【短編小説】 美人な姉と、そうでない私(4,500字)
髪の毛がくるくると上手く巻けた。
口紅もこの80番のカラーが一番好き。口元に塗るとキュッと心が引き締まる。平凡な顔が、少しは色艶輝く。これで私は、ようやくにっこりと笑える。
「楓、準備できた?」
「うん」
姉の雪子が部屋に入ってくる。姉はいつもと同じ、黒パンツにブラウンのカーディガンで全身をユニクロコーデにしている。
「お姉ちゃん、休みの日まで出勤と同じ格好?」
「ユニクロが一番楽で最高よ」
姉の格好があまりにラフで、むしろちゃんとトレンドを意識した自分のファッションと釣り合わない。
私はAラインの上品なコートを手に取り、少し悩だ後に姉にあわせてGジャンを羽織った。
🔶
連れて行かれたのは、姉が最近気になっているという寿司屋のランチだった。電車で二駅、降りて15分歩いた住宅街の中にある、地元の人しか知らないようなお店だった。
「よく見つけたね、ここ。ホットペッパー載ってる?」
「本当にいいお店は、口コミで知るものよ」姉は得意げに言った。
しばらくすると、高齢の女将さんがゆっくりした足取りで注文していた江戸前寿司ランチセットを持ってきた。緑の葉っぱをイメージした横長いお皿に寿司が10巻。お吸い物と小鉢もついてきた。
私の今日の口紅のように真っ赤なマグロ、ピンク色の蒸しエビ、照りが光る穴子、名前はわからないけど何か炙ったお寿司。黄色い卵焼きも子供のころから欠かせない。
「あぁ、美味しい!」
「うん、最高」
🔶
私の姉、雪子は食べるのが大好きなグルメOLだ。営業職で外出が多いので、その行った先々でランチを楽しむのが日課らしい。給料の多くは、食べ物に使われていると推定する。
よく食べるくせに、スタイルはずっといいまま。姉は背が高くてスレンダーの母親の遺伝子が濃い。一方で私は、チビでデブの父親似だ。母も姉も父が大好きだから、こんな悪口は家族の前では口が裂けても言えないけど。
「お姉ちゃんは、食べても太らなくていいな」
「私は外回りが多いから、それだけよ。体育会系ってところしか、取り柄もないし」姉は寿司を頬張ってケラケラと笑った。
嘘つけ。顔もいいくせに何を言っているんだ。
父と母は、本当に美女と野獣のような夫婦だった。母は年をとった今でも「綺麗な奥様」と言われる。父は若い時を見ても、イケメンではない。どっちかというと、ブサメンだった。母は、きっと父の内面の良さに惹かれたのだろう。
私は父に似たおかげで私も鼻が低く、目は一重。全体的にぽっちゃりだが、お尻と腰回りが大きくて、いつも体型カバーのコーディネートが大変だ。
シンプルなパンツとカーディガンが似合う姉が羨ましい。お金もかからないし。シンプルなんて、素材がいい人間じゃないと着こなせないよ。
姉は、ほとんどメイクをしなくても、綺麗な顔立ちだった。10代のころはよく芸能事務所にスカウトされていた。
私なんて、薄給のほとんどは美容・ファッション費に充てている。姉のように、美味しいものを食べるのが趣味で、そうしているわけではない。
もはや私のような人間は、社会で生きていく上で、最低限これぐらいしないといけない。義務だ。
せめて目が大きく見えるメイクをして、顔が小さく見えるヘアセットをして、可愛いネイルをして、トレンドの洋服を着て。こうして「せめて合コンに呼んでもらえる」ぐらいのOLになる。
それにしても、何年彼氏がいないことやら。姉のように恋愛に全く興味がないならもっと楽だった。私は彼氏が欲しい。愛されたい。こんな私でも、価値があるって誰かに認めてもらいたいぐらいよ。
「あー美味しかった!ごちそうさま!ねぇ、このあとはパフェはどう?」
「まだ食べるの?」
