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ひかりのなかを歩め

ほどよく残業を終えて会社を出たあと、なんとなくまっすぐ帰る気になれない日がよくある。かといってそんな日は、食事も買い物も気が進まない。その日は、ああそうだ、かばんにいれてきた『生活の途中で』をどこかで読もう。と思って喫茶店に寄ってみた。通いなれた神保町の喫茶店をめがけていったのだが、夜遅かったせいかその日はクローズの看板がかけてあり、まあどこでも。と思い、近くにあったべつの店にはいる。

ひとり。と伝えると、お好きな席にどうぞと言われる。席をじぶんで選んでよい喫茶店というのはとてもいい。照明はほどよい暗さで、年季の入った調度品が所狭しと置かれた店内は、子どものころに遊んだ祖父の部屋のようで居心地がよかった。まだなにも注文していないのに、またここに来よう。と思ってしまうほどに。

外がひどく寒かったので、あたたかくてあまいものがよいなと思って、アイリッシュコーヒーをたのんでみる。ウィスキー入りのコーヒーというもので、以前「正直さんぽ」で大森だかどこかの喫茶店を特集していたとき、有吉弘行がおいしそうに飲んでいたので気になっていたのだ。古い喫茶店にはみなアイリッシュコーヒーが置いてあるのだろうか。おなじメニューに遭遇できてラッキー。注文の品がくるまで本を読むのはよそうと思って、店の内装をながめたりしてただ座っていた。わたしのほかに客はいなかった。カウンターのほうで店員の女の子がふたり、ひそひそと会話しているのが聞こえる。

エプロンをつけた女の子が「二十歳過ぎると体感時間早くなるって言うじゃないですか、あれなんでですかね」と言い、もう一人が皿を拭きながら「時間をいつくしんでないんじゃない?仕事とか、そういうのを、はやく終われーって思ってるから」と返す。エプロンの彼女のそうかなあ、という相槌と一緒に、その会話は厨房の奥に消えていった。

ほどなくしてアイリッシュコーヒーがやってくる。おもわず写真をとりました。小ぶりのグラスにあたたかい液体がたっぷり、そしててっぺんにはクリームがこんもりと乗っていた。遠目にみるとビールやワインのような格好なのに、口当たりはあたたかくてあまい。すばらしい。日ごろはチェーン店ばかり入ってしまうため、ときどきおいしいものに出会えることはよろこばしい。

『生活の途中で』をひらく。先日の文学フリマで手に入れたもので、告知を見たときからほしいほしいと思っていた。生活をテーマにした合同誌。朝一番に、伊藤さんにたのんで買ってきてもらったのだ。伊藤さんがいなかったら売り切れて買い逃していたはずだ。うれしい。

他人の生活の記録というのはどうしたっておもしろい。わらったりかなしくなったり、わかると思ったり、とにかくたのしく読んだ。わたしも洗面所にゴミ箱のあるビジネスホテルに泊まると「おっ」と思うこと。こだまさんの「出版前夜」では、こだまさんの心中もさることながら、綴られる編集者の高石さんの姿に胸打たれてしまった。わたしもあんなふうに仕事と向き合えるようになりたい。それから、夜勤のゴミ捨て場で見る空の、しずけさとつめたさ。宝石の街で育ったいずみさんの、会ったこともない妹さんの顔をわたしも知っているような気になったりもした。執筆者のだれもが、だれとも似通っていないところが良い。ひとつの冊子におさめられた8人は、交差点でおなじ信号を待っている8人にも、昼間の電車でおなじ車両に乗り合わせた8人にも思えた。集められるべくして集まったのだろう他人の肖像が、手触りのあるものとしてうかびあがってくる、そのかけがえのなさ。

読み終えて時計をみるときっかり一時間。本を読むために喫茶店に行くというのを、なんだかすかしているような気がしていたのだけど、なるほど集中できるものだね。と考えを改める。とっておきの読み物があるときは、今度から喫茶店にこよう。アイリッシュコーヒーをのみほすと、グラスの底には琥珀色のざらめ糖がきらきらと溶けのこっていた。あまさの正体はこれね。とひとり合点して、会計に立つ。ところで、あまりにほかの客がこない(わたしが訪れたことのなかっただけで、ここはそこそこ有名な店のはずなのだ)ので、もしかしてわたしが閉店時間までぎりぎり粘る迷惑な客だったのではないだろうかと不安になってしまい「ここ、何時までですか」と聞いてしまった。エプロンの彼女は「22時までです。平日はお客さんぜんぜん来ないんで、ここけっこう穴場ですよ」と言って、にっと笑う。わたしの放った質問に、回答以上のコミュニケーションをとってくれたことがうれしくて「またきます」と告げて店をでた。

気がつけば四半世紀を生きている。まだまだ、かもしれないし、もうそんなに、かもしれない。30歳も40歳も50歳も、きっとあっという間だ。すこし前までは人生は長すぎると思っていたけれど、案外そうでもないのかもしれない。特別なことなんてなくても、なんでもない日々でも、できるだけいつくしんでやれたらと思う。限りある時間のなかで、その一コマ一コマを「早く終われ」と呪うのは、あまりにかなしい。ミワさんのつけた、等しい光という名にこめられているだろう、さまざまな意味を想像しながら夜道をあるいた。

もうすぐ冬がくる。

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