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例え、誰にも届かなくとも。

こんばんは。
今日はカフェでランチして気になっていた本屋大賞受賞した「52ヘルツのくじらたち」がお店に置いてあったので手に取り読み始めました。

本ってその時の気分もあるけど、言葉の使い回しが自分に合わないと、すーっと読めないというか、世界観に入り込めないまま諦めたりもありますよね。その点この本はさすが、本屋大賞に選ばれただけあって、すぐ引き込まれました。

またお店に来た時に続きでも良かったのですが、続きが読みたすぎて図書館で借りてきて一気読み。

以下ネタバレも含みます。

まずタイトル。

どういう意味なのだろう?と思っていたのですが、
他の鯨が聞き取れない52ヘルツという高い周波数で鳴く鯨がいて

沢山仲間はいるはずなのに、何も届かないし誰にも届けられない事から
世界で一番孤独だと言われている。


いろんな意味で孤独?問題のある人達が沢山出てくる。

虐待、ヤングケアラー、離婚、再婚、連れ子、不倫、トランスジェンダー、子育て、障害、親子愛、老害など色々なテーマがあると思う。
特別な事じゃなくて、本当に当たり前にどこにでもある話。

だけど、この鯨のように、助けてって言葉にしても誰も助けてくれなかったり、誰にも届かなかったり、そもそも声にも出せない人は沢山いて、そのまま死んでしまったり壊れてしまったりするわけだけど、気づいて助けてくれる人もいるよって救いにもなるストーリー。

一度壊れたものは中々元には戻らないけど、希望はあるということ。
似た香りのする人と出会うことで、救われたり、共に泣いたり、助けになれることで、自分の存在意義を見出せたり。


虐待ものとしては2010年の芦田愛菜さん神演技のデビュー作、ドラマのマザーを思い出しました。(遡りすぎ?)
母親が虐待して、死ぬ一歩手前で孤独を抱えながら生きていた人が助けて、愛を知り育てようとするけど、誘拐だなんだって問題になってしまうような。いらないって一度殺したし捨てたじゃん!いいじゃん!育ててくれるっていうんだから!と思うけど、そこはそう簡単に進んだら話は勿論面白くはないもんね。
複雑に絡み合うわけで。

子供は何をされても親の愛を求めて、一度の優しさだけを記憶に残そうとするけど、されてきた言動の積み重ねは一生消えたりはしない。
癖というか考え方。自分の価値観。
勿論その先の人生で変わる事、変えられることもあるのかもしれないけど。
そして親を捨てるという決断も中々できないのも事実。

自分のことで言えば、ゲイというセクシャリティー。
昔こそ隠すべき事だったけど、自分の人生をありのままに生きたいと親にカミングアウトする人も増えてきたし、昔に比べて受け入れてくれる親も増えているとは思う。

ただそんな中でも同性愛を病気だと思ったり、受け入れずに縁を切る人も周りに沢山いるし、親の面倒見るのに疲れて病んでしまって、家を出ることになった友人もいる。でもそこには、孤独という大きな問題があったように思う。田舎という事もあり、実際に誰にも会って話せない笑えない辛さ。
これは自分も似た部分があるので、気をつけないといけない。
適度のガス抜き。友達作り。恋人作り。

いい親ならまだしも思いやりのないクソみたいな親なら捨てちゃえば?と思うのだけど、そうもいかないのも日本人。

そしてその友達もずっと家族の話をしてくれなかったのだけど、色々話してくれた時は嬉しかった。
もっと早くに気づいてあげてれば色々してあげれた事もあったのに、本当に見える上部だけのものでは人は分からないなと。
と同時に誰しもが同じようなものを抱えていて当たり前なのだから、それに気付けなかった自分も余裕がなかったのだろう。自分のことで精一杯。

でも同じような孤独の香りのする人は好きだ。
同志。仲間。助けたいなあと思う事もある。
ただ助けたいと思った時に、助けられる、引き上げられるだけの自分でいられるか。
安定していないと助けられるものも助けられないし、一緒に沈んでしまう。


本の中でハッとした一文があったように思う。
いつまでも与えられる側でいられるわけがない。
人は、与える側にならないとという。

自分もいつまでも甘えて与えられる側でいたいと求めてしまっているけど
いい加減地に足をつけて与えられる側にならないとなと反省した。

とにかく孤独を感じている人には読んでもらいたい本となりました。


うまくまとめられないけど、今の中途半端な自分の記録として。
このタイミングで読めて良かったです。

note始めたけど、これもまた52ヘルツみたいなものなのかもしれない。
誰も見てくれない可能性もあるけど、ただこうして書いてる。



















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