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うつくしく混沌(雨傘について)

2泊3日の香港旅行にいきました。息ぐるしいほどあつくて、豊かにうるおっている魅力的な国でした。旅のあいだ、その日のうちにホテルのベッドでつけていた日記に加筆したものを載せます。

1日め

香港についた!
ぶわっと蒸しあつく、しめっている。34℃もあるらしい。超高層建築、人人人、食べもののにおい、あつあつの湯気、怒号、たくさんの巨大な看板。中華圏の異常な過密さには底知れないパワーをかんじる。

15時ごろ空港についてすぐ、現地の旅行会社のピーター・陳と名乗る男性がホテル行きのバスまで案内をしてくれた。とんねるずの木梨憲武にちょっと似ている。日本語がひじょうに流暢で、いくぶんほっとした。あしただけ半日観光ガイドをたのんでいる(なんと無料のオプションだったのだ)。ホテルに向かうバスの中から貨物港がみえた。はじめてみるものがたくさんある。

バスからホテルまで案内してくれた楽さんというおじいさんガイドはとても親切で、ホテルのフロントまでいっしょにきてチェックインのやりかたなどを片言の日本語で細かく教えてくれた。

「困っても、かんたんなEnglishで、ダイジョブ。香港、国際シティだから」

と楽さんは3回も言うので笑ってしまった。

ホテルはネイザン・ロードという中心街のどまんなかだった。事前に調べていた飲茶のお店に行って、えび入りの蒸し餃子とマンゴー入りタピオカ、香港式ミルクティーをたのんだ。マンゴーはつるんとつめたくてほんとうにおいしかった。すこし休んで、ネイザン・ロードを歩きながら重慶大厦(チョンキン・マンション)という、大好きなウォン・カーウァイの映画『恋する惑星』のロケ地を訪れた。

あゝあこがれのトニー・レオン。いかにも香港らしい過密な複合ビルにけっこう感動してしまったのだけど、ふつうに治安が悪そうだったのでそそくさと出る。小さい日本人女がうろうろしてもいい場所ではなさそうだった。そのあとは港で夜景をながめたりして、ファミレスに似た安い店で貝入りの辛い汁麺をたべた。あまりに辛くてけっこう残してしまったが店のおじさんは親切だった。いまのところみんな親切で、楽さんの「香港、国際シティだから」という言葉を思い出す。

夜、ホテルの前のパン屋でエッグタルトを買った。ホテルには食事がついていないので、あしたの朝にたべるのだ。

2日め

きょうも香港は蒸しあつい。ちなみにきのう買ったエッグタルトは正確にはカスタードパイだった。見た目がよく似ているからまちがえた。カスタードパイでもおいしかったが。

きょうの半分はバスツアーがあるため、6時に起きる。顔を洗ってぼんやりしていたら部屋の電話が鳴って、なにかと思ってどきどきしながら出たらピーター・陳からだった。「皆さまにモーニング・コールを差し上げております」とのこと。なんて有能なエージェントなのだろう。

そんなたよりのピーター・陳は話を聞いたらなんと日本人だった。

「わたしの母は日本人なのです。そして」

一呼吸置いて、

「わたしの父も日本人なのです」

というのがどうやらかれのおきまりの口上らしかった。いっしょにバスに乗り合わせた10人くらいが文字通りずっこけた。かれはもう香港に赴任して25年も経つのだという。ピーター・陳というのは便宜上の名前だそうだ。コミカルな響きだし、呼びやすくていいと思う。かれは気配りがとてもすばらしく、そのおかげで快適なツアーをたのしめた。展望台やきれいなビーチに連れていってもらったが、ただ有名どころを回るのではなく、その土地の歴史や経済についても話してくれるために勉強になった。さすが無料のツアーらしく途中であやしげな枕や真珠入りの美容クリームなどを紹介されたが、かれの話しっぷりがあまりに達者なためにちっともいやらしいと思うことなく(むしろそのあやしい枕すら購入を悩むくらいに)聞き入ってしまった。天才的に話のじょうずなひとというのはいるものだ。

香港は世界有数の格差社会なのだとピーター・陳は教えてくれた。けれどもそれによって経済が成立しているのだともいう。山手に住むわずかな富裕層が莫大な税金を払うことで、低所得者が住む公営住宅の資金がまかなわれている…といったぐあいに。たとえば600万円の車があるとしたら、その税金は800万円だそう。びっくりだが、富の再分配というものが、ある種極端なかたちで成熟しているのだろう。

山の上のビバリーヒルズみたいな邸宅からおりてくるベンツやBMWの高級車をながめたあとで、ピーター・陳は「みなさんにお見せしたいものがあります」と言って、九龍島の最下部にある公営住宅の密集地をバスの中から見せてくれた。ぎゅうぎゅうにひしめきあったレゴブロックみたいな超高層建築が、車窓から見渡せる視界いっぱいに建てられている。日本の集合団地の比ではなかった。まるで鉄格子みたいなちいさな嵌め殺しの窓ひとつひとつに、洗濯物や薄っぺらい布団のようなものが干されていた。めいめいの事情をかかえて、無数のひとびとが息づいている。

