備忘録としての「僕は小説をこう書く」
初めましてこんにちはお久しぶりです、今田ずんばあらずです。
今回は備忘録なので、前置きとかカットして進めていきます。
自分はこういう風に小説を書いてるんだ、って感じの話です。自分向けです。よく書き方を忘れてどうしようもなくなるので。
もちろん、スタイルなんて年月とともに変化していくものだと思うので、今現在書きやすいと感じる内容をざっくりやっていきたいですね。
構想はテーマが先か、物語が先か、人物が先か。
ものを書きはじめるにあたって、よく言われるやつ。
テーマは、つまりこの作品で何を伝えたいのか、みたいなの。世界平和とか、ゴミは持ち帰ろうとか、寝る前に歯を磨こう、みたいな感じ。
物語は、筋とかシーンとか。クライマックスで東京タワーを大爆発させたいとか、国会議事堂が闇の組織によって乗っ取られた話を書きたい、みたいな。
人物は、つまりどんな主人公にしたいだとか、ヒロインは幼馴染みでメガネでポニーテールにしたいだとか、そんな感じ。
こういうのの、まずなにから決めていくのかってことだけど、
自分は物語の構想先行で考えることが多いらしい。
もちろん、体感的には3つとも同時進行的に構想していくんだけども、指揮台に立っているのは「物語」なんだろうなあ……。
(少なくとも執筆に入るまでは)
つまり、
「ヒロインに一目惚れ主人公が『好きです』と口走っちゃうところから話を始めよう」
「失言的『告白』に対する返答は先送りにされつつも、なんやかんや仲良くなっていったら面白そうだな」
「でもその睦まじい関係は唐突に終わりを迎える。ヒロインが主人公クンに『試練』を課す。そんなんできっこないよ~。でヒロインに見離される」
「仲間の協力もあって『試練』を突破できる手札は揃った。さて、主人公クンはどう『試練』を乗り越える――!?」
「あとは未来の自分がどうにかしてくれるだろう」
みたいな感じで大筋をつけてから、
ではその物語を、どんな感じの人物が辿っていったら面白いんだろう、と考えるらしい。
ここで重要なのは、「どんな人物が適役か」ではない、という点だと思う。
や、まあ、もちろん「適役」を考えるのもいいんだけど、
自分の作品は大抵主人公が苦しむことになるわけだから、
どういう輩を苦しめたいか、ってところを楽しみにしながら考えていくのがいいのかもしれない。
苦しみまくった結果、主人公はなにかを学ぶことになるんだろうけど、その「学び」は、自分も書きながら探っていけたらいい、ってスタンスがちょうどいいのかもしれん。
(ここで立ち止まって「学び」について考えても、大したものは見つからない気がする。人物と一緒になって考えて、苦しんで、一緒に掴み取れたらいいよね)
で、「学び」というのが、もしかすると物語の「テーマ」なのかもしれない。
正直、自分は自分の作品に「テーマ」を見出せない。
乱立する小さなテーマの断片をまとめる、ひとつの大きなテーマがある……と念頭に入れながら書いているつもりではあるけど、
この大なる「テーマ」は、執筆中でしか掴みえない(書く前も書いたあとも大抵忘れちゃう)ものな気がする。
テーマを求めて~人物面談~
大抵、書いててつまらないと感じてるときは、大なる「テーマ」を掴み取れてないままだらだら書いてるときだと思う。
ざっくり物語と人物の構想を練り終えた次のステップが、この大なる「テーマ」を探す旅をする、ということになるんじゃなかろうか。
どうやって探すのか。机の上で頭を捻ったって見つかるわけがないから、書きながら探すしかねえわな。
山の上、峠、喫茶店、海、川辺、どこでもいいんで書きましょう自分。
具体的にはなにを書くのか。ひとつは、登場する人物と一人ひとり「面談」していくってところだ。
正直言って、自分はキャラクター(ここではテンプレじみた人物のこと。ツンデレキャラとかお嬢様キャラとか)を書くことができない。
正確には書くことはできるけど、書ける属性があまりに少なすぎる。それに、書いてて大変つまらない。
ので、面談をする。そもそも人物と自分は会って間もないわけだし、互いのことを知らないのが当然と言える。
そうか、君は情報収集がとても大好きな子らしいけど、実際のところ、それは「大好き」というより、ライフスタイルに近いものなのかもしれないな。つまり、幼いころに情報に踊らされた過去があって、その体験から情報収集をするようになり、そうなると世界にはたくさんの情報が溢れていて、情報は一緒に感情も付加されているってことに気づいたのか。つまり情報を知るということは人を知るということになり、人を知るというのは、SNSだけじゃなくて、友達との雑談や小説を読むこと、ゲームをすること、すなわち日常を送ることそれ自体が、情報収集の「アンテナ」を伸ばすことに等しいのだな。君の「情報収集」は、僕が思う以上に手広いってことなのかなるほどな。
