見出し画像

【アジャイル】私のアジャイルジャーニー

現在毎日note更新チャレンジをしていますが、今回は私も参加している「シン・アジャイル」コミュニティでAdvent Calendarを行っており、そちらに参加しているので、それに乗っかった記事になっております。今回2本目の記事です。
(なんかまとまらず書いてしまったので、ちょっと長いです…)

本記事は、2022年16日目の記事です。今回のテーマは「私のアジャイルジャーニー(アジャイルとの出会いからこれまで)」についてです。

ちなみに一本目(6日目)の記事はこちらになります。

コミュニティはこちらです。

言葉や中身を知らずとも、なんとなくアジャイルしてきた

私は本格的にアジャイルというものを意識して取り組んだのはここ2〜3年です。とはいえ、自分の社会人人生を振り返ってみると、アジャイルという言葉やその中身を知らなくても、知らないうちにアジャイルの価値観やプラクティスに通ずることを無意識にやってきたように感じます

…で、ここに本格的にアジャイルに関わるまでの話を書こうと思ったのですが、全部入れると5000文字を超えてしまったので(汗)、一度書いたのですがバッサリ削除し、この記事上では省略しました。(別の記事で書こうと思います)

サマリーだけ書くと…

  • 1999〜2000年あたり、組み込みソフトウェアエンジニア時代に何となくオブジェクト指向を学び、イテレーションとかペアプロ、XP当たりは耳にした

  • その後、PC用のバンドルソフトの商品企画になり、ハードウェアとは異なったリリースサイクルで出した(お堅いプロセスのグレーゾーンをうまく縫って)

  • スマートフォンアプリの商品企画時代も、リリースに時間をかけずにニーズに応えて素早くリリースしていた

あたりを書いていました。

ということで、本格的にアジャイルに関わった頃からの私のアジャイルジャーニーを書いていきます。

本格的にアジャイル開発に関わる

2015年〜2019年あたりは既存のハードウェア製品に関わる商品企画を離れ、開発部門発だったり、研究部門発だったりの様々な新規事業の事業企画や事業開発、プロジェクトリーダーなどを務めていました。

その当時はまだリーンスタートアップやデザイン思考、アジャイルという言葉も知らぬまま、なんとなく感覚的にこういうやり方が良いだろうという自分の直感と価値観と愚直な行動力(笑)から、プロジェクトを進めていました。
※今考えると体系だって学んでない中で、よく立ちあげられたな…と思いますが

とはいえ暫く2〜3年というスパンで新規事業に関わる日々が続きました。

他社共創活動でアジャイル開発

2020年頃、社内の事業部に紐付かない形で(長崎の出島的に)社外の某通信会社様の協力の元、新規事業を検討する機会がありました。ここでガッツリ、アジャイル開発/スクラムに触れることになりました。

ワークショップで先方のビジネスデザイナーにアイディアを形にしてもらい、そのプロトタイプも先方のエンジニアで開発、自分がPO(プロダクトオーナー)となりました。
何もかもが初めてで、そもそもインセプションデッキを書いたり、バックログツールを使うのも初めてで戸惑いの多い日々でした。

インセプションデッキでは、何故我々はここにいるの?何を優先するの?ピッチを書いてください、などをディスカッションして言語化して、またそれをディスカッションして…を繰り返し、エンジニアの方と一緒に作ってきました。シンプルなフォーマットに言語化するために、こんなにタフで脳みそを使う問いかけをされ、なかなかエキサイティングだった記憶があります。

また、やりたいことをバックログに積んでくれと言われ、支援してもらいながら積んだら今度は「これはどうなれば達成なのか?」「どれが優先度が高いのか?」「バックログのタイトルは〇〇したい、なぜなら××だから、と書いてください」「これだと曖昧ですね、こう書き替えましょう」など、デイリースクラムの中で毎日話をしました。これまでの商品企画の時代でも決まった要件や仕様をエンジニアに投げて、多くても毎週か隔週の定例くらいしかしてなかったので、エンジニアと毎日話すという新しい文化、新しい仕事の仕方に衝撃を受けました

また、成果物をデイリーでレビューするのにも驚きました。
朝のデイリースクラムで今日やると決めたバックログの機能が、夕方には出てきて実際見られたり、触れたりするのです。
もちろんこの時に自分の要望とギャップがあれば翌日直すのかどうかも含め判断して修正してくれますが、ともかく自分の求める仕様で、動いて触れるソフトウェアが、その日のうちに自分の目の前にあるという状況に驚愕し、興奮したことを憶えています

