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誰のために? ~論理か感情か~

久々の投稿。
新規事業の検討でいっぱいいっぱいになる中で、自分自身の想いを言語化する力の低さが露呈。
言語化力が低いのは仕方ない、それを伸ばす取組みが必要、そのためには意図的に「物書き」をした方が良い。
その意味でももう少し頻度高く(目標週1回)noteを書きたいと思う。

誰のために?

勤務先での話。
「このアイディアは○○さん(意思決定者である上司)にウケる?」
「こんな内容じゃ○○さん(意思決定者である上司)がOKというわけない」
日本企業で働く人であれば、こんな言葉を耳にしたこがあると思う。
そりゃ意思決定者が首を縦に振ってくれれば話は早い。
検討する課題とその解決策が、予めある程度絞られている場合、この思考回路は有効だと思う。
一方、新規事業のように「検討する課題が変わるかもしれない」「そもそもベタなソリューションでは課題は解決されない」といったケースで、この思考回路で考えるのは有効なのか?
意思決定者としては「そもそも、そんなんよく知らんがな」状態で良い悪いのジャッジを迫られてしまうと、「無難」か「正論」のソリューションいずれかを選んでしまうのは理解できる。
だって「おもしろい」ことはだいたい論証が薄くて、成功確率が読めないから。
「無難」か「正論」はだいたいそれっぽい論証があって、成功確率もそれなりにたしからしくて、「たとえうまくいかなくても、最も正解に近そうな選択肢を選んだ」という事実が手に入ってしまう。
そんな状況下でどんどん選ばれやすい「無難」や「正論」が作り上げられていくのでは?
新規事業と「おもしろい」ことは元来親和性が高いもののはずなのに、いざ意志決定の断面になると途端にそれが優先順位を下げられる裏には、こんな「日本の大企業っぽい思考回路」に知らず知らずのうちに引っ張られているからではないだろうか?
かくいう私も、この思考回路に引っ張られて考えていたことに今日気付かされた。
新規事業を考えるにあたっては「無難」や「正論」といった忖度を起点にした思考回路ではなく、「自分自身や身近な人のため」に「自分がしたい」ことを突き詰めていく方がソリューションをAccomplish(完遂)できるのでは?というのが個人的な意見。

論理か感情か

事業を検討し進めるために、論理構築(もっとガチガチにいくと論理武装?)は必要だと思う。
ロジックが通っていれば思考回路がストレートになるし、不明確だったこともクリアになったりする。
正に点と点を繋いで線にしていくイメージだろうか。
ただ、ロジックに縛られると身動きが取れなくなるのも事実。
データ上はリンゴが売れるとロジカルに導き出されてもイチゴの方が売れるかもしれないし、これまでの歴史や背景をリサーチしたうえ何度も決勝に進出している「和牛」がM1優勝すると予測していても初めて決勝に進出したミルクボーイやぺこぱが決勝に進出したりする。
結果が出れば、結果に基づいたロジックは作れるが、結果が出る前にはなかなかインパクトのあるロジックは作りづらい(と私は思っている)。
この仕事に従事する前から漠然と考えていたが、アイディアの入口と出口は「感情」、入口と出口を繋ぐのが「論理」、というのが私の意見。
何か喜怒哀楽が無いと「入口」には立たないし、「出口」に立って達成感や悔しさ、改善意欲を感じられるようにしないと、継続性は生まれない。
それが無い状態でロジックが1人歩きしてしまうと、珈琲のCMで古市さんが言ってる「それ正しいけど全然面白くないですね」の状態になる。
感情と論理は正しい組合せで使いたい。

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