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社会に”希望”がないから前向きになれない

ニートひきこもり状態の自分には時間だけはある。でも、何もする気が起きない。そもそもできることが少ないし、やりたいことができない時点で、ほかに振り向けるだけの元気が出ないから。

やりたいことを見つけたところで壁がある。まず金銭的問題。お金がなくてもできることはあるが、お金があるからこそ出来ることが増えていく現実がある。例えば、無料のゲームでも、有料アイテムなどがあったりする。僕が暇つぶしにでもそのゲームをやる場合、最初からアイテムを購入するという選択肢はない。その時点で楽しめない。出来ないことが分かっているというのは、前向きになれない原因になる。だったら最初からやらないほうが、もっと言えばゲームの存在を知らないほうが苦しまずに済む。

「死にたい」って思うのも同じような理由。生きていてもできないことだらけ。行きたいところ、買いたいもの、すべて買えない。買うためにバイトする元気がない。そもそもそういう元気を得るために行きたいところに行ったり、買いたいものを買える環境が必要。

走るための燃料がないのに、「燃料を得るために走れ」って言われているようなもの。現実的に不可能なんです。

何かをやったところで楽しめない。生きていても希望がない。だから死にたくなるし、何もできない。

今これを書いているパソコンも壊れていて、修理したいけれど金はない。絶望的なんです。これが修理できるお金があれば、少しは絶望感を消せるかもしれない。でも働くことは無理。だからどうにもならない。

希望の形は人それぞれ。
僕は死にたいけれど、正確に言えば、死ぬ以外に苦しみを無くす方法がないから。そして生きていても苦しみが増えていくだけで、楽しいことは一向に増えないから。

もし、本人が望めば安楽死できるようになれば、僕にとってそれは”希望”になる。苦しみを確実に終わらせることができるから。死ぬその日まで前向きになれる。

日本社会で自殺が多いのは、希望を作れていないからではないから。むしろ絶望を作り出し、人を死に追い込んでいるのではないか。

努力したところで希望は生まれない。
希望があるからこそ努力が生まれる。

前向きにならない人のせいではなく、希望を作れない社会のせい。

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