キャリアチェンジは可能である ~キャリアチェンジの実現までとこれから~(後)

前回の記事では、自分がキャリアチェンジを意識しはじめるところまでを書いた。そこに行き着くまでにさまざまな葛藤があり、紆余曲折があった。だからそれは必然で当然のなりゆきであるとも思える。そのような社会的環境の変化にすぐさま適応できなかったため、自分に何が必要なのかが次第に見えてくることになる。また、自分にとってかけがえのないもの(こと)との出会いもあった。

自分にとっての武器とは何か

社会的環境の変化によって自分に何かしらの強力な武器を身に付けなければならないことはわかったが、それが何を指すのかはまったくわからなかった。そのころの社会は東日本大震災が起こった時期でもあった。そのころは、さまざまな情報が飛び交い、何が正確な情報なのかはわかりにくい状況であった。それは現在の状況と非常に酷似している。やはりこの国では世界的な経済的危機や国内における自然災害の影響が、人々の仕事や生活を常に脅かしている状況であり、それに対する有効な手立てはまったく取られていないう見方もある。そのような国内外の危機に直面する私たちはどのように対処すればいいのだろうか。僕はそのために、自分には教養を身に付けなければならないと思うようになっていた。

きっかけはほんのささいなこと

ではその教養とはなんなのか。当時僕は漠然とした心理学への興味をもっていた。それはおそらく、人間関係に関することの経験から心理学への興味に発展したのだと思う。そのようなことから心理学を学びたいと思うようになった。書店に行くと関連する本が数多くあり、どれを手に取ればいいのか皆目見当もつかなかった。また、どうせ勉強するのであればちゃんと勉強したいと思い、書店での本はほとんど手にとらなかった。そんな折、ちょうど当時の同僚から放送大学の存在を知った。僕はかなり迷ったが、とりあえず基礎的な科目だけを履修するということで入学に踏み切った。

それからは、あれよあれよいう間に心理学という学問に没頭していった。勉強するということがこんなに楽しいものなのかということも初めて知った。心理学にどんどんのめりこんでいき、いろいろな論文を読み、学会大会にも聴講しに行った。僕はそれまで、心理学は精神的な疾患のある人に対しての心理的な療法という位置づけでしか心理学という学問を認識していなかった。むしろそれが良かったのかもしれない。心理学にはさまざまな領域があって、ということから心理学は科学的な視点に立って、実証的な研究の結果に基づくものということまで、新たに知ることになった。心理学は、精神的な疾患を持っている人を治療する学問というイメージをもっていた。しかし、どのような人であっても、生活において何かしらの葛藤や悩みは誰しもが抱えていること。しかし、そのような受け皿になるようなものは、まったく存在していない、ということを学問を通して知ることになった。

再びきっかけはささいなこと

放送大学で心理学を学んでいたころは、僕は非正規で製造の職についていた。しかし明確に、キャリアチェンジをしたいと思っていたがどこにチェンジすればいいのかはまだわからずにいた。ただ、ここまで心理学を学問的に体系的に学んできて、その学んだことをこれからはなんとかして生かしたいと思うようになっていた。もう、製造の業界に戻ることはまったく考えていなかった。そんなとき、あるところのある人に相談したことがあった(当時はあらゆるところに何度も相談をしていた)。その時、キャリアコンサルタントという資格の存在を知った。僕はそのとき、これだと思った。それまでは僕は、心理学の資格といえば臨床心理士や認定心理士、また公認心理士などの存在も知ってはいたが、自分の求めているものではなかった。現に実際にそれらの資格を取得するにあたっての受験資格も有していなかった。それほどの時間的余裕も僕にはなかった。

そんな状況でのキャリアコンサルタントという資格の存在である。この資格は就職や転職の支援に留まらず、人生設計の構築という広義の意味での支援者であることがわかってきた。これこそが僕が目指していたものだった。人は誰しも、仕事をしていかなければ生活ができない。しかしその仕事は生活をするためだけのものではない。より豊かな人生を送るためのものである。しかしながらその仕事にはさまざまな問題がつきまとう。そのような問題をどのように対処し、解決すればいいのかはほとんどの人が分からずにいる。そのような人たちに対して、専門的な知識と技能を有したキャリアコンサルタントが支援することで、大きな社会問題の解決の糸口になると思った。

キャリアチェンジの実現

僕は資格取得を目指し、実現させた。また、その資格を活かしての転職も実現させた。この資格はさまざまな領域で生かせる。その中でも僕は福祉領域に身を置き、支援を必要としている人に支援をしている。こうしてキャリアチェンジを実現させて見えてきたことがある。それは、自分ができると思えばできるようになるということ。ここまで振り返ってきて、自分に何かしらの武器が必要だという出発点から教養の必要性につながり、心理学を学習することで道が開けた。こうしてみれば人生、何があるかわからない。どこでどのような出会いがあるかわからない。僕はここまで3つの出会いがあった。それは放送大学で学問を学ぶこと、またそこでの心理学という学問領域の存在、そしてキャリアコンサルタントという専門的職業の存在という三つの発見、出会いがあった。これらは偶然でもあるがそれらを求めていたからこその出会いだったのかもしれない。

また別の発見があった。それは各領域で問題はさまざまであるということと、多くの人の支援をするためには数多くの弊害があるということ。その業界・領域特有のものからその組織そのものの企業風土、またその組織構成員の人間性や仕事への姿勢・志向性などさまざまである。仕事をする人が集まるとそれぞれの考え方思惑が存在し、それらが阻害となることは多々ある。

キャリアチェンジのこれから

僕はキャリアチェンジは困難であるという社会的な風潮を変えたいと思う。いや、変えたいというよりも実際にキャリアチェンジを数多く実現させて自然に結果的に変えたい。しかしながら自分の足元、つまり自分の仕事そのものの問題も山積している。いずれは個人として仕事をしたいと思っているが今はまだその時ではないと思っている。今はそのための準備期間だと思っている。自分にとっての数多くの経験を積まなければならない。そのためにはできるだけ多くの人の相談に乗らなければならない。

僕は結果的にキャリアチェンジを実現できたわけだが、ここにくるまで紆余曲折があった。教養を身に付けるということ、放送大学で学問を学ぶということは一見遠回りと見えるかもしれない。しかし、その遠回りが実は、自分に取ってかけがえのないものとの出会いにつながることもあるかもしれない。仮に、今自分のやりたいことがあったとして、そのために必要なことが明確にわかっていたとしてもさまざまなことに興味関心を持ってほしい。特に若い人は自分の可能性を最大限生かしてほしいと思う。その遠回りこそが人生設計の構築になくてはならないものなのかもしれない。

人生何があるかわからない。今は安寧の生活をおくれていたとしても、明日何があるかわからない。そのような漠然としたものにおびえる必要はないが、しかし、どのような危機に直面するか今の時代もはやわからない。もし今後、自分はどのような危機に直面しようとも、対処するすべを持っていればなんとかなるかもしれない。そういう安心感も違う。すると今度は自分が他者にそういう支援をしようという流れになるかもしれない。そういう相乗効果も期待できるかもしれない。少なくとも、今僕はキャリアチェンジを実現させることはできたが、まだ志は半ばである。自分ができたからといって他の人も、自分と同じようにキャリアチェンジが可能かといえばそうではないとは思う。過度に一般化する帰納的な考え方はどうなのかという議論はひとまず置いておいて、そういう一見困難なことであっても不可能として諦めるのはもったいないということを言いたかった。
(了)

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