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【アジャイル】カスタムする愉しさ

原理主義的なものも良いのですが、辛かったら続かないよなあ。

最近はアジャイルに向き合う日々

アジャイルアジャイルと言っている私ですが、真面目に向き合ったのはこの2年くらいのことで、ガッツリ開発の現場でアジャイル開発に浸かってやっていたわけではありません。

数年前にはじめてちゃんとやったときも、いきなりプロダクトオーナー(PO)の位置づけで、POとエンジニアという形もあったものの、すぐにある会社さんとの協業プロジェクトの中でBizDev(ビジネス開発)、UXリサーチャー、デザイナーも交えたプロジェクトで様々な役割の人がスクラムを回すという体験をしたレベルで、その後、DX(デジタルトランスフォーメーション)関係で社内で組織アジャイルに向き合うとき、その経験から関わるようになったという感じです。

なので、20年以上も歴史のあるアジャイルを全て紐解けているわけでもありませんし、おおよそのことはわかっていても細かいところはわかりませんし、経験もあるわけではありません。でも、今はそれを企業文化とすべく、なんとか推進していかなければいけない立場にはあります。もちろん目的を手段化するつもりはなく、アジャイルの価値を伝え、アジャイルマインドにある近代的なマネジメントを拡げて、変化に富む時代に適応できる会社にすることを目指しています。

アジャイルをちゃんとやりきるべきか?

まだまだ初心者な自分は、まずは知識レベルでアジャイルやスクラムなどの基本を押さえるのですが、実際のスクラムをちゃんと回すとなると導入することもそうですし、そのあとワークさせるのもなかなか骨が折れます。よほどアジャイルに期待と興味を持ってやろうという人でなければ自らやろうとしませんし、アジャイルのメリットや価値を押しつけがましくしても、やらない人はやりません。

自分の性格的には基本をまずきっちりやり、その後に自分や自分のチームに合う形にカスタムしていくべきと考えています。まさに守破離ですね。しかし(自分で言うのもなんですが)やりきるという強い意志と継続性を持ってアジャイルにコミットする必要があるのですが、それができる人はそこまで多くないですし、チームでやるとなると全員がコミットできないと結局チームとしては崩壊します。

ましては周りに広めるときに、「ちょっとやり過ぎ感あって、うちではできないな」とハードルの高さを感じさせてしまうと普及の足枷になってしまいます。
その辺は自分でもよく分かっているのもあり、本来は原理主義的にやりきりたくても、そうすべきではないなと考えを改めるようにしています。

気軽にカスタムしてもいいんじゃない

その辺は自分の価値観「バランス感覚」が発動し、置かれている状況を加味しながら、基本を押さえつつもどこが省略できるのか、簡素化できるのか、使う人の文脈に合うように言い換えるのか、など最初からカスタムに取り組んでも良いのかなと思います。

この辺は相手の持つ前提知識や体験、価値観、ストーリーなど相手になりきり(デザイン思考的に共感して)、アジャイルの要素をどう相手の普段から乖離させずに取り込んで運用し、彼らも課題解決ができるかを考えていきます。原理主義過ぎて何もやってもらえないより、少しでもアジャイルをはじめてもらうというところに重点を置くわけです。

そして大事なのはそこに留まらず、既に先人がやってきている型をうまく取り込み、より本質的なアジャイルに向けてプラクティスを取り込んでいき、アジャイルの熟練度が進んだときにまた再び自分たちでカスタムしていくという流れで常に改善していけるのが理想の姿です。

自分でカスタムできるようになってくるとかなり愉しくなってきます。それでさらに改善されて成果がより良いものが出せたり、チームのみんなが活き活きと働いていれば、自己組織化が進んで行くわけです。


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