現代人は、説明しすぎ? 考えすぎ? ~羽黒山伏と考える、答えが出ない「問い」への向き合い方②~

2018年12月12日に行ったイベント(「感じる知性」を取り戻そう! 羽黒山伏と考える、答えが出ない「問い」への向き合い方)の内容、ほぼ原文そのままです。

○「言葉」よりも「音」を聴く

星野:そうそう。言葉のないおせっかい。だから、それでやられちゃうんだよ。
だから如何にして現代人が言葉で全てをね、言葉がないと分からなくなっちゃっているでしょう?
だから、俺は今、極端に「言葉の元は音だよ」と言ってるの。そうじゃん。一つ一つの言葉なんか音じゃん。例えば「人」、人間の「人」って「ひ」と「と」だろ? そして意味ができている。

渡辺:「ひ」は火ですよね。

星野:そう、「ひ」は魂。普通は、燃えるとか、そういうことを、我々は「ひ」と呼んでいる。「霊」という字は「ひ」だよ。魂のことだ。

渡辺:魂のこと。

星野:「ひ」というのは魂。「れい」という字を「ひ」と読む。これは昔に遡っての話。だって、昔「ひと」という言葉を作ったんだから。その「ひと」という言葉を作った当時に戻らなきゃいけないだろう?俺たち。
全て言葉のもとは音だから。その一つひとつの音が言葉になっているから。そうすると一つひとつの言葉で、昔どういう意味だったかを探っていくと、その言葉がどういうことかというのが分かってくる。

今、俺ね、「言葉の元は音」というこの話は特に若い女性達に話している。
要するに、「愛してる」だの「好き」だの「結婚してくれ」って男性から言われた時、あんた達ね、その「言葉」を聞くんじゃないよ、と。そう言っている彼の「音」を聞きなさい、と。その音を聞いたら自分で感覚的に「あ、この音、合う」と思ったらOK出しなさい、と。みんな、言葉で騙されている。いくらでも言葉は騙せるんだもん。

渡辺:じゃあ、メールじゃダメですか?

星野:メールはダメ。

渡辺:音出ないから?

星野:そう。メールはダメ。いくらでも作れるから。そうだろう?言葉は作れる、文章は作れるんだもん。そんなもん、意識的に。
音というのは無意識なんだよ。人は無意識が大事なんじゃない?だから、人を判断する時はその人の「音」で判断したほうがいい。大事なのはその奥なんだよ、全て。そういうことを、私の場合は、もう1年のうち半分以上は自然の中で修行して気づいていく。
要するに、雨が降ろうが、台風だろうが、雪降ろうが何が降ろうが、お天道様が降ろうが、自然にすべてを委ねていると、自然は拒まない。そういう自然の中で気づいたことというのは、本質なんだから。人から言葉で教えられたことというのは、作られている。それは本質が欠ける。
だからほら、修行にする前はもう自己紹介も無しだ。

渡辺:(自己紹介)無いですね。

星野:なんで自己紹介するの?「何をしている誰です」と。もう「私、何をしている」というので、みんな「何をしている」とイメージつけちゃうんだよ。それで騙されちゃうの。「私、何している人です」で騙されちゃうんだよ。そういうイメージで見ちゃうから。俺は、修行する時は「自己紹介するんじゃない!」「自分を名乗るんじゃねぇ」と言っている。
それで最後、修行が終わったら、初めてみんなと話をする。そして、その時初めて自己紹介をさせるんです。そうすると、「私は何をしている何です」と。「何してる」というのを聞いただけで、「ああ」と。大体3日間修行していれば、「あの人何をしている人なんだろう」と興味を持つからね。言葉は出さなくても。
だから、自己紹介で自分の職業なんか言っちゃダメ。それでイメージ作っちゃうから。まっさら状態で修行に向かうわけ。言葉もないし誰かも分からないし。そして、あえて闇の中を、提灯持って歩いて行くんだけど、ますます闇に入って行くと「提灯を消せ!」と消させるんだよ。まるっきり完全闇の中を歩かせる。それは、気配を取り戻させるためだよ。

○「考える」は、同じ答えを出そうとする行為

星野:24時間明るいんだもん、今。だから、気配なんか何にもないの。昔なんかもう、「太陽が沈んだ」、「今日終わり」だよ。だから、闇の中で月が新月から眉月、三日月、上弦、満月となっていくのが、どれだけ嬉しいことか。待ち遠しいことか。闇を照らす、というのが。あなた、闇の中にいるんだよ。
だからね、全てそういうことなんだよ、修験道、山伏というのは。現代社会に暮らしている人に「修験道ってこうだよ」「山伏ってこうだ」と言ったって、そういう感覚の下で聞いたってさ、意味がない。だから、あえて「無の状態」に入らせる。

