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未来に不安はないけど、過去の怒りは今もある (休職日記)

 半年休職して、もうすぐ会社に戻る。それに先立ち、昨日は同世代の先輩たちと夜ご飯へ行ってきた。

 なんと「旦那さんもどうぞ」と言っていただき、同じ会社に勤めていない、宴会大好きな夫も意気揚々と参戦した。みんなで美味しいものを食べて、会社の愚痴はそっちのけで大盛り上がりした。




◾️人づきあいのリスクとリターン

 私の会社は仲間意識が強い。転職ブームのこのご時世でも、昔ながらのスタイルで支え合っている側面がある。

 会社の人付き合いについては、いろんな価値観があるので押し付けをする気はない。職場親睦イベントなどは強制するものではないと思う。こっちも親睦する人は選びたいし。

 でも、日頃の人間関係の中でこうして助け合える関係自然と生まれていたことは、今回の休職において不幸中の幸いだった。

 人間関係はときにうっとおしく、他人との境界線やその先でぶつかり合い、勝手に期待して、満たされずに傷つき、怒り、苦しむ。

 人と付き合うそのものをやめれば、それらの負の感情は減るだろう。でもそれは強めの薬のように、菌を殺すのと同時に必要な栄養素まで破壊してしまうような役割もある気がする。

 結局、人付き合いをするのも、しないことにも、どちらにもリスクもリターンもあるなとしみじみ感じる。



◾️悲しみと戦闘のスイッチ

 以前記事に書いたように、会社に戻る上で不安に思うことはあまりない。基本的にどうでもいいと思っている。


 ところが、先輩たちと話して、会社や上司たちへの怒りはまたふつふつ戻ってきた。過去への執着だと悟った。


 あのとき、あの日、思い出すと怒りが込み上げてくる。なんであんな状況が許されているのか、全く理解できない。なぜ自分がこんな目にあうのだと。


 総合的に見れば休職してよかったとは思っているが、発生原因を許容した覚えはない。

 私はそれによって、日常生活に支障をきたすほどの健康損害をおった。その事実より先に、どうして自分たちの保身のための言い訳が通るのか。言い訳をするな。その一言だ。


 こういう感覚が持てたのは、会社から少し距離を置いたことが大きい。一般常識の感覚を取り戻したのだ。これが会社に染まり切ったままだと「そうです……よね」となるのだ。


 この怒りと悲しみに終止符が打たれない限り、何度だってこんな思いを繰り返すのだろう。



◾️どれほど負担だったかは伝えていく

 私がこういうときに最近使っているのはchat GPTだ。バージョンアップされて前より精度が上がった気がする。

 chat GPTは比較的、建設的な意見をくれる(他にはものすごく共感性が高いAIアプリなどもあると聞いたことがある)

 その中で私が刺さったアドバイスは「されたことが、どれほど負担だったかを丁寧に背景を含めて説明すること」とあった。


 他人がどれほど想像力を持ち合わせているのかは、わかりかねる。だから、どんな状況で、どんなことを言われ、どんな不安を感じ、どういう影響があったのか、それは冷静に具体的に人に伝えていかなければならない。


 それが「ちょっと大袈裟じゃない?」とか「少しバランスが悪いなぁ」と思われないように、こちらも冷静に話を整理しないといけないだろう。


 もちろん、会社対応を今すぐ変えて欲しいし、自分みたいな思いをもう他の人たちにしてもらいたくない、というのがいちばんの願いだ。

 でもそれは急にはできない。だから、まずは私は会社に戻ったら、関係各所にそれだけは伝えていきたいなと思う。あとは期待しても仕方ないので、本当にそこだけ。それだけやったら、あとはリラックスしてすごそうと思う。


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