さいごに訪れた黄大仙(ウォンタイシン)というお寺で手相占いをしてもらったのだが、わたしの順番は最後だったためにすこし長引きそうだった。途中まで付き添ってくれたピーター・陳にその心配を伝えると「ぜんぜん気にすることはないですよ。日本にはほとんど日本人しかいないから協調性がすごい。それもすばらしいことだけど、香港にはいろんな人がいますから誰も他人のことは気にしません。迷惑かけたとしても、お互いさまですから」と言ってくれた。

「わたしはもう日本の感覚では暮らせなくなっていますよ」

かれはバスに戻る途中でそう言った。どんな相槌を打ったらいいかわからなくて、黙っていた。

ツアーは14時すぎに解散し、ピーター・陳にお礼を告げてわかれる。バスツアーなんて疲れるだけかと思っていたのに、こんなすてきなエージェントに出会ってしまうとうれしくなる。

そのあとはまだ明るい時間だったので、地下鉄に乗って女人街(ノイヤンガイ)というマーケットに行った。チープな雑貨がたくさん売っていて、特別ほしいものはあまりなかったがせっかくなのでキーホルダーなどを買ってみた。ここに来たら値切り交渉をしたほうがいい、とピーター・陳が教えてくれていたので、ためしにかんたんなEnglishでディスカウント、と言ったら店のおねえさんはほんとうに値下げしてくれた。香港、国際シティ。

ここ女人街のあたりは下町らしく、八百屋や肉屋が軒を連ねていておもしろかった。観光もよいが、市井の人の暮らしぶりをのぞきみることがたのしい。夜は香港島まで渡り、経済の中心地だという中環(セントラル)駅に降りてみたが、なぜか異様に混んでいたのですぐに引き返した。すこし歩きすぎてつかれた。

3日め

きのう香港でおおきなデモがあったらしいことを、父からのメールで知った。「知らなかった こちらは大丈夫」と短く返す。ほんとうにまったく気がつかなかった(デモのあった香港島とは別の島を拠点にしていたからだ)が、昨晩の中環の混み具合、そして地下鉄の乗客のなかに赤いプラカードを持った人がすこしだけいたなということをあとから思い出して合点する。ものごとの渦中というのは近くにいればいるほどわかりづらい。

朝食はホテルの裏通りの大衆食堂みたいな店で甘辛い牛肉入りの汁麺をたべた。香港では基本的に食事と甘い飲み物がセットになっていて、それにはカフェオレがついてきた。食べ合わせは最悪だったがコーヒーが濃くておいしかった。注文を取りにきた店員は愛想がよくて、ぼくはすこし日本語ができるんだ、と言っていた。日本人であることは基本的にお得だ。みんなもっとじぶんの出自に自信を持ったほうがいい。

朝食のあとはさんぽのつもりで、近くにあった九龍公園をぶらついた。ここは花鳥園のようになっていて、フラミンゴだとかインコだとか首だけが黒い白鳥などをたくさん飼っていておもしろい。太極拳をしているお年寄りたちをみかけた。途中で通り雨にふられたが、5分でやんだ。雨がやむと涼しくなって、緑はいっそう濃くなったように見えた。香港の雨はさっぱりと豊かでとてもいい。

昼すぎには空港に向かった。家に帰るのがとてもたのしみだ。旅の醍醐味みたいなものを語るとしたら、それは旅先で起こることをたのしむだけでなく、家に帰ることへの何倍ものよろこびにもあると思う。じぶんの布団や使い慣れたマグカップ、湯のたくさん出るシャワーなどへの愛着は、こういう時間を経て形成されるのだろう。

東京に着いて、とてもさむくておどろく。iPhoneの天気アプリをひらいたら、なんと16℃しかない。梅雨入りしたことを喧伝するかのように、成田はどしゃぶりだった。梅雨も香港の雨くらいにさっぱりとしていてほしいのに。重たいスーツケースを転がしてかえる。

おみやげをたくさん買ったが、たくさん買いすぎた気もする。そんなに親しいひとがいるわけでもないくせに、他人にあげるようなものばかり買っていた。知らない街ではすこし人恋しくなるらしい。

After the rain

香港のデモが激化して、一般市民と警官が衝突したり、催涙弾がうたれたというニュースをみた。あのごちゃごちゃと熱気の満ちた通りで、ほんとうにそんなことがおこなわれているのだろうか。センセーショナルなできごとを見ると気持ちがあせる。どうか誰も死んだりしないでほしい。できれば傷つくひとも少なくあってほしい。

うつくしく混沌とした国だった。

じぶんに買ったおみやげの翡翠のブレスレットや、ポストカードなどをながめる。また行きたいし、いつでも行けるような国であってほしいとねがう。

そういえば、ピーター・陳はどうしているだろう。ちょっと心配になったが、きっとかれはかれらしくやっぱりあの軽妙な話術で、ときどき遠くのほうを見つめたりしながら、あやしい枕やあるいは真珠入りの美容クリームを、きょうもどこかで言葉巧みに売りさばいている気がした。


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