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”いじめ”の傍観者は加害者なのか、それとも被害者なのか?

こんにちは、うるまです。

前回記事では、私が人生で初めて”人の死”と向き合った経験についてお話ししています。↓↓↓


さて今回は、私が”いじめ”を経験した中学でのお話をさせていただきます。

私は中国の上海にある小学校を卒業後、同じく上海にある日本人学校(浦東校)に入学しました。


ちなみに海外の日本であっても、学習要領は日本の中学校と変わらないので、同じ教科書を用いて同じ内容を勉強します。ほとんどの人が高校は日本の高校に進学するので、高校受験を見据えての授業を日々受けていました。


日本の中学校との違いといえば、週に1コマ中国語の授業があることでしょうか。そこに関しては”中国の中学校”感を出していると感じたことを覚えています...。



そして何気ない日常を送っていたのですが、そこで私は”いじめ”というものを初めて目の当たりにすることになりました。同じクラスの女子生徒がいじめに遭っていたのです。


その女子生徒は元々いわゆる「女子の一軍グループ」に属していた子でした。つい最近まではあんなに仲良くしていたのに、ふと気が付くとそれは”いじめ”に変わってしまっていました。


何が原因なのか分かりませんが、明らかに普段とは様子が違うことは容易に分かりました。


あからさまに無視されている。プリントを雑に配る。わざと足を踏む。足を蹴る。


日に日にエスカレートしているのは明らかでした。そのいじめは先生の目を盗んで行われていたので、大人たちは何も気付いていませんでした。そんな中、周りの人は見て見ぬふりをして自分の日常を守っていました。


何を隠そう私もその傍観者のうちの1人でした。その時は、いじめられている子を庇ったことにより、いじめの矛先が私に向くことを恐れて、見て見ぬふりをすることしかできませんでした。


その当時の私は、”みんな”側から逸脱することを恐れ、自分の気持ちに気付かないようにして、嫌われないような行動を常に選択していました。


そして、実はそのいじめられている女の子と私は同じマンションに住んでいたので、帰り道が同じになることも多かったので以前はよく話をしていました。いじめ初期の頃に私は「何をしたの?」とその女の子に尋ねると、その子は「分からない。気付いたらこのような状況になっていた...。」と答えていました。


そしてその子は今にも泣き出しそうな顔で、私にこう言いました。


「私がいじめられてても、これまで通り仲良くしてくれる...?」


私はその子から助けを求められていたのだと思います。勇気をもって弱さを見せてくれていたのです。

そんな強い彼女とは対照的に、”自分が可愛い”弱い私はこう答えてしまいました。


「ごめん、分からない...。」


その答えを聞いた彼女の顔が今でも忘れられません。


唯一の可能性を失ったように、微笑みながら涙を我慢している姿が今でも脳裏に残っています。



そして、いじめがエスカレートするにつれて私はその子と距離を取るようになっていました。その子が辛い思いをしていることは痛いほど感じていましたが、「この子と一緒にいる所を見られたら、私もいじめに遭ってしまうのではないだろうか?」という自己防衛から極力関わらないようにしていました。今思うと情けなくて仕方がないです。


しかし、その当時の私は”みんな”から外れることが何よりも怖かったのです。


とうとう、その子は中学1年生の途中で現地学校(インター)へ転校してしまいました。私はホッとした気持ちと、”見て見ぬふりをして何もできなかった”情けなさが込み上げてきたのを覚えています。


いや、自分を守るためにいじめから目を背けた私が、ホッとする資格なんてありません。私も間接的に”加害者側”の人間になってしまっていたのです。”被害者”にならないために”加害者”を演じていました。


その女の子にもう一度会えるのなら、私は何を言うだろうか。いや、何も言えないです。何も言う資格がないと思っています。


「あの時はごめん」と謝る、「これからは〜する」と宣言する、これら全て私の自己満足で終わってしまうからです。

その子には2度と会わなくてもいいと思っています。許してもらおうとも正直思っていません。


でももし今後、当時と同じような状況になった時は、”みんな”に染まって思考停止で同調するのではなく、”自分”はどう思うのかを指針に行動すると決めています。この経験を通じて私はマイノリティとして生きることへの抵抗が少なくなりました。

もう2度と、自分で自分のことを嫌いになりたくないです。


最後まで、ご覧いただきありがとうございました。

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