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徒然日誌 Part.2 (2023. 9-10)

いろんなことがあって、これらのことを忘れないために、頭の整理をすることにします。

前回の記事はこちら。



9月23日(土曜日)

父が24時間介護の病院に入院した翌朝、嫁さんと娘が新幹線で駆けつけてくれた。
病院へ見舞いに行くと、父はスマホが思うように機能しないことで頭がいっぱいのようで、娘の話しかけにも上の空。
(そのくせ、娘にスマホの操作について質問ばかりしていたらしい)
今思えば、この時点でかなり思考力が弱っていたのだと思う。

コロナ感染拡大のため、許された面会時間は一度に二人までで10分間。

次の組で私が見舞いに行くと、やっと見舞客の存在に気付いたようで、会話が成り立つようになった。

入院前日は一晩中お腹の痛みを訴えて、ひたすら摩ってあげることしかできなかったけれども、さすがは病院に入院しただけあって、痛みが緩和したようだ。

その日の夜、仕事を早めに切り上げた息子が新幹線で駆けつけてくれた。
面会時間の後だったので、翌日見舞いに行くこととする。

夜、太宰府天満宮まで息子と散歩。なんかイベントをやっていたようだ。


9月24日(日曜日)

父の病院は、昼からじゃないと面会できない。

午前中、娘と息子と3人で、太宰府天満宮を散歩。
いつもとは違う小径に入ってみたり、参道の店を覗いてみたりしたけど、ちっとも観光気分に浸れない。

早めの昼食を済ませて、母を連れて病院へ行く。

二人づつ交代で病室まで見舞いに行くが、意識が遠いようで、こちらの存在に気づくと「有難うよ、有難うよ、、、」と声を絞り出すが、目が開かない。

後ろ髪を引かれるようだが、タイムアウトで一旦、関西に戻ることにする。


9月26日(火曜日)

地元に住む母と妹が病院に行くと、更に弱った感じだったとのこと。
医師から「あと2〜3日。ひょっとした今夜の可能性も」と言われたとのことで、職場に翌日からの休みを申請をして帰省準備を始める。

前回の帰省時は、現地での移動手段の確保のためにレンタカーを借りていたが、金銭的負担が大きかったので今回は車で帰省することを考え始めた矢先、父の容体が急変したとの連絡が入る。

1時間後に出発する新幹線を押さえ、嫁さんと二人、大急ぎで荷物をパッキングして飛び出す。

父が亡くなったと連絡があったのは、予約した新幹線が出発する直前だった。


新幹線の中で、主要な親族に電話連絡を入れる。
更に、その一族への情報展開を依頼する。

会社の上司に、父が亡くなったので、有給休暇ではなく慶弔休暇への変更申請を依頼する。

もしもの時にお願いする予定だったお寺が、宗教行事開催中のため対応できないことがわかり、代替案について妹と相談する。

お寺から葬儀会場の提案があり、そこに決定。
通夜は水曜日、葬儀は木曜日で決定。

私が実家にたどり着いたのは午後10時半。
程なく、葬儀会場での手続きに奔走していた妹夫婦が実家に到着。

これから忙しくなるので、現地での移動手段が必要だろうと、娘夫婦が関西から夜通しドライブして来てくれることになった。息子とも時間を示し合わせて乗り合わせ、交代で運転してくるとのこと。若者パワーには脱帽だ。

とても長い1日だったが、それはまだ、始まりに過ぎなかった。


9月27日(水曜日)

朝から、親戚へ通夜や葬儀の詳細を連絡する。

各自が持っている写真ライブラリから、遺影の候補を選ぶ。
こういう時、LINEで写真を送り合うことが出来るので、わざわざ一同に会する必要がないのはとても助かる。

一人部屋に篭って、弔辞を推敲する。

昼前に、夜通しドライブしてきた子供達の車が到着。
長丁場に備えて腹ごしらえして、妹の車と分乗して、通夜開始2時間前に通夜会場に入る。式場の人との打ち合わせを行う。

お寺の住職に来ていただいて、予定通り通夜を行う。

遠くから仕事帰りに駆けつけてくれた人もいて、久しぶりに大集合した一族で夜遅くまで昔話で大いに盛り上がる。

そういえばこの日は、私の妹の誕生日ということで、従兄弟たちがサプライズでバースデーケーキを用意してくれていた。通夜会場でみんなでHappy Birthdayを歌って、バースデーケーキを父の棺にも供えた。