「当たり前よ、休日だもん。いいじゃない、いつも通り私のおごりなんだからさ。付き合って」ぐふふと笑う姉。
そのパフェを出すカフェのオーナーがどこで修行してきて、何にこだわって作っているか、姉は楽しそうに話し始めた。
そのほとんどメイクをしていないのに、人を惹きつける姉の笑顔が、本当に眩しく感じた。
🔶
ある金曜日の夜、姉はモカベージュのパーティドレスをリビング横の和室に引っ張り出してきた。
姉はクリーニングのビニールカバーとタグを外し、和室の梁にひっかけた。柔らかなシフォン素材のドレスだった。華奢で骨ばった姉の体に丸みをつけて、女性らしさをだしてくれることだろう。
一方で、もしこれをぽっちゃりの私が着ると、顔の丸さや体の厚みをより際立たせるだろう。
ウエストに切り返しのゴムが入っているデザインも、本来はメリハリを演出してくれるもの。しかし私の場合はお腹が膨らんでいるので、よりデブに見えてしまう。
「明日が友達の結婚式だっけ? これを着るの?」
「そうよ。大学の時に一回着たきりだわ」
そう言って姉はパジャマを持ってお風呂場に行ってしまった。
私なら、久しぶりのドレスは絶対に試着する。太って着れなくなっていたら大変。
でも学生時代から一切体型が変わらない姉には、不要な心配だ。きっとこんなこと、考えたこともないだろう。
ベッドには、やり場のない思いを持っていきたくない。私は台所へ行ってケトルでお湯を沸かした。ペッパーミントティーにしようかな。寝る前のハーブティーは心を落ち着かせる作用があるらしい。
私がそれを透明なティーカップに注いでいると、シャワーだけ浴びたらしい姉が髪を濡らして台所へ来た。
冷蔵庫からコーラのペットボトルを取り出し、親父のような声を出して冷たい刺激を体内に取り入れている。爽快さを噛み締めて、幸せそうだ。そしてテレビのスイッチを入れて、遅い時間のバラエティを楽しみ出した。
私はティーカップを持って2階の自分の部屋へ行った。気分を変えようと、無印のアロマライトにグレープフルーツのアロマオイルを垂らして、加湿した。
🔶
朝10時過ぎに起きると、姉もちょうど朝ごはんを食べていた。
「お姉ちゃん、今日は何時からなの?」
「挙式が15時から。友達と14時に待ち合わせしているわ」
私にもコーヒーちょうだいと、コーヒーマシーンからブラックコーヒーを注いでもらった。
「美容室の予約は何時?」
「そんなのしてないよ」
「え? お姉ちゃん、ヘアセット自分でできるの?」
「え? このままじゃだめ?」
姉は一つ結びの髪の毛を指差した。「あ、もちろん髪の毛はちゃんとブラッシングして、あとで結び直すよ?」と慌てて言った。そういうことではない、と私は心の中で突っ込んだ。
「結婚式にお呼ばれしているんだから。華美なのはダメだけど最低限のヘアメイクは必要よ」
「でも、もう当日よ。待ち合わせまであと4時間もないし……」
不慣れなパーティーの場のマナー違反を想像したのか、姉は急に不安な顔をし始めた。
「どうしよう、今から美容室を予約した方がいい?」姉はちょっぴり、泣きそうな顔をし始めた。
「土曜日だし、当日予約でパーティーヘアをやってくれる店があるかどうか……ううん、いい。私に任せて」
🔶
朝食を食べさせた後、姉には一度シャワーに入ってもらった。寝癖が酷すぎたからだ。脱衣所でお風呂上がりの裸の姉を待ち構えて、私はすぐに「目を閉じて」と言った。
「まずは化粧水ミスト。水分はお風呂場を出た瞬間から奪われているのよ」
目を閉じてまだ湯気が立っているような姉の顔に、私はミストを吹きかけまくった。そして髪の毛を乾かす専用のタオルでターバンを作った。
下着をつけた姉を自分の部屋に連れていき、ドレッサーの前に座らせる。化粧水・乳液をしっかりつけてターバンを外して髪にヘアクリームを馴染ませてドライヤーをかけた。