そんな感じで考えると、自ずと物語のなかで彼女がどんな立ち回りをするのか、分かるようになってくるし、
逆に行動原理にそぐわないことをする場合には、なにかしらの「理由」があるってことになるわけで、
そこらへんをまた「面談」してみると、結構面白いし、もしかしたら作中で使えるシーンとなるかもしれない。
そのなかで、人物の抱く葛藤があるとしたら、もしかするとそれは物語の大なる「テーマ」に至る道しるべになるかもしれない。
テーマを求めて~書く順番にこだわらない~
大なる「テーマ」を探す方法として、あともう一つは、「書きたいシーンを満足いくまで先に書いてしまう」というのがある。
最初に構想した物語の筋のなかで、(理由はまだ決めてないけど)東京タワーが大爆発するシーンを書きたいと思うなら、その爆発シーンを書いてみる。それを見て動揺する主人公クンの姿が浮かんだら、それも書いてあげる。
その現実から目を背けるように逃げだしたら、逃がしてやればいい。もしかしたら、東京タワーは主人公クンにとって大切な思い出の地だったのかもしれない。
東京タワーの展望室で、なんか父さんが印象的なセリフをぼやいて、そのことが忘れられずにいたのかもしれない。
(こういう何気ない一言が、実は大なる「テーマ」そのものだったりしちゃう場合もある)
などといった、「書きたいシーン」は作中でいくつかあると思うので、それをまず全部書いて、気持ちよくなろう。
モチベーションの維持は大事。僕はショートケーキのイチゴを最初に食べる人なんだ。
「先に書きたいシーンを書いちゃったら、そのあとモチベーション続かなくね?」
と思う方もいらっしゃるだろう。
安心したまえ。ここ好きシーンを世に出すには、完結させねばならない。
よって、なにがなんでも書き終える覚悟をここで完了させることができる。背水の陣。無限大のモチベーションだ。
加えて、書きたいシーンを全部書いてしまったところで、また新しい書きたいところが出てきたりする。ショートケーキのイチゴは食べたらなくなるけど、執筆という名のショートケーキには、至るところにイチゴが眠っているのだ。
で、多分自分にとって、この「書きたいシーンを先に書く」ことが、物語を途中で放棄しないために大切なことなんじゃないかなと思う。
この作業は、単に小説の断片を書くということ以上に、人物への「面談」と、大なる「テーマ」を探すことの両方を担っているからだ。
だから、最悪この箇所をボツにしてしまっても構わない。
自分はこの作品でなにを書きたいのか、そしてこの人物はなにを欲しているのか。
その一端を僅かでも掴むことができれば、書くことがどんどん楽しくなっていく。
また、書き進めているうちにとめどなくアイデアが溢れ、書く手が止まらなくなることがある。
過剰な集中力と、高い心拍数。そのくせ奇妙なほど落ち着いて作品内の世界を見渡すことができる。
この状態はおそらくトランス状態だろう。
短篇であれ長篇であれ、トランス状態で書いた部分は一ヶ所以上ほしいなと考えるのが、一作家の願望であり欲望であるし、
書くだけで気持ちよくなれるのは、もの書きの醍醐味なのではないだろうか。
厚塗り執筆法
さて、そうやって書きたいシーンだけがバラバラに散らばっている状態なわけだが、
次はこの断片を一つひとつつなぎ合わせる作業となる。
この「書きたいシーンを先に書いて、その断片をつなぎ合わせるように作品を作っていく」ことを、
キャンバス上で絵具を重ねて作品を作ることになぞらえて、「厚塗り執筆法」と称している。
大筋を踏まえつつ、断片上で語られるいくつかの「テーマ」を念頭に置きつつ、ざっくりと書いていく。
律儀に最初から順々に書いていく必要はない。書くのが大変そうな箇所があったら飛ばして、別のシーンから進めてもいい。
些細な矛盾は気にしない。とにかく、書く。矛盾の修正は、推敲するときにいくらでも直せるんだから。
(無論、推敲するとき、執筆中に矛盾を放置した自分自身をひどく恨むことになるが、そんなのは気にしてはいけない)
とはいえ、途中で小さな矛盾に気づいてしまったときや、
あるいは「このシーンを書くとしたら、これより前の場面でこの描写を挿入する必要があるな」
「今書いてるとことまったく関係ないけど、いい感じに面白そうなセリフが浮かんじゃった」
「推敲するとき、『中』は『なか』と漢字を開くので統一したいな」
などと思ったら、しっかりメモを残しておくことにする。
アナログ原稿だったら余白に、デジタル原稿だったら「◆」記号を使って、メモを残している。
eg.
