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好きでやっている人に嘘はない。

電子書籍やオンラインストアの影響で来店者数が減って本が売れないから、電子書籍サービスやらオンラインを始めようってなって、莫大な資金を投じて始めてみたものの大コケした本屋。
大赤字とともにすべてのサービスから撤退し、実店舗で取り扱う本を厳選することに。その厳選=選書の面白さがじわじわと評判になって来店者数が爆増し、売上もV字回復したという海外の本屋の話を知って、そういうことだよなと思った。本分ということだと。
手を変え品を変え、紆余曲折を繰り返し、打ちひしがれてふと自らの足元を見れば、そこには本屋の本分だけが残っていた。遠回りして、浮気して、迷子になって辿り着いたら本分が待っていて、助けてくれたのだ。
本屋の本分は電子書籍という新たな読書体験でも、便利なツールの提供でもなかったのだと。オンラインサービスがおすすめしてくる情報としてのレコメンドではない、ただただ純粋に本が大好きな書店員という人間が選んだ、未知なる本との出会いに魅力を感じてもらえたということだ。選書という本屋の本分。本が好きな店員が本を選ぶという好きの本分。好きで本屋になった人がすすめてくる本なんて絶対面白いじゃん、ってなるよなそりゃ。好きでやっている人に嘘はない。オタク気質であればあるほど。だから私は、好きでやっている人が好きだ。

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好きといえば温泉が好きではないのだけれど、昨年の今頃はちょうど家の風呂が故障してしまい、毎晩温泉と銭湯を探しまくっては出かける日々を送っていた。毎日が苦痛で苦痛で仕方がなかったし、家でお風呂に入れることがどれだけ幸せなことかというのも痛感していた。風呂が直ったら四六時中家の風呂に入ってやろうと思っていた。温泉や銭湯はお湯に申し訳ないけれど本当に苦手で、全然知らないおじさんと大きいとはいえ湯船に一緒に入っている時点でどうかしていると思ってしまう。ここに来るまでに何触ったかもわからないようなおじさんのエキスがお湯に染み出ている気がしてならない。と同時に私の汚れがそのおじさんにも及んでいるわけで、って考え始めるといったい何のためにお湯に浸っているのかまったく目的は見えなくなってくるし、このお湯何なんだよとなる。
しかし人間とは不思議なもので、慣れる。毎日嫌々通っていた銭湯も、温泉も、日に日に「ちょっといい感じの温泉だな」とか思い始めて、湯船にじっくり浸かってみたり、サウナみたいなコーナーも利用してみたりしても何の嫌悪も抱かなくなっていく自分に驚きながら、明日はどこの銭湯へ行こうかと考えるようにすらなっていた。
そうこうしているうちに家のお風呂の修理も終わり、冬も終わり、春になって夏になり、秋が終わって今年の冬。1年前に購入した銭湯の無料券がそろそろ有効期限切れだということで今日行ってきた。全然知らないおじさんと大きいとはいえ湯船に一緒に入っている時点でどうかしていると思っている自分がいた。人間は慣れるし、忘れる。


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