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パーキングエリア

 お気に入りのパーキングに近づくと、「満」の文字がこれみよがしと邪悪に光っていた。

 担当クライアントにお伺いする時によく使う、いつも空いていて停めやすいこの駐車場が満車とは、今日はとことんついてない日だと悟った。

 今朝、飼っている柴犬が珍しくトイレの外で用を足してしまっており、忙しないかつ貴重な朝の時間を掃除に費やすことになった。和風な名前を付けたくて「明智」と名付けたこの愛犬。飼い始めた頃、どこにおもちゃを隠してもまるで探偵のように見つけてくるので、そちらの方をイメージしてつけた名前だったが、まさか戦国の世で君主に仇をなす方のそれだったとしたら、これは悲しいことである。

 そんな忙しない朝のせいもあってか、髭を剃り忘れた。男なら誰もが共感してくれるだろうが、家を出てから髭を剃り忘れたことに気づくというのかどれほど恐ろしいことか。朝剃り忘れたということは、夜にはもっと伸びているということだ。

 今朝剃られているはずだった髭の先を撫でながら、勤務先へと車を走らせている時にまた1つ気づく。せっかく用意した自分の弁当を玄関に置き忘れてしまった。生憎、自宅には謀反者の明智しかいない。お昼に食べようと用意した生姜焼き弁当は、夜ご飯担当にすることにした。

 クライアントとの打ち合わせが終わり、職場に着くと、隣の席の後輩がキャスター付きの椅子を滑らせて近づいてきた。
「先輩、今日のお昼ってお弁当ですか?」
「いや、色々あって今日は外で食べようかなと」
「いい店見つけたんで、食べいきましょうよ」
 
 食い気味に話を振ってきたこいつ。多分今日は奢って欲しいんだろうなとすぐに分かった。奇しくも、こいつの名前は「細川」なので、明智との関連性を考えると、これ以上自分へ不都合をもたらされるのではないかと不安が生まれた。

 「そのお店見せますね」
 飲食店に評価を付けられるアプリで調べ始めた。あまりそのアプリに絶対的な信頼を置かないほうがいいのにとも思いつつ、念の為星の数を聞いた。

 「3.7なんですよ、めっちゃ高いですよね?」
 その3.7という数字にどれだけの期待を寄せるかは人それぞれだし、期待した分損することはしたくない。なるべくフラットな気持ちで足を運ぼうと思った。

 メニューについては確認せず、後輩に着いて、予定された昼食会場を目指した。
 味のある外観で、定食屋だとすぐに分かった。
 店の入口は引き戸で、カツオが帰宅するときくらいいい音を鳴らして開閉できる引き戸だった。
 「この店のおすすめ、これっす」
 意気揚々と、後輩は自分のスマホを顔面間近に押し付けてきた。

 はあ、最悪だ。
 なんでこんな日の昼食に、大盛りの生姜焼き定食を食べることになるんだ。

 腹にもう隙間が無くなるくらいの量を食べ、あと一口で食べ切れる肉を眺めていた。後輩は喫煙者なので、先に食べ終わり、会計を俺に任せて外へと出ていった。引き戸の快音を響かせて出ていく「細川」の後ろ姿に少し腹が立った。信長も死に際、光秀の謀反に気づいて心底腹が立ったに違いない。

 こんな満腹の時、今朝見たパーキングの様に「満」の字を赤く光らせたいなと思った。
 残してしまうのは申し訳ないので、寂しく処遇を待っていた一切れの肉を箸で持ち上げ、もう停められない腹の中のパーキングに、1台多く停めることにした。

 

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