シビアな契約社会に生きるプロ野球選手に感じること。

とある方からご指摘を受けました。

note見てるけど、面白いからもっと書いてよ。と。
嬉しいことです。

毎回書いていくうちにどんどん熱がこもってしまい、話が長いわ、時間はかかるわ、です。

今日は、ビジネスに無理に結びつけることなく、かつ端的に、ただただ思ったことを、徒然なるままに書いていこうと思います。


スポーツを見るのが好きな私ですが、日本で一番人気のある野球では、この時期は所謂ストーブリーグ
ドラフトや戦力外通告、契約更改など、我々一般人とは全く違う世界に生きる野球選手ですが、この時期はついつい、
彼らとて一人の人間だなあと、勝手に感傷的に、そして勝手に少しだけ身近に感じてしまいます。

良くも悪くも人生のドラマを感じられる時期です。

そう思えば、私は来年で41歳。
一体何歳まで働くことになるか分かりませんが、一般的には社会人の折り返し地点かもしれません。

仮に私がプロ野球選手であったとすれば、既に現役は退いてコーチという立場でしょうか。
もちろんプロとして結果を残せていれば、ですが。

社会人でもこの辺の感覚はだいたい同じかもしれません。
恐らく私と同世代たちは、部下を管理する役割もだいぶ増えることでしょう。

才気あふれたプロ野球選手と比較する訳ではありませんが、ストーブリーグのニュースを見ていると、どうしても自分を重ねて見てしまいますね。


私はサラリーマン時代、プロ野球選手のような毎年の契約更改や年功序列に捕らわれない成果主義に憧れていました。

中国生活が長い私なので、中国ではプロ野球選手ほどではありませんが、成果主義は当たり前です。

少し余談になりますが、中国の人事考課で勤続年数の項目を設定していたところ、ある社員から
「社歴の短い私は、Aさんがこの会社の社員でいる限り、この項目では永遠にAさんに勝てないということですね?」
と言われ、それ以来この勤続年数の項目が無駄だと廃止したことは言うまでもありません。

もちろん一般的なサラリーマンは、プロ野球選手のように個人事業主ではなく、企業との雇用契約を結んでいるため、成果主義にも限界はあります。

基本的に毎年契約更改がなされ、時には減俸、時には高報酬を得られ、時には解雇されるというシステムは、人生設計においてはなかなかのハードプレイです。

しかし、働くモチベーションしかり、成果を認められ、それが具現化されることには憧れを持っていました。


成果主義への憧れが独立に繋がったわけでは決してなく、仕事の才能がある訳でも、野心がある訳でもない平凡な私です。
成果主義であれば、自信がある、と言いたい訳でもなく、結局は同じような道を歩んでいるだろう、とも思います。

だからこそ、言い方が悪くなってしまいますが、プロ野球という才能の集まりだらけの世界で、圧倒的な才能を持ってプロになりながらも、
極端すぎる成果主義に敗れ去った人達が、その後どんな人生のドラマを歩むのか、ただただハラハラしながらもニュースを見ています。

皆さんはどういう思いでこうしたニュースを見ているのでしょうか。

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