身近な人の「攻撃」がスーッとなくなる本 を読んで
アサーティブコミュニケーションや選択理論心理学をご存じでしょうか。
最近気になっているテーマです。
どちらも
周りの人とより良い人間関係を築くためのコミュニケーションや方法論。
そういったテーマにちなんで手に取ってみた本が、
『身近な人の「攻撃」がスーッとなくなる本 水島広子(著)』でした。
そして、この本の前置きとして書いてあったのが、
"括弧なしの攻撃は、本当の攻撃のこと。
「攻撃」の方は、一見攻撃に見えるけれども、
実は別のとらえ方ができるもの。"
"実はわたしたちが攻撃だと思っているものすべてが「攻撃」に過ぎない、
つまり本当の攻撃などない" ということ。
わたしがなんで「攻撃」を受けていると感じるのか、
相手を攻撃したくなるのか、なんで怒りを感じるのか、
日々、ちょっとしたことで怒りへの刺激を受けている気がしたので、
この本を読みながら深堀り(?)、分解(?)してみました。
動物は「脅威!」と感じると
「闘争か逃避か(fight or flight response)反応」
と呼ばれる生理的な反応をする。
「攻撃」は基本的に「脅威!」と感じた時の反応だと考えることができる
この「脅威!」に納得してしまいました。
なんとなく、自分の怒りを思い起こすと、
自分を否定するようなことを言われた!→「脅威!」
幼稚園の先生が公正世界仮説を説いている→「脅威!」
自分と別の意見を押し通そうとされている→「脅威!」
こんな感じで、どうしようとか、ヤバいなと思ったときに
ふつふつと怒りが湧いていたのがわかります。
「『攻撃』してくる人は、困っている人」ととらえる
自分が攻撃する側だとすると理解ができました。
どうしようと困って相手に「脅威!」と感じると、
攻撃的・防御・作為のどれかのコミュニケーションをとっています。
自分が困っていることについて、自分を主語に相手に伝えること。
それが、アサーティブに繋がると思いました。
※ここで相手を主語にして困っていることを伝えると、
相手が責められていると感じやすいということも書かれていました。
●責められている→「攻撃」を受けた→「脅威!」→「闘争か逃避か」→「攻撃」する...の連鎖に陥っていく。
●「相手が困っている」という見方ができれば、自分を必要以上に守ろうとしなくなる。
お互いに。わたしは脅威!ではないよ、と安心してもらうんですね。
「攻撃されたけども我慢する」というのと、
「そもそも攻撃などされていない。相手が困っているだけ」
という見方をするのとでは、自分の行動が結果として「相手に何も言わない」という同じものであっても、その感じ方は全く違う。
ここが一番わたしが辿り着きたい境地です。
アサーティブに振るまおうとしても、
心の中では困っていて「脅威!」が常にあると、
見せかけだけの作為なんだか戦略なんだかのコミュニケーションに
なってしまうな、と思ったんです。
「傾聴」について思ったのですが、相手が困っていることを見抜いたり
困っていることに寄り添うことなんだろうな、と理解してみました。
そして、自分が怒っている場合、自分の気持ちにも「傾聴」する必要があると思いました。
「攻撃」されると「衝撃」を受けてしまう
その反応は自動的なもので、意志とは関係なくしばらく続く。
何かに足の指をぶつけたときに、じわーんという痛みに襲われるのと同じ。
「もう痛みを感じるのはやめよう」といくら気持ちを切り替えても、
痛みはしばらく続く。
衝撃に対する反応も、この痛みと同じようなもの。
「攻撃」についての見方を変えても、しばらくの間じわーんと続くことが多い。
だから「自分は今、衝撃に反応している。そしてその反応はしばらく続く」
という事実を素直に認めないと、「気持ちを切り替えられない自分」を
責めることにもなってしまう。
「反応しない練習」の著者も言っていたかと思うのですが(タイトルがややこしい)
反応しているということを素直に認める、というのは好きです。マインドフルネス!
単に、自分を責めるのが嫌いだからというのもあります(笑)
"「このくらいのことで頭に来る自分は人間が小さい」と自分を責めてしまい、「三重の被害者」になることもある” とありました。
”1.理不尽な目に合う被害 2.さらに我慢させられる被害 3.このくらいのことでと自分を責める被害”
やっぱり自分が困っていたら、ちゃんと聞いてあげよう。
それから相手の困っていることを。
「攻撃」している人は、自分のことも攻撃している
これは視点転換のための見方。
「攻撃」するということは、「反撃の標的はここだ」と相手に示すようなもの。
心臓はバクバク。どこかに突っ込まれる点がないか、と緊張状態に。
ピリピリした緊張状態の中、自分を厳しくチェックし続けなけらばならない。
自分は「攻撃された被害者」ではなく「自由な他人」
目の前で困って悲鳴を上げている人を助けてあげてもよし、
少しスパイスをきかせてもよし。ただ相手を放置するという自由もある。
→
自由だ。
自由って素晴らしい、自由が好きなのさ。
◇まとめ◇
この本にはアサーティブな思考がちりばめられていました。
わたしが「攻撃したくなる自分」を理解するために読んだのは、
ほとんど前半部分だけです。
DESCという相手へ要望を伝えるためのフレームワークがあって
「Describe 事実を客観的に描写する
Explain 自分の心を説明する
Specify 相手に望むことについての具体的な提案をする
Choose 提案に対し、相手の反応を見ながら、さらに選択肢を出す」
このフレームワークについても学ぶことが出来ました。
↓ ↓ ↓ ↓
D「相手の発言に意味づけをしない」「決めつけない」
E「『あなた』を主語にして話すと、相手は『責められている』ように感じる」→自分を主語に
S「『あなただったらどうする?』と聞いてみよう」
「『相手が本当にきたいしていること』を聞き出そう」
C「今後どうしたいかで対処法は変わる」
ということです。
なんといってもわたしの足りなかった部分は「傾聴」でした。
わたしは傾聴から始めてみます。
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