刺激と反応の間には選択の自由がある

こんばんは。jmanです。
今日は七つの習慣のアウトプットをしたいと思います。
七つの習慣の第1章の中で出てきた原則の1つに「刺激と反応の間には選択の自由がある」というものがある。

ここで言う原則とは、人間の心の底に眠っている個人の価値観や感情、思い込みがない普遍的に正しいとされるもの。
人間の成長や幸福を左右するもの。
つまり、この原則に従って生きることが人間の幸福や成長に繋がって行く。これは長い歴史の中で解かれた人間の本質とも言えるもの。
(本田選手も自分の心の中に聞けば、何をしたいか、何をすればいいかは分かると言っていたが、自分の心の中にある原則に問い掛けろという意味だったのかと理解した)

本題に戻る。
この「刺激と反応の間には選択の自由がある」
という原則とは、人が周りから何か刺激を受けた時、それがそのまま自分への影響となるのではなく、どう捉えて行動に移すかを選択出来るというもの。

例えば、おっぱいが大きいセクシーな女性から誘惑された時に、セックスするかしないかは自分で選べるということ。
こう言われると当たり前のことだと思うが、以外にこれを理解している人は少ないように思えるし、反応を選択出来ている人は少ないように思える。

例えば、満員電車に揺られて、人にぶつかられた時に、イライラして少しやり返す人を見ることがあるし、大特価セールと書かれた商品を必要も無いのに買ってしまうとか、

日常生活の例では上記の通りだが、これを人の生き方で考えると、
自分が勉強出来ないのは親のせいとか、自分が成長しないのは仕事の環境のせいとか、

つまり、自分が置かれた条件や環境のせいにする=周りに自分がコントロールされている
すぐ人や環境のせいにする人は多いように思える。こういう人はとても反応的で周りのせいで今の自分があるとすれば、自分が周りに影響されることを選んでいるということになる。

では、この原則(刺激と反応の間には選択の自由がある)を理解している人は周りから影響を全く受けてないのかと言われれば違う。
自ら価値観に従って影響を受けることを選択している。
もっと細かく言うとすれば、何か刺激を受けることによって感情や衝動は芽生える。
これを受け止めて、じゃあどう行動するのが良いのかを判断している。
厳密に言えば感情はコントロール出来ない。けれども、沸き起こった感情に対してどう反応するか、行動するかはコントロール出来る。
ここを分けて考えるのが大切。

これを読んだ時、衝撃が走った。
前は、感情を無くすとか、コントロールしようとか自分で考えてたけど、そう考えて自分の感情を無視して脳なしで動く、やらなきゃいけないことは面倒とか思わず、とりあえずやるみたいなのは、大きなストレスになることを仕事で経験して、どう対処すればいいか分からなかった。
だから、感情をコントロール出来ないと知った時、心が軽くなったし、より客観的に自分の感情を見られるようになった。
そして、その分行動を感情ではなく自分で選択出来る回数が以前より増えた。
まだまだだが、これからもっと選択する回数を増やしていきたい。

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