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五分の魂

はじめに

ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ
              昭和天皇 御製 (於 昭和21年 歌会始)

まさかの友こそ真の友

逆境にある時こそ偽りのない人間性があらわれるようで、この場合に人は個人主義的であるが、その中でも”気高い”ふるまいをなす人たちがいる。この気高い人たちについて、私は二つに分類できるように思われる。以下にその分類を示す。

待つ人の目

まずは、「待つ人の目」によって自律する人たちがあげられる。これはサン=テグジュペリの『人間の土地』から借用したものである。

ぼくらは六十キロ以上歩いてきた。(中略)ぼくには、妻の目が見えてくる、ぼくにはこの目以外のものは何も見えない。ぼくには、ともすればぼくに関心をもつかもしれないあらゆる人々の目が見えてくる。(中略)そうだ、そうなのだ、耐えがたいのはじつはこれだ。待っていてくれる、あの数々の目が見えるたび、ぼくは火傷やけどのような痛さを感じる。(中略)彼方かなたで人々が助けてくれと叫んでいるのだ、人々が難破しかけているのだ!

サン=テグジュペリ(堀口大學訳)『人間の土地』

また、先の大戦におけるガダルカナル島の日本軍撤退に携わった参謀井本熊男氏の『作戦日誌で綴る大東亜戦争』には次のように記されている。

前記固定無線隊要員の状況が代表する如く、それらの隊員も栄養失調と病気のため、全員がやっと動いている有様であった。この状況で、この人達は一体どんなことを内心考えているのだろうかと思った。表向き聞いて見ても形式的な返事しかしない。暗黒の夜二三人ずついる天幕にそっと近づいて彼らの話を立ち聞きしたことも二、三回あった。どの場合も自暴自棄的ないしは指揮官またはこの戦争を恨むような言葉は一つも聞かなかった。それぞれの胸中には家郷を思い、自ら明日の生命もわからない前途に不安を抱き、絶望的なやるせない感慨があるに違いない。しかしそのような会話も聞かなかった。ある天幕では、瀕死の重傷と思われる戦友を励まし、慰めている瘦せ衰えた兵隊の言葉を聞いた。「おいしっかりせよ、わかるか、大丈夫だ」もとより返事はない。
「お前がこの間一生懸命に修理していたライター、な、あれにガソリンを入れたら火がつくようになったぞ。そのうちタバコも届くだろう。それまで大事にして俺が預かっておく」
これが今将に息絶えようとする戦友に対する最後の慰めの言葉であったのであろう。

井本熊男『作戦日誌で綴る大東亜戦争』

さきに個人主義的と書いたが、それはこれらの場合、自身を含む共同体との直接的、個人的なつながり(待つ人の目)によるものだと思う。

fair(ness) and respect

一方で、次のような場合もある。
先の大戦後各地で開かれた「戦犯」裁判における「戦勝国」の弁護人(職業軍人を含む)や判事のふるまいである。
「戦犯」には日本人からも冷たい視線が圧倒的であったなか(戦前戦中の「親米英派(非国民)」、戦後の「軍国主義者」、現代の「親露派」と同様)、「敵国人」の弁護や審理に全力を尽くすのは異様にも見える。しかし中にはそういう人たちもいたのである。このことについて、私はアメリカ人がよくいうという「フェアであること」と「リスペクトをもつこと」を思い出す。
このような場合、これらの人たちは共同体の精神を、たとえ個人であっても体現する(律法)ような人たちであると思う。

おわりに

最後に、現上皇の御代における御言葉を紹介する。

(前略)今、世界は、平和を望みつつも、いまだに戦争を過去のものにするに至っておりません。平和を保っていくためには、ひとりひとりの平和への希求とそのために努力を払っていくことを、日々積み重ねていくことが必要と思います。
沖縄県民を含む国民とともに、戦争のために亡くなった多くの人々の死を無にすることなく、常に自国と世界の歴史を理解し、平和を念願し続けていきたいものです。(後略)

平成五年 沖縄県 沖縄平和祈念堂における遺族に対するご挨拶

「常に自国と世界の歴史を理解する」ことが、ミサイルの飛んでこない平和な状態にある人々に求められている。

文責筆者

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