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古書にわきたつ小波

古本屋の棚に並んだ数多の本の背表紙を眺めて
あれこれと思いをはせるのが好きなようで、
気になった本を手に取ってパラパラとページをめくる。

目次や見出しから伝わってくる内容はもちろん、
フォントの好みやサイズ、行間の余白だったり
使われている漢字とひら仮名&カタカナの
なんとなくのバランスや配列具合を見るだけで
これは良さそうだぞ、という気持ちが湧き立つものが吉。

とは言っても結局、大事なのは値段だったりもして
裏表紙をパラッと一枚めくった右上あたりに記されガチな数字の走り書きを見て
あ、そうですか、失礼しましたー。。。となるもの多々。
そこで容赦無くフルイにかけられ、勇敢にも生き残ったものが我が手元に残る。

ただいそいそと買って帰ってはみたものの
少しだけ読んでみて、ははーん、こんな感じか、
と、読了しないで本棚の肥やしになるものも多々。

しかし、だからと言ってその本との出会いが無益だったか
といえば全くそんなこともない&肥やしとはよく言ったもので
長らく本棚で熟成させておいたものが、何かのタイミングで時機を得て
たまたま再び手に取った時に、やたらと響いてくる、なんてことだって多々。

5月22日 朝。

仙台へ向かう車内でのお供になんとなく手に取った本がコチラ。

『随筆 父と子』巌谷大四(三月書房  1969年発行)

リハが早く終わったので、久々にパトロールを
ということで、都内の古本屋にて求めた一冊。

買ったのは3月だったので、それから結局一度も手をつけず
肥やしへの道まっしぐら、そろそろ発酵し始めるかな?どれクンクン。。
という時期に、ようやく手が伸びた。

で、いざ読んでみると、、、読める…!読めるぞ!
と、有名過ぎるアニメ映画のワンシーンが頭をよぎるくらい
スラスラと好奇心を持続したまま読み進めることができて
(普通に日本語で書かれた本なので、そりゃ当たり前なのだが)
なかなかに興味深い内容のご本でございました。(まだ途中)

著者の巌谷大四さん

いわや だいし (1915-2006):日本の文芸評論家。
(from Wikipedia)

その「父と子」ということで、父は巌谷小波さん

いわや さざなみ (1870-1933):明治から大正にかけての作家、児童文学者、口演童話家、俳人、ドイツ文学者、ジャーナリスト。
(from Wikipedia)

小波と書いて、さざなみと読む。
良いですね、ここからもうグッと引き込まれます。

冒頭の「桃太郎主義」という随筆から、
なるほど、と思わされたりして。
日本のおとぎ話(not バンド=OTOGIVANASHI)では
「桃太郎」が一番積極的で健康だ、といった旨。

そんな内容のことはともかく、
この装丁、謎の抽象画がまた良し。

表紙をめくると、サインのようなもの。
ご本人のものなのかどうか。

巡り巡って、我が手元へとやってきた数奇の運命に乾杯。

と、何かと酒を飲む口実を作ることに余念なしの筆者の目論見はさておき、
今こそ手に取るべき本だったのかもと
古本の妙ここに極まれり、得意げになっていたところで、
仙台の古本市で出会った本がコチラ。

『アウトロウ半歴史』平野威馬雄(話の特集 1978年発行)

平野威馬雄

ひらの いまお (1900-1986) :日本の詩人・フランス文学者
(from Wikipedia)

このお方、平野レミさんのお父さま
ってことはトライセラトップス和田唱さんのおじいさま。

日本のロック界にも縁深い方、ということになりますか。

前に読んでいた
『古書古書話』萩原魚雷

確かそのなかで触れられていたお名前で。

ここで、仙台の地で、バッタリと出会いましたね。

古本市に並べられ、我こそは我こそは、と声を上げる古書古書古書の
その背表紙の中から、ひときわ訴えかけてきた
装幀は、横尾忠則さんの手によるもの、とのこと。

装幀(装丁?漢字で違いはあるのかな)って、大事です。

チラと読んでみたところ、早速たいへん興味深い内容なので
コチラについてはまた機会があれば触れることにして、
この本の裏表紙(その帯)をよく見てみると、

偶然か必然か、巌谷小波さんのお名前も。

つい三日前までは知らなかった人の名前が
奇っ怪なもので、突如として繋がってくる。

それもまた、古本の妙。

さて、どういう形で登場するのでしょうか?

心に沸き立った小波が引いてしまう前に
読み進めてみたいところです。


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