばかりだ それでいい 猫背のまま 虎になりたいから」
「青春コンプレックス」にあるこの歌詞は、
オーディション【5話14:58】からの独白
「今も人気になってちやほやされたいっていうのは変わりない。
でもそれは、私だけじゃない。この4人でだ!」
という想いを封じこめたものだという解釈もできる。

ぼっちと山田、クリエイター同士の文通

「01.青春コンプレックス」が結束バンド2曲目のオリジナル曲だとするならば、作曲方面でもその足跡をたどることができる。
前項が「07.あのバンド」とのつながりであるならば、
次は「05.ギターと孤独と蒼い惑星」との関連性である。

その前に、一度時系列の整理をしたい。

6月
5(日)ぼっち、歌詞について山田と相談
8(水)~10(金)ごろ、「ギターと孤独と蒼い惑星」作詞完了
25(土)「ギターと孤独と蒼い惑星」楽曲完成
下旬 山田「青春コンプレックス」作曲制作開始

7月
~2日(土)まで「青春コンプレックス」作曲完了(歌詞、編曲はまだ)

2日(土)ライブオーディション
上旬~中旬「青春コンプレックス」楽曲完成
7月末~8月頭「あのバンド」楽曲完成

8月
14(日)台風ライブ


山田視点で述べると、「01.青春コンプレックス」の曲制作は、「05.ギターと孤独と蒼い惑星」の歌詞にインスパイアされて作られた可能性が高い。

これは完全に憶測であり願望であるが、曲先で作られたのだとすると、テクニカルなギターさばきを要するイントロは、山田がぼっちに捧ぐ「軽い挨拶」的な意味合いを含むのではないかと思われる。
しかもご丁寧に最初のスタンザはベース抜きの構成である。
(この曲の難しさは、後藤ひとり役を演じる青山吉能がギターヒーローを目指す動画「ギターヒーローへの道」をご覧になればおのずと理解できよう)

また、作曲と編曲は異なるものであり、
オーディションの時点で作曲を終え、歌詞ができてから編曲を手掛ける、という行程が予想される。
当然、各パートのメロディは編曲の段階で加えられるものだと思うが、もしこの「文通」の名残を留めたのだとすれば、実に音楽で語る山田らしい粋を感じる。


「01.青春コンプレックス」「07.あのバンド」は、同時期の
内に浸るぼっちと、外に目を向けるぼっち。
その双方の視点を描いている、と読むこともできる。

ここでぼっちらしいと思うのは、
内側に浸るぼっち、「01.青春コンプレックス」の歌詞が前向きな歌詞で、
外に目を向けるぼっち、「07.あのバンド」の歌詞が拒絶的な歌詞だという点だろうか。

リリックライターとしての後藤ひとりは、
「05.ギターと孤独と蒼い惑星」でその独創性を大いに発揮し、
「01.青春コンプレックス」で曲に詞を乗せることを覚え、
そして「07.あのバンド」で視線を外へと向けるのであった。

しかし外部の目にさらされたぼっちに映るのは、聴こえるのは、どれも毒になるものばかり。
今後の後藤ひとりは、身に起こるなにを切り取り、それをどのように表現するのか。

今後の活躍を期待したいところで、今回の考察は以上となる。
まとめると、台風ライブまでに書かれた楽曲は3曲で、
制作順に並べると

05.ギターと孤独と蒼い惑星
01.青春コンプレックス
07.あのバンド

であると僕は読んでいる。

皆様もぜひ、ぼっちがどんなタイミングで、なんの曲を書いたかを妄想してみると、『ぼっち・ざ・ろっく!』にさらなる愛着を抱くことができるので、ぜひオススメしたい。

次回は10月秀華祭ライブで披露された「11.忘れてやらない」「12.星座になれたら」がいつ制作されたのか、
そして披露されることのなかった3曲目が一体なんだったのかを、
原作から、アニメ本編から、またはアルバム『結束バンド』の楽曲から、様々な視点から検討できればと思う。



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