見出し画像

第4回 「アフターコロナに忘れたくないこと」(2020.6.28)

 2020年6月3日(水)、14時ごろ。

 私は12mの高さの、100°とわずかに手前に傾斜した壁に取り付き、握りこぶしほどのホールドに手足をかけていた。目の前には、この課題のゴールとなる、青いガバホールドが見えている。ここまで登ってくる間の負荷で、腕はすでにパンプし、ホールドを保持する力はほとんど残っていない。ホールドを持つ手が外れて落ちたらと思うと、足が恐怖で震え、呼吸が浅くなる。それでも、今日絶対に、目標にしていたこの5.10aの課題を完登すると決めて、取り付いたのだ。

 私は残る力を振り絞って、最後の一手を出した。ゴールのホールドをつかみ、最後のヌンチャクにクリップした。

「テンション! 下ろしてください」

 手を上げて、下でビレイをしてくれている仲間に声をかけると、仲間がロープにテンションをかけ、ゆっくり地上へと下ろしてくれた。地面に足が着くと、膝から崩れ落ちた。座り込むと、自然に涙があふれてきた。

「今、私は生きている。自分の生命の火を力一杯燃やしている」

そう感じた。


 3月下旬、私がハワイ出張から帰国してすぐに、日本でも自粛ムードが始まった。時間さえあれば毎週のように行っていたクライミングジムも、クラスターが発生しやすい場所ということで、自ら行くのをやめた。4月上旬からはほとんどのジムが休業になり、行きたくても行けなくなった。

 ジムに行けなかった3カ月間、毎週日曜日に仲間たちとオンライントレーニングは続けていた。それに、仕事が繁忙期に差し掛かれば、数カ月ジムに行けないことは、今までにもあった。

 けれどもやっぱり、足がすくむようなこの高い壁に取り付いて、自分と向き合い、自分を信じ、自分の力を限界まで出し切って、自分の手足だけで壁を登っていくこの単純な行為が、私には必要なものだと思った。これが、「私の日常が戻ってきた」と感じた瞬間だった。


 私は忘れない。
 この当たり前の日常が、こんなにももろく、崩れやすいものであることを。安心・安全に過ごせる家があり、おいしくご飯を食べられて、犬たちと戯れられる、そんな小さなことが、かけがえのない幸せであるということを。

 私は忘れない。
 同じ事態を見ていても、人々の受け止め方はあまりにも多様であるということを。その多様さを受け止め、尊重し合うことの大切さ、そして難しさを。

 私は忘れない。
 たとえコロナ禍が落ち着いたとしても、自由に出かけられない人たちがいることを。そういう人たちもこの社会で仕事をし、余暇を楽しめるよう選択肢を増やすことの大切さを。

 私は忘れない。
 政治や経済がいかに私たちの日常の安全・安心とつながっているかということを。民主主義とは、不断の努力によって守り続けていかなければいけないものであるということを。

 私は忘れない。
 私の一人の生活でさえ、たくさんの人々の生活とつながっていて、お互い支え合っているということを。この広い世界は、すべて一つにつながっているということを。

 私は忘れない。
 生命は儚く、人生はいつ突然終わるかもわからないことを。やりたいことをやるために、何かを恐れたり、躊躇したりしていてはあまりにもったいないということを。

 人は本当に忘れやすい生き物だ。特に都合の悪いこと、苦しかったことはすぐに忘れてしまう。だから、このコロナ禍で感じた大切なことを忘れないために、ここに記しておく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?