「これいい匂いね」
「洗い流さないトリートメントよ」
「髪の毛がいつもより絡まないわ」
毛先が跳ねやすい姉の髪の毛を、ブラシで丁寧にときながら乾かしていく。いつもよりずっと艶がある。
そうして私は姉の顔にピンクベースでメイクを施し、セミロングの髪の毛を細いコテでふわふわに巻いた。ポニーテールにはせずに、襟足より少し高い位置で低めのおだんごを作った。
「わぁ、お嬢様みたい。可愛い!」
モカベージュのドレスに、ふんわり巻いた顔周りの髪の毛がレディらしさを演出した。普段ユニクロを着ているだけの姉とは、大違いになった。
「アクセサリーはこれがいいと思うな。ドレスが無地だから少し長めで、ドレスの上に重ねた方がいいと思う」
私は自分のアクセサリーボックスから、パールのネックレスや指輪を見繕って姉に貸した。
さらに時間が少しあったので、ピンクのマニュキアも塗ってあげることにした。
🔶
「薬指だけ、シルバーのラメにしようね。全部ワンカラーより、おしゃれだよ」
「楓は本当にセンスがいいわよね。私にはできない、こんなこと」姉がはぁと、嘆くようにため息をついた。
「……お姉ちゃんは、素材がいいから問題ないよ」
私は、姉のように美人ではない。だから、こうして取り繕っていただけだ。マイナスをせめてゼロにするぐらいに。
姉の薬指にキラキラのシルバーのマニュキアを塗る。爪の真ん中にひと塗り、両サイドにひと塗りずつ。そして乾燥機のマシーンにいれさせた。そしてもう片方の薬指にも同じものを無言で塗った。
「ねぇ、家族旅行で北海道に行ったときのこと、覚えてる?」
姉の突然の質問に、慌てて返事した。
「お父さんがお魚が好きだから、海鮮丼もお寿司もたくさん食べたわよね」
「うん、そうだったね」
私は心の中で「それがどうした」とぶっきらぼうになっていた。
「この話を会社の北海道出身の人にしたの。あの時食べたもの、全部美味しかったって。北海道、羨ましいって。そしたらそれは事実だけど、問題があるんですよって言うの」
姉は乾いた爪を見て、ご機嫌な笑顔で続けた。
「素材がいいから、なんでも美味しい。だから、料理人とメニューは育たないって言うのよ」
「へぇ……」
「努力の必要がないんですって。新鮮な美味しいお魚を捌いて出せば、それでみんな美味しいって言うから」
私はなんと返したらいいかわからず、黙っていた。そうしている間に、すべてのネイルが塗り終わった。あとはトップコートをつけて完成だ。
「私ね、この話を同僚に聞いて思ったの。北海道のお寿司も大好き。でも江戸前寿司って、素敵よね」
江戸前寿司——ネタの旨みを引き出すために、酢で湿したり、漬けにしたり、一手間を加える。
北海道に行ったときにたまたま話した地元の人たちが「あんなの食べれない」「美味しいものにわざわざ手を加えるなんて」と言っていた。
姉のトップコートが乾くと、姉は目をキラキラさせて喜んだ。
「今日はお姫様みたいだわー!新婦より輝いちゃいそう!」
「いつもすればいいじゃない」
私は道具一式を片付けながら、何気なく言った。
その言葉に、姉は眉をひそめて、呆れるように笑いながら言った。
「わかってないわね。誰にでもできることじゃないのよ、これ」
その笑顔は、自分がよく鏡の中で見る自分の表情に似ていた。
自分が、自分の素材に限界を感じているとき。誰かを羨むときの表情だった。
姉は私の頭を撫でた。そして「ありがとう」と今度は自信に満ちた笑顔で微笑んだ。
私はほんの少しだけ、今の自分が好きになった気がした。
あとがき
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?