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【特別対談】臨床・研究・教育から見たスポーツ医学の未来像

教育者、臨床医として日本のスポーツ医学をけん引してきた2 人の医師に話を伺った。元サッカー日本代表チームドクターを務めたスポーツ医学会のレジェンド・福林徹医師と、北の大地から日本のスポーツ医学を変革する札幌医科大学理事長・学長 山下敏彦医師が、互いのルーツから、出会い、今後の展望を語る。


整形外科そしてスポーツドクターの道へ

―この分野を選ばれたキッカケは。

福林 私は東大闘争(1969年)の頃に学生で、軟式テニスをしていました。東京大学で医学部に進むのは理科三類からがほとんどですが、私は理科二類出身という珍しい経歴です。内科や外科などメジャーな診療科は、しがらみが強く窮屈そうに見えたのと、整形外科の津山直一教授(当時)の「過去にはこだわらず、学内でも学外でも来るもの拒まず」という自由な方針に惹かれるものがありました。

山下 私は福林先生の一回り下の世代。中学から柔道をやっていて、大学の試合で肩から落ち、右肩鎖関節脱臼というケガを負いました。そこで整形外科にお世話になったのがキッカケのひとつです。先輩からの勧誘もありましたが、入局の決め手は当時の札幌医科大学整形外科講座教授の石井清一先生の存在でした。石井先生は福林先生とも親しいスポーツ医学の第一人者で、1998年第9回日本臨床スポーツ医学会の会長です。そのとき、私は事務局長を任されて、スポーツ医学の面白さに魅了されました。

―整形外科医になって力を入れてきた治療法を教えてください。

福林 私の専門はひざの関節鏡。内視鏡には胃カメラや脊椎鏡など、いろいろありますが、唯一日本オリジナルが関節鏡です。東大の高木憲次先生が開発し、門下の渡辺正毅先生が臨床で使えるように改良を重ね、世界に広めました。私は渡辺先生直伝の関節鏡手術に励みました。
 当時勤めていた関東労災病院の近くに読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)の練習場がありました。その監督が中高の同級生で「うちの選手もみてくれないか」と誘われ、Jリーグが開幕し、いつの間にかサッカー日本代表のチームドクターまで務めました。

山下 私は背骨の治療です。脊椎障害による腰痛持ちのスポーツ選手は大勢います。もちろん手術も行いますが、競技復帰も考慮し、大抵は手術以外の保存療法、ストレッチなど運動療法で治します。理学療法士と一緒に運動療法の開発も行ってきました。 
 スポーツによる脊髄損傷(脊損)で多いのがラグビー、アメリカンフットボール、柔道などのコンタクトスポーツ、そしてスキー、スノーボードです。体操も落下して脊損になるケースがあります。脊損によって車椅子となれば、生活は一変します。
 そこで、この10年間取り組んできたのが脊髄再生医療です。骨髄間葉系幹細胞(こつずいかんようけいかんさいぼう)という、患者自身の骨盤から取った幹細胞を培養し、それを点滴で戻すオーダーメード型の治療法です。この治療により、一定の確率で運動機能の回復が得られ、歩行可能となった患者さんも少なくありません。基礎研究から治
験を経て、2018年に厚生労働省から条件・期限付きで承認を受け、世界初の脊髄再生医療は今では約100症例に達しました。

早稲田大学と札幌医科大学の交流がはじまる

―お2人の出会いは。

山下 当時、早稲田大学の教授だった福林先生は日本サッカー協会医学委員長まで務められ、雲の上の存在でした。札幌スポーツ医学セミナーの講師にお招きしてから接点ができました。一方、うちの若いドクターを早稲田大学に研修で派遣し、そこでサッカー日本代表チームアンダー世代に帯同させてもらうなど、少しずつ交流するようになりました。

福林 私は山下先生に助けられた印象です。早稲田大学時代、解剖実習で必要な、ご遺体を用意できず困っていました。そこで手を差し伸べてくださったのが山下先生です。解剖実習をアシストしてくださり、夏に札幌で合宿するようになりました。普段の授業で眠そうな学生も、解剖実習は意欲的に参加していました。

山下 2009年に大学間連携を結んでから、早稲田大学・札幌医科大学スポーツ医科学研究会を毎年開催しています。早稲田はスポーツのメッカですので、トップアスリートと接する機会が多い。一方、札幌医大には医学部があるので、解剖実習など医学的な面で協力するという補完し合う良好な関係が構築できました。

―お2人が教育者として大切にしてきたことは。

福林 あちこちの大学を回りましたが、それぞれ種類が違う。医学部は将来が定まっていて、筑波大学の体育専門は教官志望が多く、早稲田のスポーツ科学は実業家志望も多いなど、校風やパーソナリティが異なるので、学生が何に興味があるのかを見るようにしました。

山下 整形外科教授として若い医師を育てる機会が多かったのですが、基本方針は「いいね」と肯定してあげること。「こういう研究をしたい」と来たら「どうかな」と思っても、必ず「いいね」で当人のやる気を引き出すことをモットーにしていました。すると、なかなか良い成績を出します(笑)。石井先生の言葉「教育に見返りを求めてはいけない。良い教育者とは忘れられて喜ぶ人である」を守った結果です。

