見出し画像

ツイートのネタの数は「知識量」に比例しない。 一つのことを、「どれだけ多くの」角度から切れるかにかかっている

 ツイッターを続けることはなかなかの苦行だ。真性の「ツイ廃」ならともかく、(自分も含む)普通の人の場合は、今日はいったい何をツイートしようと途方に暮れ、スマホやPCの画面としばらくにらめっこして時間を過ごしてしまった記憶が一度や二度ではないはず。

 そして、だんだんツイートすること自体が億劫になっていき、ついには画面さえ開かなくなる。せっかく意気込んで「これからの時代はSNSで発信を続け、自己ブランディングをすることが必須だ。よし、今日からがんばってツイッターを続けるぞ!」と決意したばかりなのに、しばらくするとフェードアウト... というのは本当によくあるパターンだ。

 自分も、いまのツイッターアカウント(@Jn_Matsumoto)は1年半ほど前の2019年夏から本格的に「再開」して今に至るのだが、アカウント自体を最初に作ったのは2009年の5月だ。当時、ツイッターといえば「渋谷なう」とか真顔でツイートしてた時代。しかしリアルに「渋谷なう」と打った以降は、もうツイートすることがなにも思い浮かばない

 たった1ツイートするのに何をつぶやこうかとずっと思い悩んだ末、適当なニュースにコメントRTを入れてお茶を濁し、やれやれ、やっと1ツイートできたよなどといってた。

 そんな感じで、ツイッターはしばらくやったり休んだりを繰り返しながら、結局1年くらいで完全に放置してしまった。そしてそこから10年近く、ほとんど使うこともない幽霊アカウントという状態だった。ツイッター... ちょっとがんばってた時期もあったなあ、くらいの認識で、その状況がつい去年まで続いていたというわけだ。


 これはツイッターだけには限らないが、SNSやブログの継続が難しい理由の一つは、「書くことがない」ということだ。頭の中をめいっぱい振り絞っても、書くべきこと、書くべき価値のあることがなかなか見つからず、どうしても同じような内容ばかりになってしまう。

 そして自分には本当に書くことがないなあと自己嫌悪に陥り、さらに、同じことを読んでてもつまらないだろうなあ、とフォロワーさんの心理に勝手に思いをはせ、そしてその思いが負担になって結局やめてしまう。


 では、自分がツイッターを再開した後、そこそこのペースで毎日のようにツイートを続け、そして1年半後の今日に至るまで(なんとか)ペースを保っていられている理由はなんだろうか?

 それは、ツイートは、無理していろんなことを追わなくとも、一つのことを多くの角度で切ってみて、それをそのままつぶやけばいいのだ、と気づいたからだ。


 自分は起業支援がメインのフィールドの一つなので、たとえばある日「起業の苦労」についてのツイートをしたとする。そのとき、次のツイートのネタとしてまたぜんぜん別のテーマを探すのではなく、「起業の苦労」を、できるだけ異なった角度で見てみるのだ

 そうすると、たとえまったく同じテーマを扱ったとしても、ぜんぜん違う意味合いのツイートを一つ、また一つと追加することができる。かつ、そのの行動の繰り返しにより、あらためて「起業の苦労」について多角的に思考を深めることもできる(そういう機会を得られるのは、ツイッターを続けることの大きなメリットの一つだと思ってる)。

 コツとしては、「違う人間になったつもり」で、ひとつの事象(たとえば起業の苦労について)を考えてみることだ。起業であれば、創業者からの視点もあるだろうし、メンバーからの視点もある。両者の見方はまったく違うことがしばしばだ。さらに、投資家や取引先企業(になったつもり)などの、外部からの視点などなども無限にたくさん考えられる。

 また、たとえば「メンバーからの視点」ひとつをとっても、性格や立場の違うメンバーA君とメンバーB君ではまったく異なる視点を持つはずだ。このように、ひとつの事象を、いろんな角度から、また、いろんな人の立場から思い描いてみること。そうすることにより効率的に、自分でも面白いと思えるツイートを新しく着想し、生み出せるようになる。


 だから、これはネタばらしになってしまうのだが、自分のツイートは、同じテーマを扱ったものがとても多い。上記のように、いろいろ工夫して毎回視点や角度を変えているだけだ。一つなにかのツイートをすると、その後、しばらく同じテーマを扱ったツイートを続けてることがよくあることに気づいてる人も多いと思う。

 さらにいうと、実は、互いに矛盾してる内容のツイートも多い。自分のツイートを熱心に読んでいただいているフォロワーさんの中には、そのことに気づいてる人もいると思う。ひとつの事象を、いろんな立場から切ってるからこういうことが起きる。

 しかしながら、以前のツイートと多少矛盾してるなと自分で気づいても、普通はそのままツイートしてしまう。幸い、皆さんとても優しく、これまでのところ「前のツイートと矛盾してるよね」などという指摘のリプは一度もいただいたことはない


 これまで述べてきたようなツイートの手法を仮にある種の「メソッド」だとした場合、このメソッドを実践するメリットは、多角的にものごとを見る訓練ができること、そしてその結果として「主観にとらわれず、自分の思考を相対的に、かつ客観的に見られること」だと思ってる。

 でもそういうツイートって、「自分の意見」とは言えないんじゃない? というツッコミがあるかもしれない。確かにそうだ。自分が「本当に」思ってることではなく、いろいろな「仮」の立場からものを言ってることになるのだから。

 しかし、それでも全然いいと思ってる。ツイッターは、自分の「正直な思い」を吐露するばかりの場所ではない。そんなルールもない。むしろ、もし自分が違う考えを持っていたらどうだろうという、自由な思考実験ができる場だと捉えることができる。

 そして、その自分の「新しい」思考にあらためて気づき、それが結果的にその後の自分のメインの思考となる場合もある。自分の場合、本当によくある。自分のツイートを通じてこれまでになかった新しい考えかたを獲得し、日々、新しい自分にアップデートしてるという気持ちだ(この感覚は、共感してもらえる人も多いと思ってる)。

 これからも、さらに多角的な思考ができるよう、引き続きがんばっていきたいと思ってる。(どうか応援よろしくお願いいたします 🙇🏻‍♂️)


///
ツイッターでも、できるだけ有益なことを毎日発信してます。ぜひフォローをよろしくお願い致します
🙇🏻‍♂️


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?