これがアジャイルの持つパワーなのか!?と。

新規事業開発をアジャイルに

先の某通信会社様とはその後、お互いの持ち出しの元、共創活動が始まりました。
つまり一緒に新規事業・新規サービスを作っていこうとなったのです。

このときの座組では両社からそれぞれPO(もちろん私)とビジネス開発、先方からエンジニア、UX(ユーザーエクスペリエンス)リサーチャー、UI(ユーザーインタフェース)デザイナーが選出され、ソフトウェア開発だけではない新規事業開発のプロジェクトそのものをアジャイル/スクラムに進めることになりました。

このアジャイルなプロジェクト活動は、本当に楽しかったです。
みんなこのプロジェクト活動が専任ではなく、他の仕事の合間を縫ってアイディエーションからペーパープロトタイピングと仮説構築、検証インタビュー設計と実施、実際に動くアプリのプロトタイプ開発と検証、ビジネスモデル開発、競合調査、採算計算…など、あらゆることをスクラムのスプリントに載せて進めていきました。

もちろんデイリースクラムで、デイリーレビューもあり、毎日成果物を確認し、アプリがインクリメントされていく姿にワクワクし、忙しく大変な中でもこのプロジェクトに関わって良かったなと思いながら、仕事に取り組んでいました

2つの会社という置かれている立場や状況というのもすっかり私は忘れていました。そして丁度、世界的な感染症のパンデミックの時期だったので、ほぼ全てDiscordやZOOM、Muralを使ったリモートで働く環境でのプロジェクトでしたが、毎日話しているせいか、全く距離感を感じませんでした。

毎朝デイリースクラムの前にみんなでヨガをしたり、先方の会社のゲーム大会に呼んでもらったり、プロトタイプの動作検証にみんなでアプリをスマホに入れて、外を周り、ついでにみんなで神社でお参りしたり…

アジャイル/スクラムによって、機動的な仕事のリズムを作り出し、日々繋がって対話を毎日のようにして、そしてお互いに敬意を払い、やるべき仕事にキッチリコミットしてアウトプットを出し、そして遊びや和む時間を入れて信頼し合う…こんな楽しいプロジェクトがあってよいのか?と思うくらいの体験でした。

プロジェクトで生み出したアプリは価値検証の結果、価値がありそうだったのですが、両社の都合(事業部門の受け皿や、ビジネス規模など)もあり、残念ながら世の中には出す事ができませんでした。しかし、ここで得た体験と学びや気づきは自分の中のアジャイルに対する見方を大きく変えるものでした。

デジタルトランスフォーメーションにアジャイルで立ち向かう

先の協業の経験もあり、その後関わることになるデジタルトランスフォーメーション関連の業務の中では開発だけではない組織のアジャイル・仕事の仕方のアジャイルの展開・普及の役割を得ることができました。

ここで、いつもnoteの中でも出させてもらっている市谷氏とも出会います。
彼と一緒に進めたアジャイルを普及させる活動は、先の協業以上に刺激をもらい、一緒に徐々にではありますが成果に繋げてきました。

ここでもまた、社内の色々な思惑に晒され、明確な理由も言われずに途中でアジャイル普及の活動から外れたりもしましたが、アドベントカレンダーの6日目に書いた「傾きをゼロにしない」という信念の元、本業でちゃんと成果を出しつつ、可能な限りアジャイル普及の取り組みに関わり続けました。


このように社会人になってからの20年を振り返ると、アジャイルというものを認知してない時も、自分の中の価値観にはアジャイルに紐付くものを大事にしていたのかなと思いました。

私はそこまで上手な生き方をしていません。むしろ妻からはもう少し強かに、ズルく生きても良いのでは?マジメ過ぎるし、嘘をつけなさすぎるとも言われます。

でも、それが自分の価値観であり、その姿勢で仕事に取り組めば、人も動かし、心も動かし、不確実で不安定な中でも諦めずに難しいことに取り組んでいけると信じています。

アジャイル/スクラムの価値観と原則。

確約・勇気・尊敬・公開・集中
透明性・適応・検査

まさに自分が信じて動いてきたものだと、改めて思いました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?