「僕は関係ない。関係ないったらないんだよ!」
と、彼は大声で叫んだ。◆どこかのシーンで喉潰してた気がする。あとで確認。
そんな具合で、物語のあいだにできた空白をどんどん「厚塗り」していく。
しかし、なかには身を引き締めて望まねばならない「難関」が当然現れてくる。
ベンチカット執筆法
執筆は登山にたとえられる、と知り合いは話していて、なるほどその考えもアリだな、と思ったわけだが、
自分にとって執筆はトンネル掘りである。掘りやすい地盤や掘りにくい地盤があって、それでも前から後ろから途中から掘り進める必要がある。
そして、一気に穴を掘ろうとしてもなかなかうまくいかない場所では、上段、中断、下段と分けて、少しずつ掘ってはコンクリートで固めを繰り返す。
執筆も同じように、書くのに難儀しそうな部分は、改めてプロットから作ることにしている。
こういう難しい部分は、どうしても早く書いて楽になりたいと思ってしまうので、雑になりやすい。
雑に書くと、結局破綻的な矛盾が生まれたり、シーン同士がうまく接続できなかったりする。
(というか、雑に書くと詰む箇所だからこそ、「難儀しそうな部分」なのだ)
前のシーンと後のシーン、それとこの物語のテーマを念頭に、丁寧にじっくり書いていく。
この一連の作業を、トンネル施工の工法に倣って「ベンチカット執筆法」と呼んでいる。
ラストシーン、あるいはクライマックスは、あえて今まで白紙状態にしてある。しかしながら、ここまで書き進めることができれば、
大なる「テーマ」はなにか。クライマックスにふさわしい内容になりそうなヒントをいくつか手に入れているはずだ。
そうこうしているうちに、初稿が完成する。本番は、ある意味ここからだったりする。
とにかく書くことに熱中していたわけで、作品には細かい矛盾点が豊富に存在している。
また、執筆方法の性質上、つなぎ合わせた部分に不自然な箇所が見つかるかもしれない。
さらに言えば、書き終えたと思っているが、面倒くさがりな過去の自分が
◆ここは推敲のときに加筆してシーン同士をくっつけてくれ
なんてメモを残しているかもしれない。
発狂しそうになる自らを鎮めながら、それらを一つひとつ潰していく。
なんども読み返し、手を加えることで、一本の物語として滑らかにさせていくのである。
この後も推敲は続くし、加えて出版のための編集があるが、それはまた別の話。
これらについて悩むには、まず書き上げることから始めないといけない。
自分の場合、一本書き上げたあとの推敲や編集で、
「今までどうやって書いてきたか」を忘れてしまう。
というわけで、備忘録としてnoteにまとめた。
これはそのお裾分けでもある。
(まあ、他人の執筆法をよむのは、星座占いの結果を読むようなものだと思っている。参考にする方は、まあぜひ参考にしたってください……)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
湘南・大磯を舞台にした、
四季巡る青春小説、その第一章。
文学少女見習いのコハルが、
物語を通して誰も届かなかった「幽霊」の心に触れる……
◤ ──好きです。
を、伝えたいから。 ◢
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