![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/146558560/rectangle_large_type_2_478f717f71a5ccac613087ac80808460.png?width=800)
社会に”希望”がないから前向きになれない
ニートひきこもり状態の自分には時間だけはある。でも、何もする気が起きない。そもそもできることが少ないし、やりたいことができない時点で、ほかに振り向けるだけの元気が出ないから。
やりたいことを見つけたところで壁がある。まず金銭的問題。お金がなくてもできることはあるが、お金があるからこそ出来ることが増えていく現実がある。例えば、無料のゲームでも、有料アイテムなどがあったりする。僕が暇つぶしにでもそのゲームをやる場合、最初からアイテムを購入するという選択肢はない。その時点で楽しめない。出来ないことが分かっているというのは、前向きになれない原因になる。だったら最初からやらないほうが、もっと言えばゲームの存在を知らないほうが苦しまずに済む。
「死にたい」って思うのも同じような理由。生きていてもできないことだらけ。行きたいところ、買いたいもの、すべて買えない。買うためにバイトする元気がない。そもそもそういう元気を得るために行きたいところに行ったり、買いたいものを買える環境が必要。
走るための燃料がないのに、「燃料を得るために走れ」って言われているようなもの。現実的に不可能なんです。
何かをやったところで楽しめない。生きていても希望がない。だから死にたくなるし、何もできない。
今これを書いているパソコンも壊れていて、修理したいけれど金はない。絶望的なんです。これが修理できるお金があれば、少しは絶望感を消せるかもしれない。でも働くことは無理。だからどうにもならない。
希望の形は人それぞれ。
僕は死にたいけれど、正確に言えば、死ぬ以外に苦しみを無くす方法がないから。そして生きていても苦しみが増えていくだけで、楽しいことは一向に増えないから。
もし、本人が望めば安楽死できるようになれば、僕にとってそれは”希望”になる。苦しみを確実に終わらせることができるから。死ぬその日まで前向きになれる。
日本社会で自殺が多いのは、希望を作れていないからではないから。むしろ絶望を作り出し、人を死に追い込んでいるのではないか。
努力したところで希望は生まれない。
希望があるからこそ努力が生まれる。
前向きにならない人のせいではなく、希望を作れない社会のせい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?