福林 共通点は好きなところは自由にやらせる。興味がないものを無理強いすると、人はおかしくなります。ただ、いくら自由でも論文は重要ですよね。

山下 はい。論文は医師としてのキャリアを大きく左右するので、日本語、英語両方チェックします。エビデンスは大切ですが、何より重要なのは新規性。論文にその研究者ならではの「オンリーワン」があるかどうかを見ます。

総合医学として始まったスポーツ医学

―日本のスポーツ医学について教えてください。

福林 1964年の第1回東京オリンピック以前、スポーツ医学という概念は日本にほとんどありませんでした。日本初のオリンピックを開催するにあたり、内科医の黒田善雄先生の「スポーツに特化した医療を」という呼びかけで、さまざまな診療科の医師が集まって、日本のスポーツ医学はスタートしました。ただ、スポーツにおける治療ニーズは外傷や障害が中心ですから、どうしてもスポーツ整形がメインになります。本来は内科によるコンディショニングも大切なのですが、現在はスポーツ医学≒スポーツ整形外科のイメージになっています。

山下 福林先生のおっしゃる通り、本来、スポーツ医学は「総合医学」です。背景にあるさまざまな要因が絡まり合い、成績やケガなどの結果として現れるのがスポーツの世界です。内科や婦人科、歯科、さらに脳神経外科、耳鼻科、眼科それからアンチドーピング(禁止薬物)、栄養、スポーツ心理と、スポーツ医学には本当に幅広い医療が求められます。多角的に集学的治療を実践する総合医学という考え方が非常に大事です。

―2023年、スポーツ医学界にうれしいニュースがあったそうですね。

山下 はい。これまで日本のスポーツ整形系の学会は2つに分かれていました。日本関節鏡・膝・スポーツ整形外科学会(JOSKAS)と、日本整形外科スポーツ医学会が統合され、日本スポーツ整形外科学会になりました。

福林 スポーツ整形という範疇での統合ですが、すばらしい一歩です。今後の展開に期待します。海外では複数の診療科による総合スポーツ医学の研究も進んでいて、例えばスタンフォード大学にはスポーツ医学講座があります。

北の大地から日本を変える札幌医科大学の挑戦

山下 実は札幌医科大学でも、スポーツ医学講座を作ろうかと考えています。

福林 それはすごい。スポーツ整形は学べても、総合スポーツ医学を学べる大学は、日本にありませんよね?

山下 はい。国公立系の医学部では日本初となると思います。既に附属病院内に複数診療科による集学的治療を行うスポーツ医学センターはあります。ただし、ここは治療施設。今から始めようとしているのは「教育」です。内科や外科のように診療学科目のひとつとして学べるスポーツ医学講座の準備をしています。

福林 総合スポーツ医学講座の潜在ニーズはあるはずですから、今回の挑戦で新設する医学部が増えるのを期待します。

―理事長・学長としての目標を。

山下 学生が伸び伸びとやる気を出して明るく活動・学習できる大学、さらに医師や教職員スタッフも生き生きと働ける環境、未来に向かって希望が持てる札幌医科大学が目標です。
 スローガンは「スポーツの札幌医大」。昨年、スピードスケートの髙木菜那選手を招いて講演していただきましたが、彼女自身の明るさもあり、聴衆も元気になりました。またスポーツ関連以外の診療科にも優秀な人材が揃っており、研究や診療に力を入れています。札幌医科大から一人でも多く世界で活躍する人材を輩出できるよう、邁進いたします。

スポーツ医学の新たなミッション 健康寿命の延伸

福林 2021年の第2回東京オリンピックでトップアスリートの育成は一区切りしました。現在、日本の課題は高齢社会による運動器疾患やフレイルの増加。医療費は国に大きな負荷を与えています。
 そこで、厚生労働省が考えているのは、健康寿命延伸のための高齢者向けのスポーツ教育です。競技スポーツではなく、健康増進のため市民スポーツの普及によって、スポーツ・運動に対する正しい理解を日本に広めようとしています。参考にすべきは北欧。日本と同じく、高齢化が進む国民皆保険の国で、中高年向けのスポーツの大会なども数多く開催し、健康寿命増進に力を入れています。

山下 スポーツ医学は予防医学でもあり、健康寿命延伸に有用です。激しいスポーツというより、簡単な運動で構いません。さまざまな研究で運動の効果は実証されています。体を動かすとドパミンという脳内物質が活性化し、やる気が出てくるのがひとつ。筋肉を動かすと発生するミオカインは、抗炎症作用とか抗加齢作用もあります。

―福林先生から読者にメッセージを

福林 超高齢社会によって、競技スポーツの時代から、市民スポーツの時代に移ってきています。高齢になっても安全に楽しめるスポーツはあります。無理のない範囲で気軽に、体を動かしてみてください。


札幌医科大学 理事長・学長 山下 敏彦(やました・としひこ)
1983 年札幌医大学医学部卒。整形外科学講座教授、附属病院の病院長などを歴任し、2022年4月より札幌医科大学第4代理事長・第12 代学長就任。
早稲田大学 名誉教授 福林 徹(ふくばやし・とおる)
1972 年東京大学医学部卒業後、同整形外科に入局。米国留学、筑波大学助教授、東京大学教授、早稲田大学スポーツ科学学術院教授などを歴任。日本臨床スポーツ医学会理事、日本サッカー協会理事・医学委員長も務めた。東大・早稲田大学名誉教授。

書籍紹介