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「わからない」という言葉を小説家の卵が考える

「冒頭、何の話なのかわかりません」

先週、プロの方から小説のレビューでこういうコメントをいただいた。


私はしばし首をかしげた。

姉妹がレストランで食事をしている。そういう描写だった。どこで、誰が、何をしているかという5W情報は入っている。さほど複雑な書き方はしていない。

正直、私も「なぜわからないのかわからない」と心の中で思った。


しかし私は執筆初心者。

自分の技術力がないと、謹んでその言葉を受け取った。

ところがこの「わからない」という言葉は、日常生活においても意外とクセがあると思っている。


①わからないと異常に反応するタイプの人


これは私の仕事でのエピソードだ。
職場で上司と打ち合わせをしていたときだった。

上司は別の部門からきた人なので、現所属の部門の仕事の言葉を全て知っているわけではない。

打ち合わせをしていると、ある業務用語について反応した。

それは造語ではない、一般的な言葉ではあった。


故に上司は「自分が知っている意味の使われ方をされていない」と言った。


そのうちヒートアップして、「何のことを言っているのかわからない」「この部門の人たちはおかしい」と怒り始めた。


あえてフォローすると、一つの言葉や説明に対して、わからないと異常に反応する人は仕事で一定数いる。


「わからない」という言葉は、とにかくその人にとってわからないのであれば、どんな理由であっても使って許される言葉なのだ。

そして、「わからない」と言われれば、大抵は伝えている側の責めとなる。


②言葉について追求しない人


一方で私は上司と真逆のタイプである。

私は知らない言葉が出てきたり、首を傾げる言葉の使われ方をしても、あまり追求しないタイプだ。

前後の文脈から推測できるし、「多分こう言いたいのだろう」と察することができる。


私は学生時代に海外留学をしていたこともあり、そういうコミュニケーションの取り方はさして珍しいものではなかった。 

というか、そうしないと自分と違う母語の人と、別の国ではやっていけない。

あえて言うなら、私は自分と違う言葉の使い方も、その考え方も尊重している。それが異文化理解の一つでもあったからだ。


つまり、この世には複数の種類の人がいる。


上司のように言葉に触れた時にキッチリガッチリパズルがはまらないとダメな人もいる。


私のように「だいたい」で済む人もいる。

あるいは全てがどうでもいいと思う人もいるだろう。


③信頼関係のもとで説明ができる


さて、私はプンスカ怒っている上司に対してどうしたか。

まず、こういうときに頭ごなしに否定すると火に油を注ぐことになる。

私はこういうとき、上司の怒りをまず落ち着ける作業から入る。別の視点を提供するのだ。


「まぁまぁ。でもたとえば◻︎◻︎部門で⚪︎⚪︎のことを⚫︎⚫︎と言ったり、△△会社のことを▲▲と言ったりするじゃないですか」

「私、あれ初めて聞いた時なんのことだろうーと思いましたよ」

遠回しに「どこの職場でも、外野から見たら、何を言っているかわからない言葉(内々の略語)を使うでしょ」と伝えた。

そのあと一つずつ説明をしていくと、ようやくこちらの考え方も伝わり、納得してくれた。


これは信頼ある上司との打ち合わせなので、こうして説明ができる。

しかし話を戻そう。小説だと、どうなるのか。



④私の小説と読者の間には、まだ信頼関係がない


村上春樹とか、東野圭吾であれば、どんな書き方をしても「なんだこれは!」「わからんぞ!」と言われることは、少ないかもしれない。

「この人は一流の小説家である」と一定の信頼があるからだ。


ところが、駆け出しの小説家なり、その卵にはその信頼がない。

基本的に読まれる前に「面白くないものを今から読む」と相手は思っているだろう。


ついでに言えば、何を言ってもいいという意識もあると思う。


ちなみに私の小説を添削したプロの方は、公募の選考なども務めたことがあるようで「1次は落とすためにある。2次選考は一度誰かが見て、上にあげたものだから、もっと慎重に読む」と言っていた。

一応その道のプロの誰かの信頼のもと、上がってきた文章なので、見どころはあるだろうということで見るということだ。

この話は、やむを得ないと理解しているが、応募する側としては、寂しさも感じる。


一次選考は、「その誰か」との相性で決まるという側面があるといことだ。


⑤小説は、リアルタイムで話せない


前段の話でいくと、結局は誰が見ても、どんだけ簡潔に読んでも、人を納得させられる文章であればいいのだ。

そしてプロはそれができなくてはならないし、公募であればその実力が問われる。


しかし、これについては複雑な思いがある。

先に述べた私の上司の話のように、伝える側の技量だけでなく、読み手の価値観も相性がうまくあわないと、伝わらないこともある。

はっきり言って、ほぼ博打だ。


小説はその場の会話とは違う。


相手が読み始めたら、あとはお互いに一方的なコミュニケーションが始まる。

私は今後も年に一回ぐらいは、誰かに添削依頼を出そうと思う。


だけど「小説は信頼関係がないことには」ということを念頭におこうと思う。


そしていつかは、そんな状況下にもかかわらず、相手が素晴らしいと言える文章を書けるようになりたいと思う。

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