「26歳生まれ」
生まれた時の私は一本の線でした。26歳でした。
感情は撒き散らかされたペンキの色でしかありませんでした。笑うことも泣くことも、辺り一面をのっぺりと汚すだけの作業でした。そしてまた、冷たい身体が廃棄された時は無色透明のプラスチックのように不快でした。
不快感の正体は私です。
わたしの肉体、わたしの心、わたしの声、わたしの臓器、わたしの全てが一本に繋がって、はっきりとした形で生々しく落ちているという事実だけが不快です。
27歳の誕生日、わたしは三次元にはなれませんでした。いつまで経っても、三次元の模倣をしているだけの線でしかありませんでした。
足跡ですか?叫び声です。
傷口ですか?いいえ、何でもありません。
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