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日本を変えたくて、番組ADになった

注:私は民放の情報番組のアシスタントディレクター(いわゆるAD)を2017年より2年弱していたものです。他の番組には当てはまらない内容もありますので、あくまで参考になれば幸いです。

私は、新卒で、迷わずテレビ番組制作のアシスタントディレクター(いわゆるAD)になった。あの時の自分は、それ以外の職には本当に興味がなかった。それは、ADとして成すべき一つの夢があったから。まずはその理由を説明する前に、多くの人がADになる理由から話してみたい。

一般的な志望理由は、エンタメ好き?なんとなく?

これは自分の感覚だから、本当のところはわからない。でも、ADになりたい人の志望理由として圧倒的に多いのは、「テレビが好き」「好きな芸能人に会いたい」だろうか。なぜADになったかという質問を、周りのADに直接したわけではないが、彼らが日常話す会話の中から伺えるのはこんなところだ。とにかく、「エンタメ好き」「ミーハー」という印象である。

もしくは「なんとなく」という人もかなり多いと思う。実際、新卒で10程度の番組制作会社を受け、多くの大学生たちと面接を一緒に受けたが、彼らの志望動機についての回答で、特別覚えているものは一つもない。「テレビをよく見る、だから作りたい」くらいだった気がする。

ただ、これは民放の情報番組の話で、他の番組では違うかもしれない。

私の大学の後輩でNHKに入った子がいるが、彼女は1年目から報道番組のネタ決めから取材先の選定、さらにはおそらく編集までを行うらしい。これは民放で言うディレクター業務だ。民放にいた私からすれば、1年目からこんな業務をやらせてもらえるとは驚きだ。民放で情報番組なら3年間、バラエティ番組なら5年間はADとして雑務をこなさなければ、ディレクターにはなれない。NHKの番組のレベルが違うのは、当然の話だ。最初からやらせてもらえる業務の質が違う。

彼女に直接志望理由は聞いていないが、一緒に大学のジャーナリズムの授業を受けていた子だから、きっと何かしらの「なんとなく」ではない理由があるはずだ。

自分の志望理由は、他の人とは違った

「じゃあ、あなたがADになった理由は何なんだ」と皆さんは思われているだろう。それに対しては、「日本がどうしようもなく嫌で、日本を変えたかったから」と説明しておきたい。

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私は、LGBTQIA(性的マイノリティ)に関する番組が作りたかった。自分には、5歳の頃から性別の違和感がある。生物学的には女性でありながら、心は女性ではなかったのだ。実際は、性別が無い"人間"のような自認だろうか。私は、ここまで生きるのに、かなり苦労した。周囲の女子を観察し、"普通"とは何かを毎日考え、本当の自分を殺して"普通"になろうと努力した。女子として"普通に"恋愛することに、腐心したりもした。

高校時代の自分は、ある種、誰とでも話せる"クラスの人気者"のように見えていたかもしれない。昼休みには、自分から呼ばなくても、何となく"イケてる女子"のような友達が集まってきて、一緒に昼ご飯を食べていた。文化祭では、劇も演じた。足もクラスで一番ではないにせよ、選抜リレーの選手に選ばれた。クラスでは、自分の言うことによく爆笑が起こったりした。ほとんど毎日5分程度遅刻していたが、クラスのみんなは笑ってくれ、何となく容認されていた。(クソです)本当に自由に生きさせてもらっていたのは事実だ。

だが、自分は孤独だった。

一応女子グループにいる自分は、女子集団と男子集団に二分した教室を眺めながら、「どちらにも属せない自分は何者か」と考え、家に帰ると毎日ノートにそれを書き記していた。行をはみ出し、凄まじい筆圧で、涙を垂らしながら。そのノートは20冊にもなるだろうか。一般的に女子高生と呼ばれる自分は、哲学者と呼ぶ方が相応しかった。

海外の多様性を、日本に逆輸入したい

それが大学3年の時、ニュージーランドに留学をしたことで、一変する。ニュージーランドに行くと、性別の違和感が消えたのだ。日々感じる違和感をベースに思考してきた自分には、違和感が消えたことが、また違和感だった。自分ではなくなったようで、怖くなったほどである。

なぜ、違和感がなくなったのか?

それは、ニュージーランド(オークランド)には「多様性」があったから。性別だけではない。人種・宗教・国籍・言語、またオークランドに住む理由も様々だった。この場所には、"普通"は存在しなかった。気づくと、自分は「多様な人間たちのうちの1人」になっていた。

自分の担任の先生は、トランスジェンダーのレズビアンだと、授業の最初に自己紹介してくれた。クラスメイトのシリア人は、政府軍によって家が半壊したので、ニュージーランドに難民として逃げてきたと言って、半壊した自宅の写真をスマホで見せてくれた。たまたま大通りでバス停の場所を聞くために話しかけたソマリア人もまた、難民で自国から逃げてきたと言った。また、クラスメイトのサウジアラビア人は37歳で、子供が3人おり、女性の自由がない自国から逃げてきたと言った。大通りを歩けば、聞こえてくる言語は様々で、歩く人の人種や宗教も様々だった。

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▲ニュージーランドの人種割合(2006年時点)(出典:Britannica)(※オークランドでは、アジア人の割合がこれより多く、ニュージーランドのヨーロッパ人の割合はこれより少ない)

馬鹿だった、と思った

自分がずっと探してきた"普通"なんてものは、世界には存在しなかったのだ。狭い、単一民族国家である日本の"普通"に、自分はこだわっているにすぎなかった。

とにかく、自分は海外を知ったことで救われた。だから、この"普通"という呪縛に苦しめられる日本人を、またマジョリティの6倍の自殺率とも言われるLGBTQIAの人たちを、救わなければと思った。

言い換えれば、"寝ている日本"、つまり多様性がなく社会について考える機会がない日本を、その考えることをしない日本人を、変えなければと思った。

だから、一番効率良く多様性を伝えられるテレビという媒体を選び、かつこのような社会問題を知るべきは(NHKの視聴者層ではなく)民放の視聴者層だ、ということで、民放の番組ADを志望することになった。

この時の自分は、これから始まる恐ろしいAD生活をまだ知る由もなかった...

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