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(防災)不安があるからこそ、生きることへの心の張りが生まれる。防災の備えを様々な視点から見直そう。(ぼっち捨て活の場合)

南海トラフ地震に関わる緊張が高まっている。宮崎、そして神奈川でも、因果関係はともあれ、日々、地震が起こっている。
今年も、年頭の北陸の震災は言うまでもなく、地震は頻繁に起こっている。
そう、今年「も」だ。
誰もがそうであるが、自分の生活と関係の薄い地域のことだと、切実に心配することどころか、なかなか記憶や印象にも残りにくい。
でも、地震は、よく言われるように、いつでも、どこでも起こりうる。

ここから先をつづるのは、すでに地震で被害に遭われた方のことを考えると、痛々しい感覚にもなる。
しかし、残された人間、今無事平穏に暮らす人たちが、これ以上痛みを被らないことも、また大事だ。
そのような迷いと決心をいだきつつ、以下、綴ってまいりたい。


まず前提から。最初から最後まで、これを前提に綴りたい。

不安があるからこそ、生きることに対する、心の張りが生まれる。

こういう状況は、「生きるとは何か」ということを直接的に、切実に考えさせてもらえる。ある意味、生きるということを真剣に考え直せるという意味では、あながち悪いことばかりではない。


①モノを見直す

例えば、昨今、捨て活が広まりつつある。
捨て活は、大変有意義な面が多い。が、こういう状況になると、
「ちょっとそれは捨てすぎではないか?」
「それは自分で用意しておくべきものでは?」
と思われるものも出てくるはずである。

だからこそ、私はこれまで紹介してきた捨て活事例も、ただ快適さやファッションのためにそうしてきたつもりはない。やはり有事の状況を想像した上で、責任ある行動を取れるかどうかを常に考えつつ、判断してきたつもりだ。私にとっての捨て活は、いわば「覚悟と決断」のあしあとであったとも言える。

その上で、私の備蓄品を紹介しよう・・・と思ったが、やめた。

やはりここでは控えておこう。

結果として、「パニック買い」をあおってしまうことに、意図せずして、なってしまう可能性が高いからである。

また、私の思索や覚悟により決めたことが、
必ずしも安全を保証するものとは断言できない。
私自身の人生なら、それも諦めがつくが、本文を読まれている方々まで巻き添えをくらわせるわけにはいかないからだ。

故に、そこについては、皆様のご想像とご決断にお任せしたい。

ちなみに、私の用意している備蓄品は、アイテム数も量も、たかがしれている。
私の自宅は決して広くはないし、いつ来るかわからない災害に備えて、生活空間を備蓄品で埋め尽くすスペースの余裕は無いからだ。
「なければないで、なんとかなるさ」で済ませるものは、極力持ってないし、そういう厳選作業を、場面想像と覚悟とともに同時並行でやってきている。いうまでもなく、最悪の場合つまり生命の危機も含めての想定だ。

だから今さら何が起ころうと、私にとってはもはや、「来るべきもの来たれり」程度にしか思ってない。「いよいよかな」と、今までよりちょっと緊張感が高まっているだけのことだ。


②住環境を見直す

こういう時なので、自分の住む場所の「地の利」というものを、今一度、自覚しておいた方がいい。
要するに、自分の住む環境や地域の「いいところさがし」をするのだ。
もちろん、長所・短所の両面がさまざま発見できるだろう。
地域の長所を生かしつつ、短所の弱点補強策をイメージしておき、有事の際にどうすべきか、具体的にイメージトレーニングしておくのだ。

例えば、山間部なら、「津波の危険はないが、土砂崩れや噴火の危険はある」。平地なら「地割れや交通遮断は起こりにくいが、市街地ならば火災の延焼、渋滞、不足の密集・混雑が起こりやすい」。川の近くなら「氾濫の危険性はあるが、水の枯渇は比較的起こりにくい(もちろん地域によって異なるが」などである。

それによってどこにどう避難するか。家族知人との合流連携はどうするか。避難生活はどこでどのように送るか。さまざま、想定されるであろう。
想像のつく限り、こういう機会に、真剣に見直しておきたいものである。

デメリットの方が多く見受けられる場合は、自分が生き残る上で、何を最優先するかを考えるべきだ。その上で、譲れないもの、妥協するものに優先順番をつけ、判断していくしかないと思う。


③人を見直す

そしてこういう時になると、やはりご近所や地域の他人の存在が浮き彫りになってくる。

近隣の人々、時に難しい相手でもあろうが、同時に、かけがえなくと言っていいほど、頼もしい存在でもある。


どんなに他人が嫌いだと称する人間だって、究極、生きるか死ぬかの状況下では、人に頼らざるを得なくなる。極端な話、死ぬことだって、自分一人では穏やかに死ねるかどうかも怪しい。
まさに、「人間だれも一人では生きられない」という現実を突きつけられるのだ。

だからこそ、こういう機会だからこそ、普段疎遠になりがちな地域の方々への心遣いや陰なる配慮の大切さに気づけるだろう。

その思いを、今からできることはすぐにでも、行動に変えていくことだ。

難しいなら、最初はあいさつの一声でもいい。
それを今からでも励行していくことだ。
不安な気持ちは、相手だって同じ。いきなりこちらが見慣れない態度に変わったところで、この状況下だ。「いまさら何だ」なんて嫌な気持ちに感じる人などは、そうそう多くはないと思う。


④まとめ

どこの見知らぬ地域であれ、他人の死や不幸を、望んだり喜んだりしてる人間など、まず皆無である。

たとえ自分にとっての利害が何もなくとも、だ。

そういう、人としてのたしなみというか、本来の姿を思い出させてもらえるというだけで、こういう不安な状況もただ恨み呪うだけの対象ではなく、有意義なものへと捉え直せるであろう。その全ては、自分の心にかかっている。

ではまた。
おしまい。



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