こういう盛り上がりが大好きな父だったので、心なしかにっこり笑ったように見えた。


9月28日(木曜日)

私と息子は、通夜会場に泊まり込んだ。

早朝、誰もいない会場に、父の棺と私だけ。
しばらく痛みに苦しんでいた父の顔が、少し綻んだように見える。
やっと楽になれたんだね。

昼前から三々五々、弔問客が集まってくる。

葬儀社の話では、葬儀が終わってから火葬場へ移動する時間が30分しかなく、葬儀をできるだけ前倒しで始めたいとのこと。

段取りを最終確認する時に、何度も「弔辞、読みます?最近はあまりみなさんされませんけど、、、」と、暗に弔辞を諦めて、時間短縮するように推してくる。
こればかりは引けないと、「はい、読みます」と答える。
このやりとりが2往復くらいあって、やっと向こうが折れてくれた。

滞りなく式は進んだが、異様に効いた冷房のせいで私自身が腹痛に耐えられず、読経の途中で退席。棺を花で埋める儀式の直前に滑り込みで戻ることができた。

母と二人で霊柩車に乗り、火葬場へと向かう。
途中、何も話をする気分になれない。
道中、彼岸花が満開のところに遭遇し、そういえば彼岸花ってリコリスっていうんじゃなかったっけとか、どうでもいいことをぼんやり考える。

僧侶である義理の息子の、力強くてよく通る声の読経のなかで、最後のお別れをして棺に蓋をする。

炉の扉が閉まる時、いよいよこれで最後と、思わず胸が暑くなる。


(10行ほど省略)


遠くから来てくれた親戚を、最寄りのJR駅まで送り、一旦実家へと戻る。
緊張の糸が切れ、簡単な夕食を済ませた後、早めに床に着いた。


9月29日(金曜日)

昨日早く寝たせいか、朝早くに目覚める。
そう広くもない実家は、いつもの数倍の人口となっているので、早めに身支度する。

娘夫婦は、これから関西までのロングドライブとなる。
息子は、土曜日に先送りした仕事が待っているとのことなので、ひと足先に新幹線で帰る。

葬儀社からもらったチェックリストを参考に、これからのTo Do Listを纏める。

地元の取引銀行を訪問し、銀行口座凍結解除に向けた手続きを確認する。

国民年金事務所に連絡し、これからの手続きを確認すると共に、面談を予約する。

法務局に連絡し、これからの手続きを確認すると共に、面談を予約する。
携帯電話ショップに連絡し、父の携帯電話の解約、および父名義の固定電話&ネット回線の名義変更について確認する。

市役所を訪問し、一連の手続きを行う。窓口番号1番から始まって、12番まで。途中、申請書の不備で8番から6番に戻ったりする。

父親名義の上下水道の支払い口座変更手続きを行う。

父親名義のNHK受信料の支払い口座変更手続きを行う。

ふ〜。


9月30日(土曜日)

父親名義のクレジットカードを探した際に、父の机の引き出しのあちこちから現金を見つける。へそくりだったのか、それとも整理が悪くて紛失していたものか。母が呆れている。

最寄りのショッピングモールに、開店と同時に入る。
a. まずは携帯ショップで、父の携帯電話を解約する。月末最終日だったので、請求は9月で終了。月払いの残債は、父の支払い口座がすでに凍結されているので、請求書を送ってもらうことにする。

b. クレジットカードの主契約者が父で、母は家族会員だったので、これまでに貯まっていたポイントを全部消費して差額を現金で今後の弔問客へのお礼の品を注文する。

c. 改めて、母名義のクレジットカードを申し込む。

d. 写真ショップ(この表現、あってる?)で、喪中ハガキを注文する。
サンプルから、デザインや文言を選び、私たちの住所氏名等を書き加えてデザインを練る。何度も仮印刷してもらって微調整し、最終稿で印刷にかける。母の分と私の分、妹の分の3種類用意してもらった。
レストランでゆっくり昼食している間に印刷完了。
世の中便利になったもんだ。


10月1日(日曜日)

