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絶望、あるいは死の断片 野菜クリーム

野菜クリームが死ぬほど嫌いだ。物を食べている気がしない。どうして、物を食べている感覚のしない食べ物を食べなくてはいけないのか。そんなものは食べ物とは言わない。私はただ栄養摂取のために物を食べているわけではない。食事を楽しんでいる。食事というのは、私の人生においてもっとも身近な幸せだ。幸せというか、生を感じる瞬間といってもいい。もっとも身近な生を感じる瞬間。ところが野菜クリームを口に含み、喉を通す瞬間、私は死すら身近に感じてしまう。死にたくなるとか、そのような能動的な感覚ではない。死の断片を体験してしまったような、絶望を感じる。

コロナ禍によるロックダウンが一番厳しかった頃、それこそ私の人生の唯一と言ってもいい楽しみは食事だった。同じ空間、同じ人間、同じ時間。まったく代わり映えのない日々。日々が液状化していくなか、一緒に住んでいる夫のマルクと自分の境界線もわからなくなる感覚さえあった。

そんななか、私とマルクはお互いが育った文化圏の料理を作りあった。マルクは、豚足や豚の頬肉のオーブン焼き、トリンチャット、ムール貝の酒蒸しなどを作った。美味しかった。おそらく日本でも、レストランにいけばそれらは食べられるのかもしれない。しかし、私はその特別な味が日常になる感覚がとても嬉しかった。少し変わった、だけどおいしい食事がカタルーニャで生活をしているという私の人生の輪郭を描いてくれているように感じた。私も自分が恋しくなった味を再現した。味噌汁や白米はもちろん、イカや魚を干したり、牛の舌を捌いて焼肉をやったりした。自分の好きな味による満腹感。マルクもおおむね気に入ってくれたようだった。

ところが、ある日のマルクの料理は様子が違った。何を食べたのかは覚えていないが、その日の昼食は割と重めだった。そのため、マルクが夕食は軽めのものにしようと提案してきた。そしてマルクがそれを作るという。賛成した。何も反対する理由がなかったし、基本的にマルクの作る料理は美味しい。野菜のクリーム。それがスープ皿に注がれた時も、特に何も思わなかった。しかし、一口食べた瞬間、絶望した。おいしい、まずいとかの問題ではなかった。実際、まずくはない。そして、身体が特に拒絶反応を示すわけでもない。しかし、美味しくもない。少しの塩味と野菜の甘味。そして、水分と粉砕された野菜が完全に溶け合っているわけでもないが、しかしながら口に入れば自動的に喉を流れていくテクスチャー。むしろ拒絶を許さない。完全に受動姿勢を強要させられる。

要するにそれは野菜クリームの移動だった。スープ皿から私の体内への移動。そこに私の意思は介在しない。味に対する感覚も食感も感じられない。あるのは、「やさしさ」。このやさしさが、絶望の元だった。野菜クリームはもはや、私の身体の一部となる準備がなされた状態でいる。スープ皿にいる時点で、あたかも私の身体の一部然としている。なので、私はもう受け入れることしか選択肢がない。野菜クリームの前に、私の存在は意味をなさない。

食事をしている時、私はおそらく食べ物と戦っている。切り刻み、噛み砕き、飲み込む。その際、自分の欲しかった物の味を感じる。食べ物も抵抗する。それにより、食感になる。喉越しになる。腹持ちになる。私は食べ物の抵抗に打ち勝つことによって、自分の食べているという行動の感覚を自ら認識できる。自分を認識できる瞬間が、まさに生を感じることのできる瞬間ということではないだろうか。ところが、野菜クリームはそれを許してはくれない。臨戦体制の私を、あざ笑うかのように私の中に移動していく。私が無関係ではないはずの私の食事に、私が介在しない虚しさ。そんな食事になってしまう、野菜クリームが私は死ぬほど嫌いだ。


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