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研究室を脱出せよ!【2】ポスドク、振り返る。

すっかり暗くなった廊下に出ると、センサーが反応して蛍光灯が一斉に光った。窓ガラスに反射して照らし出された自分の顔を眺めながら、思えば、遠くに来たものだなあ、とひとり感傷に浸った。

僕の所属する研究室が入っているのは、分子生命学研究所、通称「分生研」と呼ばれる施設だ。東京から急行で2時間ほどの地方都市であるQ市は、N県でも県庁所在地に次いで大きな街だ。とはいっても、周りには田んぼがちらほらと見え、生まれてこのかた28年間東京で育ってきた身としてみれば随分ともの寂しい所である。そんな中、近代的な出で立ちの分生研の建物は、ひときわ目立つ存在として地元住民にはすっかりお馴染みの光景となっている。

僕はというと、半年前に東京の大学で学位を取得した後、博士研究員、いわゆる「ポスドク」としてこの地にやってきた。学生時代の専門はがんに関する遺伝子の研究だったのだが、以前から興味のあった再生医療に関わりたかったので、思い切って分野を変えることにした。普通、研究の世界はそれぞれコミュニティがあって、同じ世界の中で異動する限りは教授の紹介だったりコネだったりが効くのだが、全く異なる世界となると自分で探し出すしかない。

田所教授は、もともとは有機化学が専門なのだが、かねてからの再生医療ブームに触発されて数年前に生物学に参入してきた人である。蛍光プローブといって、細胞の中でピカピカ光る分子を色々と作っていたのだが、それをES細胞と呼ばれる再生能力の高い細胞に導入することで、細胞が分化していくメカニズムを解明する、というテーマを立ち上げたのだ。分野を変えた当初はなかなか結果が出なかったらしいのだが、三井さんが助手として赴任してきた辺りから徐々に成果が上がるようになり、最近はいわゆるビッグジャーナルと呼ばれる雑誌に立て続けに論文を発表している、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのある研究者だ。

自分の興味のあった再生医療の分野でめきめきと頭角を表していることと、自分の知らない有機化学の知識を学べるということで、進路先は迷わず田所研にした。幸い、向こうも生物学の知識をしっかり持った人物が欲しかったらしく、ポスドクの契約はすぐに決まった。更新は1年ずつ、最長で3年まで延期できる。ポスドクとしてはごく標準的な待遇だ。

出身元のラボの先生は、この話しを嫌な顔一つせず了解してくれた。

「君のやりたいことをやればいいよ。そのかわり、やるからには世界で誰も考えたことのない様な、オリジナリティのある仕事をしなさい。」

それだけいうと、あとの細かいことは何もいわなかった。もともとアメリカで学位を取得したこの先生は、考え方や行動もアメリカ的というか、いつもカラッとしていて合理的で、非常に親しみやすい人だった。

そんなわけで、無事博士号の取得が済むと、僕は単身Q市に向かい、今に至る、というわけだ。

東京から離れるということもあったが、全く異なる研究世界に足を踏み入れたということも、なんとなく疎外感を感じている原因なのかもしれない。

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