現代人はいろんなことを説明しすぎ、言葉が多すぎ。そんなこと言わないで、自分自身の中から出てきたものを感じようと、と。
「考える」なんていうのは、知識をあてにしているんだもん。知識なんか皆同じようだよ。ほぼ違わないよ。違うのは、多いか少ないかだけ。その範疇で考えているんだもん。ほぼ同じ答えを出すことになっちゃうだろう?
だから、考え、答えが違うと「あんたの考え方はおかしい!」ということになっちゃう。考えるというのは、「私はこう考える」って、違う人は「あんたの考えはおかしい」と返ってくるだろう? ということは、「考える」ということは同じ答えを出そうとしている行為じゃない? 俺からしたら、そうじゃん。
だから、結局は、同じような知識でしか考えていない。それ(知識)が違えばおかしいわけ。

でも、「私はこう感じます」と言う。「その感じ方はおかしい」とか、言ったことあるか?言われたこともないだろ。
山伏修行で3日間同じように修行してきて、最後は皆から自己紹介と「修行を3日間して何を感じましたか?」と聞くと、30人いれば30人、感じ方が皆違うじゃん。それだけ答えがいっぱいになっちゃう。
なんで答えが1つなのか? それは、考えて出そうとするから。みんな答えを1つに出して。小さい時から「みんなと同じ考え」を出すと丸をもらえて、100点もらえる。そういうのに慣れ切っちゃってる。でも、そんなのは自分じゃない。オリジナリティじゃない。結局は自分自身が「こう感じた」ということ(が大事)だと思う。

だから、今、俺、ここまで言い切っている。「感じる」ということの優等生は「オギャー」とお母ちゃんから産まれ落ちた赤ちゃん。お母ちゃんから「オギャー」と産まれてきた赤ちゃんは、何も考えていないでしょう? ただ感じるままに、自分の命をつなぐためにお母ちゃんのおっぱいに吸い付くだけだよ。だから、「感じる」ということの優等生は生まれ落ちた自分。自分自身の人生の中で自分がお母ちゃんから生まれ落ちた時が一番の優等生。
それ以降、いろんな知識が入って、そして皆と同じように丸をもらって……どんどん知識を入れていくと、考えるほうにどんどん行っちゃって。本来、「感じる完成品」だった人が、考えるに伴って、どんどん「感じる」が、封印されていくんだ。

だから俺はよく言うんだ。生まれ落ちた時の赤ちゃんの「感じる」というのは、「感じる知性」の完成品だ、と。たぶん、そんな言葉はないよ、世の中に。でも、産まれ落ちた赤ちゃんの知性というのは「感じる知性」だろう? これが「感じる」の優等生です。それからいろんな知識が入って、「感じる」がどんどんどんどん封印されちゃってさ。

○みんな、「感じる知性」を取り戻そうともがいている

「先達、感じるってどういうことですか?」と俺に聞く人は、完全に封印されている人。
だけども、やっぱりみんな少しは開いているんだよ。その開いているところがあるから山伏修行が気になってくる。あるいは、ヨガをなんか気になってやる。あるいは瞑想を気になってやる。あるいはアーユルヴェーダに行く。こういうことは自分の感じる知性が完全に封印されていないから、その開いているところで欲しがっているんだよ、自分自身、無意識の中で。
だから、「あなた、なんで修行するの?」「あなた、なんで瞑想するの?」「あなた、なんでヨガするの?」と聞いた時に明快に答えられる人はいない。気になるからしてる。ただそれは何か見て、それを知ったかぶった言葉で、「~~~だから瞑想するんです」と言うようになっちゃうんだけど。本質は、封印されている部分を開けようとしているんだよ。みんな、もがいているんだよ。そして修行したり、封印を広げていくようなことをしていく。
現実社会は、考える知性の方がもう圧倒的だから。ハッキリ言って、この理由は男社会だから。男社会というのは考える社会。だから、その男社会に合わせようとするから女性たちはどんどんその感じる知性が封印されている、もがいている。そう思うんだ。

(第3回へ続く (仮)女性は、山伏修行をするとイキイキする)


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