いただいた香典を集計表に纏める。
それを元に、香典返しの計画を立てる。

葬儀社が用意してくれた香典返しのパンフレット(品物をこちらが選ぶカタログと、受け取った人が品物を選ぶカタログ)を検討するが、これで良いのかどうかよくわからない。
セカンドオピニオン(使い方、合ってる?)を得るために、福岡市内のデパートの香典返しパンフレットを貰いに行く。
比較検討した結果、それなりに方針が固まる。

途中で立ち寄ったコンビニで、母の戸籍謄本と印鑑証明を取得する。
マイナンバーカードがあれば、日曜日でもこれらが入手できるのはとても便利。発行手数料も、市役所よりも安く済んだようだ。


10月2日(月曜日)

朝一番で、最寄りの法務局で相続登記の説明を受ける。
ついでに登記事項証明書を取得する。

相続登記の手順がとても難しそうでとてもやり切れる自信と時間がない。
9割方の人が司法書士に頼むということなので、近所の司法書士紹介相談所を尋ねてみるが、そもそもいきなり飛び込みで訪問するようなことは滅多にないみたいで、折角訪問しているのにWebサイトの閲覧を勧められる。

地元市役所を再度訪問し、父の除籍謄本等を入手する。

地元の銀行を再度訪問し、相続に関する説明を受ける。

この頃から急に季節が秋っぽくなり、喪服以外は夏用の服と半ズボンしか持ってきていないので朝晩が寒い。ユニクロでカーゴパンツを買うことにする。
母も嫁さんも妹も、これに便乗して色々と服を買っている。

妹が、生命保険と火災保険について其々連絡をとって手続きを確認する。

父が最後に過ごした病院から請求書が届く。
保険請求のため、診断書の取得について病院に問い合わせる。

企業年金事務所を探し出し、これからの手続きを確認すると共に、資料送付を依頼する。


10月3日(火曜日)

お寺と相談して、四十九日法要の日程を調整する。
それに合わせて、国民年金事務所とのアポイントの日程を再調整する。
また、私の次の帰省の日程を検討する。

電力会社への支払い口座変更について問い合わせる。
何故か名義変更ではなく、旧契約解除と新規契約の締結を提案される。

地元の銀行をまた訪問し、各種手続きを進める。
この頃になると、小さな支店なので銀行員と顔馴染みとなっている。

地元の市役所を再訪し、固定資産名寄せ帳を入手する。
その手続きの間に、妹に父の戸籍謄本の予備を申請してもらったが、窓口で何か揉めている。様子を見に行くと、結婚して姓が変わってしまった妹では親子関係が確認できないとして証明できるものを用意しろと言われたようだ。私の名前で再申請して無事に取得できた。

お昼過ぎに実家を出て、関西に戻る。


10月5日(木曜日) 

相続登記、企業年金事務所、銀行からそれぞれ、父の出生から死亡までの全ての戸籍謄本および除籍謄本を入手するように要請されたので、郵便で申請しようと考えたが、複数の自治体に跨ることや、それぞれの自治体で何通の証明書になるのか見当がつかないので、思い切って半日休暇をとり、各自治体の市役所を訪問することにした。

幸い、最後の戸籍謄本に記載された従前戸籍は現在の私の地元である関西地区だったので、なんとかなるだろうと予測した。

最初に訪問した市役所では、すんなりと戸籍謄本等を取得出来た。
その中には、父が生まれ育った別の自治体の名前が従前戸籍として記載されていた。ここまでは想定通り。

JRに乗って、次の自治体の市役所を訪問。
きっとこれで父の出生まで辿れる筈だとたかを括っていたが、甘かった。
そこで入手した戸籍謄本には、更に想定外の自治体名が従前戸籍として記載されていた。

ここまできたら最後まで行くぞ!
もう一度JRに乗って、3番目の市役所を訪問。

戸籍謄本申請用紙に、申請する戸籍を記載しないといけないのだが、昔の手書きの文字は古文書のようで、一部は判読するのが極めて困難。
どうしようもないので、判読出来た分だけ記載して事情を説明して受け付けてもらう。

ひょっとして見つからない?との心配にも関わらず、意外とあっさり見つかった。地元なので、昔を含めた地名が頭に入っているのか、読みづらい部分の文字が予測出来たようだ。

いやはや。とにかく全部揃えることができました、、、。


今回はここまで。


ありがとうございました。

これまでの収益は全て、それを必要としておられる方々へ、支援機関を通して寄付させていただきました。この活動は今後も継続したいと思っています。引き続きよろしくお願いいたします。