はじめに
ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ
昭和天皇 御製 (於 昭和21年 歌会始)
まさかの友こそ真の友
逆境にある時こそ偽りのない人間性があらわれるようで、この場合に人は個人主義的であるが、その中でも”気高い”ふるまいをなす人たちがいる。この気高い人たちについて、私は二つに分類できるように思われる。以下にその分類を示す。
待つ人の目
まずは、「待つ人の目」によって自律する人たちがあげられる。これはサン=テグジュペリの『人間の土地』から借用したものである。
また、先の大戦におけるガダルカナル島の日本軍撤退に携わった参謀井本熊男氏の『作戦日誌で綴る大東亜戦争』には次のように記されている。
さきに個人主義的と書いたが、それはこれらの場合、自身を含む共同体との直接的、個人的なつながり(待つ人の目)によるものだと思う。
fair(ness) and respect
一方で、次のような場合もある。
先の大戦後各地で開かれた「戦犯」裁判における「戦勝国」の弁護人(職業軍人を含む)や判事のふるまいである。
「戦犯」には日本人からも冷たい視線が圧倒的であったなか(戦前戦中の「親米英派(非国民)」、戦後の「軍国主義者」、現代の「親露派」と同様)、「敵国人」の弁護や審理に全力を尽くすのは異様にも見える。しかし中にはそういう人たちもいたのである。このことについて、私はアメリカ人がよくいうという「フェアであること」と「リスペクトをもつこと」を思い出す。
このような場合、これらの人たちは共同体の精神を、たとえ個人であっても体現する(律法)ような人たちであると思う。
おわりに
最後に、現上皇の御代における御言葉を紹介する。
「常に自国と世界の歴史を理解する」ことが、ミサイルの飛んでこない平和な状態にある人々に求められている。
文責筆者